なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(267)復刻版

「黙想と祈りの夕べ通信(267)」復刻版を掲載します。これも9年前のものです。

 2004年の教団総会会期中、総会に来ていた神学校時代の同級生4人で一緒に食事をしたときのこ

とが書かれています。4人の内1人は隠退しましたが、私を含めて後の3人は現役の牧師をしていま

す。S君は最近神奈川教区の教会の牧師になっていて、僕の戒規免職処分については現教団執行部

に批判的です。


       黙想と祈りの夕べ通信(267[-6]2004・11.7発行)復刻版


 先日の教団総会で東京神学大学の同級生が4人議員として来ていました。学生時代からクラスの

ことでいろいろ世話をよくしてくれた現在西中国教区の教会にいるS君が、今回も4人に声を掛け

てくれて、最後の日に昼食を共にしました。牧会に出て35年になりますので、その間70年問題

をはじめ教団の歴史を共有してきているとは言え、歴史認識や教団との関わりのスタンスは四者四

様です。大阪教区の一教会の牧師のK・N君は現在の教団の主流に近く、私とは立場を異にしてい

ます。S君は元々穏健な人ですが、機動隊導入以後の東京神学大学が全く謝罪のないまま居直り続

けていることには批判的です。しかし、教団総会で議長が1941年の教団成立以来63年の教団

の歴史の半分以上が紛争の歴史であるという言い方をしていましたが、僕たちの食事の席でS君も

同じ言い方をしました。すると、もう一人東京教区の一教会牧師のK・K君が、僕は「紛争」とい

う言い方は適切ではないと思っている、「問題提起」と言った方がよいと反論していました。僕も

この30数年の教団の歴史は教団の成立時に抱えていた問題、伝統的なキリスト教史の用語で言え

ば教会と国家の問題だと言えますが、このことを巡っての論争の時代だと思っています。しかし、

残念なことは論争が深まることなく、政治的な対応が幅を利かせてしまっているところに現在の教

団の問題があるように思っています。K・K君は僕が紅葉坂に1995年に来る前にいました名古

屋の御器所教会時代に彼も当時金沢の教会と三重の教会の牧師をしていて同じ中部教区で働いてい

ました。そのころの彼からはこの教団の30数年の歴史が問題提起の時代だという発言は聞かれま

せんでした。彼が牧師をしている東京の教会が属する東京教区北支区の交わりの中で彼の考え変わ

っていったようです。本人もそのように僕にもらしていたことがあります。特に本年5月に僕が沖

縄教区総会の傍聴に行ったとき、その沖縄教区総会でバッタリK・K君と出会ったのです。彼は東

京教区北支区から派遣されて傍聴に来ていました。キリスト教の信仰理解や聖書理解においても、

また教団問題において多分僕がこの4人の中では一番ラディカルではないかと思っています。次に

K・K君、S君、K・N君ということでしょうか。

 人間というのは不思議です。これは高校時代のクラス会に出席するときにも感じるのですが、学

生時代は潜在的にはそれぞれいろいろな違いを持っているのでしょうが、そんなに大きな違いはな

く一緒にワイワイガヤガヤやっていたように思うのです。しかし、学校を出てからの数十年のそれ

ぞれの生活の蓄積の中で友人との間に随分考え方やライフスタイルの違いを感じます。クラス会に

おいて学生時代のノスタルジアを共有できても、現在のそれぞれの差異はそう簡単には埋まりそう

にないように感じます。高校時代のクラス会はそれぞれ社会に出て持った働きが違いますから当然

と言えば当然なのですが、神学校を出た僕たち4人は牧師として教会で働いてきたという点では同

じなのです。それでも随分違いがあるわけです。これは不思議でもありまた面白くもあります。一

人一人の人間はある意味では類としての他者と全く同じ存在でありながら、個としては他者に代わ

り得ない独自性をもって現前しているということなのでしょうか。その人の個性と置かれた状況

と、そしてその人の聖書の読みのアンサンブルによって現在のそれぞれがあるのでしょう。私は私

の道を進む以外にありません。僕たち4人は牧師として後どれだけ働くことができるか、長くても

10年前後でしょう。お互いに元気でいたら、教会における牧師としての働きを終えたときに、ま

たゆっくり話して見たいと思いました。