なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(41)

       使徒言行録による説教(41)使徒言行録11:1-18、
            
・私たちや私たちが属しています教会は、イエスによる神の創造的な働きに従順である信仰を、時には失ってしまい、自分たちの主張や考え方に固執して、イエス(の福音)をないがしろにしたり、傷つけてしまうことがあります。

・今日の使徒言行録の個所にも、最初期の教会の中で、同じ誤りを犯したグル―プがあったことが伝えられています。それは、エルサレム教会の割礼派と言われる人々です。ユダヤ教の割礼や食物規定を手放さない、ユダヤ人信徒です。使徒言行録によりますと、エルサレム教会には、へブル語を話すユダヤ人であるヘブライストのグループとギリシャ語を話すヘレニストのグループの間に対立がありました。そのことは、既に、ステファノの殉教の出来事などを通して(使7章)、私たちは学んできました。しかし、今回は、ヘブライスト内部での対立が問題になっています。エルサレムの主流派に属するペテロが、伝統に固執する「割礼派」グループから突き上げられたというのです。

・「割礼派」の人々は、ペトロの働きによって、非ユダヤ人(「異邦人」)であるコルネリウスとその親族、友人たちが、ペテロが語った神の言葉(イエスの福音)を受け入れて、聖霊が降り、洗礼を受けて、彼ら・彼女らの仲間に加えられたこと、そのことを喜ぶことも、そのことを一切問題にもしていません。実は、この「異邦人」にもイエスの福音が宣べ伝えられ、彼ら・彼女らの中にイエスの福音を信じる者が起こされ、そこに信仰者の群れである教会が誕生するということが、同じイエスの福音を信じる信仰者の群れである教会にとって、つまりエルサレム教会にとっても、どんなに大きな喜びであったかと思うのですが、そのことは「割礼派」にとっては全く問題ではありませんでした。むしろ、彼ら(割礼を受けている人はユダヤ人の男性だけ)が問題にしましたのは、無割礼の「異邦人」の人たちと、ペトロが「食事を共にした」かどうかということでした。「異邦人」と食事をするということは、彼らには神の掟を破ることだったからです。

・今日の個所の使徒言行録11章1~3節をご覧ください。もう一度読んでみます。「さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った」とあります。ここには、はきりとエルサレム教会の割礼派の人々が、「異邦人も神の言葉を受け入れた」ことを、共に喜ぶのではなく、そのことには全く関心がないかのように、「ペトロが割礼を受けていない異邦人と、食事を共にしたかどうか」を問題にしているのです。

・同じような問題は、マルコによる福音書7章にも出て来ます。イエスの弟子たちが手を洗わないで食事をしたこと見て、ファリサイ派の人々と律法学者たちがイエスに、「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」と尋ねたというのです。それに答えてイエスは、預言者イザヤの言葉ですが、「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている」を引き合いに出して、「あなたがたは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」と言っています。そして「あなたがたは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである」と言って、十戒の一つである神に掟に、「父と母を敬え」があるのに、「もしだれかが父または母に対して、『あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です』と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ」と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っていると。

・そして、このマルコによる福音書7章では、このことに続いて、イエスは、「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と言っています。つまり、すべての食べ物は清いと、はっきりと言っているのです。むしろ、「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」と。

・このイエスの言葉からすれば、エルサレム教会の割礼派が問題にした、ペトロが「異邦人」と食事をしたかどうかは、全く問題にはなりません。けれども、割礼派はそれを問題にしました。伝統的な慣習や規則を重んずる人の中には、そういう形式主義に陥る人がいます。彼らにとって、その一つの違反は、「異邦人」であるコルネリウスユダヤ人であるペトロの出会いによる「異邦人」の回心や、両者の親しい交わりを導いた神の恵みの業さえも無効にできる程なのです。

・<「割礼派」の論理の問題はここにあるように思います。つまり「神が清めたものを、清くない」と手続と形式を盾にとって言い張る所にあったのです。制度や習慣や手続きは全て神の恵みの業に奉仕するためにあると言えるのではないでしょうか。形式を否定するものではありません。しかし、形式が生きるのは内容を表現するために仕える場合に限られるのです。神が歴史を造られる時は新しい形式が旧い形式にとって代わります。神の新しい歴史がそれを必然化するからです。この形式の創造に参与しないものは捨てられる外ありません。ですから、全ての制度の暫定性を承認する以外に制度を生かす道はないのです。>(関田寛雄)

・さて、割礼派からの突き上げに対して、ペトロは、割礼派との論争は一切していません。「異邦人」と食事をしたか、しなかったということさえも言いません。使徒言行録では、「そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた」(11:4)とあり、ペトロはまず「幻」のことを話します。それは、「神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない」と、三度も語られた「天からの声」のことでありました。ペトロにとりまして、この「天からの声」は、彼が否定したり承認したりすることができるようなものではなく、ただその言葉に従うだけでした。この天の声によって、ユダヤ人としてのペトロがそれまで基準にして生きて来た、食べてよい物と食べてはいけない物とが定められている、レビ記に規定された伝統的な食物規定は、今や廃棄されたのです。そのことは食生活の違いに現われていたユダヤ人と「異邦人」との差別が廃棄されたことを意味しました。これが、ペトロが受けた「幻」に示された神のきよめでした。

・ペトロは、この幻を受けた後、コルネリウスの下から遣わされてきた使者に導かれてカイサリアのコルネリウスに家に、仲間の6人とやって来て、そこでみ言葉を語ります。すると、コルネリウスとその親族、友人たちに聖霊が降りました。使徒言行録11章16節以下で、ペトロはこう言っています。「そのとき、わたしは『(バプテスマの)ヨハネは水で洗礼(バプテスマ)を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼(バプテスマ)を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか」(16,17節)。

・私もこのペテロと同じような思いを、紅葉坂教会時代に、洗礼を受けていない者にも開かれている聖餐式を執行する決断をしたときに、個人的には持ちました。聖餐の恵みを神は全ての人にお与えになっていると思ったのです。そうであれば、どうして教会の伝統がそれを妨げることができるのだろうかという思いがありました。

・割礼派の突き上げに対して、ペトロは、ただ自分が経験した事実の証言だけを、坦々と語りました。その事実の重さが、割礼派の偏見と予断を葬ってしまったのでしょうか。18節を見ますと、「この言葉を聞いて人々は静ま」ったというのです。居丈高にペトロを突き上げていた割礼派の人々は、振り上げたこぶしを降ろさざるを得なかったのです。ペトロの語る事実の証言を聞いて、沈黙に導かれた人々は、ペトロの語った事実の証言の中に、神の言葉を聞き取ったのでしょう。沈黙することは、今までのペトロを突き上げていた彼らのあり方の非を突きつけられることでもありました。彼らは沈黙の中で、ペテロを突き上げていた自分たちのあり方の誤りを認め、神の前に本来の自分を取り戻していったのではないでしょうか。

使徒言行録では、「この言葉を聞いた人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した」と記されています。沈黙の底から湧き上がって来る新しい言葉、それは賛美の言葉です。それは新しい前提に立たしめられ、新しい形式において生き得る者とされた者の言葉です。『割礼派』は今や神の恵みの独占者ではなく、民族とその伝統の偶像化から解放され、かの『事実の証言』から得た新しい認識に生き始めようとしているのです。『神は異邦人にも命にいたる悔い改めをお与えになった』という、賛美の言葉を彼らは新しい言葉として与えられた。それはかの『沈黙』を経た者のみが語り得る言葉であったに違いありません。そしてこの賛美は、また、彼ら自身が「命にいたる悔い改め」を与えられたという感謝にもつながる言葉であったに違いありません」(関田寛雄)。

・ただこの使徒言行録の記事はルカのもので、実際には、ガラテヤの信徒への手紙を読みますと、前にも申し上げましたが、ペトロがアンティアオキアに来た時のことが記されていて、この使徒言行録でのペトロの姿とは、別のペトロの姿が記されています。エルサレムからユダヤ主義者の人たちが来るまでは、「異邦人」の人たちと一緒に食事をしていたのに、彼らが来ると身を引こうとしたというのです。「ケファ(ペテロ)は、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとした」(ガラ2:12)。そして、「バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込められてしまった」(13節)とあります。そしてそのことを、パウロは、皆の前で批判したと言われています。

・歴史的な事実としてはガラテヤの信徒への手紙の方が事実ではないかと思いますが、使徒言行録でのルカの物語には、私たちにとって大切なことが書かれていることを見失ってはならないと思います。

・私たちの中にあります、人間としての予断と偏見が通じない、神の真実がイエスによってもたらされていることを信じます。そのイエスの真実の証言の前に、人は沈黙せざるを得ないし、その沈黙を通して、自らのそれまでの過ちを悔い改めて、神を賛美することへと、自分も他者も、人は変えられていくのだということを信じます。その信仰によって、私たちは、この偽りに満ちた現実の中でも、未来を信じて生き抜くことが許されているのではないでしょうか。