なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(127)

          船越通信癸隠横掘 。横娃隠廓9月29日        

・22日の日曜日は、礼拝の後に、Hさんが作ってくださった栗ご飯やおつゆをいただきながら、

何時もの懇談の時をもちました。この日の昼食は予定していませんでしたが、私が八時過ぎに教会

の外階段と道路から階段になるエントランスの部分(そこに風で落ち葉やごみがたまる)の掃除を

していましたら、大きなお鍋を抱えてHさんがやってきました。栗ご飯を炊いたのでと言って。お

陰で礼拝参加者は、秋の味覚を楽しむことができました。Hさん、どうもありがとうございまし

た。

・さて、この日は午後4時から川崎戸手教会で、今年度第2回の教区オリエンテーションが予定さ

れていましたので、私はオリエンテーション委員会の委員長として出席しました。オリエンテーシ

ョンは夕食を挟んで午後8時まで行います。今回は参加者が少なかったので、私の方で夕食を買っ

て行くことにしていましてので、早めに船越教会を出て、横浜駅構内の崎陽軒売店で購入し、JR

で川崎に行き、バスで川崎戸手教会に行きました。比較的順調でしたので、川崎戸手教会には午後

3時過ぎには着きました。

・川崎戸手教会は、多摩川の河川敷にある主に在日の方々が住んでいた集落の中にあります。ただ

その集落は、民主党が政権をとったとき、事業仕訳がありましたが、その事業仕訳で切り捨てられ

スーパー堤防建設との関係で、住民の立ち退きが進められたところですが、現在も立ち退かない

で、そこに生活しておられる方がいらっしゃいます。川崎戸手教会は、その河川敷に立ち退かない

でいる人がいる限り、教会もその場所に留まり続ける道を決断して、現在も以前と同じように河川

敷の一番川沿いの一角に建っています。

多摩川の堤防の内側に河川敷がありますので、その場所に行くには、堤防に並行している道路か

ら、堤防をくの字型に越える大型車両が通れるくらいの道幅の道路があり、そこから河川敷に入り

ます。河川敷の入り口近辺には古紙業の会社があり、その会社の敷地の真ん中を通って行くと、す

ぐ左側に川崎戸手教会があります。その建物は在日の方が住んでいた家ですが、川崎戸手教会を設

立しました関田寛雄牧師が譲り受けて、最初はヨルダン寮として数名の学生を住まわせていたよう

です。関田寛雄牧師は、最初川崎桜本教会に関わり、その後川崎戸手教会を設立しました。最初は

多摩川の堤防の外側にある場所に桜本から生活拠点を移し、そこで教会活動もしていましたが、あ

る時期からヨルダン寮を教会の場所にして、現在に至っています。現在河川敷には、どのくらいの

住居が残っているのでしょうか。10軒ぐらいのように思いました。

・午後4時開始のオリエンテーションでしたが、4時の段階では講師の川崎戸手教会S牧師を入れ

て4名でした。15分ほど待ちましたが、他の参加予定者が現れませんので、現在の河川敷の様子を

S牧師に案内してもらいました。河川敷の住居と住居の間の狭い迷路のような道を通って多摩川

本来の堤防に出て、下流に向かって歩くと、すぐ先にはスーパー堤防が迫っています。堤防の上に

は20階以上のマンションが林立しています。最初のマンションの手前を通って、多摩川に一番近い

場所から下に降りると、空き地が広がり、その先に河川敷があり、川崎戸手教会の建物が見えま

す。多摩川と河川敷とスーパー堤防に囲まれているその空き地に立っていると、多摩川という自然

と、人間の驕りが感じられる人工的なスーパー堤防と、戦後在日の方々を中心に、違法建築という

ことで常に立ち退きの不安を抱えながら、営々と築かれてきた河川敷の空き地が目立つ集落のこと

が、頭の中を駆け巡っていました。

オリエンテーションでは、S牧師の巧みな話術に皆引き込まれ、河川敷の歴史や川崎戸手教会の

河川敷における在日の方々との関わりなどを詳しく聞くことができました。結局参加者は講師を入

れて9名でした。

・24日(火)はシャワーの会がありました。鶴巻から午前8時には京急田浦駅に着き、そこで今回

も横須賀学院高校三年生I君と待ち合わせし、Sさん、K・Aさんと横須賀の路上生活者のパトロ

ールに参加しました。ホームレスの方の中には、行政の方でも生活保護を支給し、アパートにも入

居させたと思っていても、それを拒否する方がいます。何故拒否するのかは、本人に聞かなければ

分かりませんが、人の世話にはなりたくないという強い思いがあるのかも知れません。竹やぶの中

に青いシートで一人が体を横たえるくらいのビニールハウスを作っている方がいます。この方もそ

の一人のようです。前回ハウスは空でしたが、今回は中で休んでいるのを関本さんが確認していま

す。休んでいるので、声をかけずに確認だけしてきました。

・ホームレスとしてこの都市空間で生き延びようとすれば、この方のように、どこか探してハウス

を作るか、放浪して、夜だけ駅や地下街で段ボールハウスを作ってしのぐかしなければなりませ

ん。固定したビニールハウスのような定住する場所を確保できる都市空間は、公園とか河川敷で

す。今はどうか分かりませんが、以前には上野公園には幾つかビニールハウスがありました。隅田

川や多摩川沿いにもあります。海沿いの砂防林の中にもあります。しかし、公園からの追い出し

で、公園は、今は難しいのではないでしょうか。駅や地下道でも段々難しくなってきているようで

す。路上生活者のパトロールは、そういう方々の命と生活が脅かされないためにと願って行ってい

ますので、時には行政と市民による追い出しに抗議する必要もあります。私たちは自分で選んで生

まれて来たわけではありません。全ての人間の命は所与のものです。その受けた命を互いにいたわ

り合って共に生きていくのが、本来の人間としてのあり方ではないでしょうか。排除の思想をどう

したら無化できるか。私たちにとっての重要な課題です。

・27日(金)は、寿の炊き出しにI君が参加したいというので、午前8時に彼とJR石川町駅で待

ち合わせして、炊き出しに参加しました。浅の野菜刻みの作業から、午後の配食が終わるまで、I

君は炊き出しに参加し、配食の時には彼も私も雑炊をいただきました。若い人が路上生活者のパト

ロールや炊き出しに関心をもってくれることは、うれしいことです。