なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(266)復刻版

 「黙想と祈りの夕べ通信(266)」復刻版を掲載します。これも9年前のものです。

 下記には第34回合同後19回教団総会のことが書かれています。その終わりに、「2年半前」には、教団

教区との自分の関わりがこのようになるとは考えられなかった、という主旨のことが書かれています。こ

の総会の2年前の第33回合同後18回総会の時に、私は神奈川教区からはじめて教団総会議員に選出されま

した。それまでは、名古屋の御器所教会18年間と紅葉坂教会に来てからの7年間は、自分が遣わされた教

会での活動に自己限定して牧師の働きをしてきました。ところが、2002年の教団総会の総会議員を選らぶ

神奈川教区総会で、神奈川教区で牧師や信徒として活動していた、1970年代に東京神学大が教授会から除

籍された3人の友人から強く薦められて、断ることができずに、その結果教区総会で教団総会議員の一人

に選出されたのです。そして、教師検定試験拒否者として参加した17回か18回の教団総会以来、本当に久

しぶりに出たのが、2002年の教団総会で、沖縄教区議長の山里勝一牧師が、その総会が終わるとき、「さ

ようなら」と言って、沖縄教区から「名称変更議案」がどうなるかと、かなり多くの方が傍聴にきていま

したが、その方々と共に教団総会会場から立ち去って行ったのです。その2年後の教団総会のことが、下

記に書かれている内容です。 


         黙想と祈りの夕べ通信(266[-5]2004・10.31発行)復刻版


 先週の水曜日は日本基督教団の総会があり、黙想と祈りの夕べは休会にさせてもらいました。教団の総

会は2年に一回開かれますが、今回は34回でした。1969年の沖縄キリスト教団(現沖縄教区)との合同後1

9回となります。今回の総会には沖縄教区は総会議員を選出せず、第33回合同後18回教団総会において沖

縄教区提案の「(日本基督教団と沖縄キリスト教団との対等な合同にふさわしい名称に日本基督教団の名

称を変えるという)名称変更議案」が審議未了廃案とされたことに対する抗議の意志を貫きました。本来

ならば合同した二つの教会の一方の沖縄教区から選出された総会議員が出席しない教団総会は開くべきで

はありません。きちっと沖縄教区との関係を回復してから開くべきでした。しかし、現在の教団執行部

(今回の総会で三役とも再任された)にはそういう問題意識が希薄です。なぜ沖縄教区が総会議員を選出

しないのかということが分からないのです。ですから、それは教憲教規違反だからもう一度総会を開いて

教団総会議員を選出するようにという勧告を教団執行部は沖縄教区にしたのです。それどころか、今回の

教団総会に前回の33回教団総会の沖縄教区選出の議員をそのまま全員推薦議員に入れたのです。14名の

内数名が出席していました。そしてその中の2名の方が沖縄教区にもいろいろな意見があり、現在の沖縄

教区の執行部の意見とは違う意見は沖縄教区の中では言えない状況があるとか発言していました。その二

人の発言は明らかに沖縄教区の分断を狙ってのものだと思います。私は沖縄教区が教団総会議員を選出し

ないことを決めた今年の5月の沖縄教区総会を傍聴しました。確かに沖縄教区の中にはいろいろな立場や

意見がありますが、教団総会議員を選出しないという苦渋の決定が沖縄教区の総会で可決されたのです。

そのことを全く無視した教団執行部の姿勢は理解しがたいとしか言えません。推測するに教団執行部の姿

勢のその根底にあるのは一つの思いあがりであろうと思われます。自分たちの考えに合わない者は排除、

切り捨てても構わないという擬似正統主義の陥り易い誤りです。かながわ明日の教団を考える会で相談

し、私が原案を書いた建議案を今度の教団総会に出しました。その内容は、〈第33回合同後18回教団総会

で沖縄教区提案の「名称変更議案」を審議未了廃案にしたことに対して教団総会として謝罪し、もし許さ

るならば、沖縄教区と共に「合同のとらえなおし」を推進する〉というものです。その建議案は総会では

取り上げられませんでしたが、沖縄教区との関係の回復はそれ以外にはないと、私は考えています。

 ところで、今回の教団総会で私は常議員の一人に現執行部を批判する側から押されて選出されました。

これから2年間常議員会に出席することになります。2年間で定期の常議員会は6回だと思いますが、次世

代以降の人たちに教団の負の荷物をできるだけ負わせないですむように、自分の役割を最大限に発揮しな

ければと思っています。沖縄教区の選出した議員がいない不当な教団総会で選任された常議員ですから、

最初から本来ならば選ばれてはいけない常議員なのです。そのことを認識している者として、また教団に

属するヤマトの人間として沖縄教区との関係を回復できる教団にどうしたらできるか、自分なりに模索

し、責任を果たしたいと思っています。しかし、2年半前には夢にも考えなかった教区教団との関わり

が、この2年半でここまで来るとは自分でもびっくりしています。