なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(78)

    「再建」エレミヤ書31:1-6、2017年11月19日(日)船越教会礼拝説教

・何時の時代、どのような社会でも、人が解放されて、その与えられた命を全ての人が感謝して喜んで生

きているかと言えば、抑圧と差別から自由なそのような社会は未だ到来していないとしか言えません。

現在の私たちも、支配する者と支配される者という、他者の命と生活を奪うことによって成り立ってい

る社会構造の捕らわれの中で生活しているのであります。その矛盾が、私たちの身近な横浜寿地区のよ

うな、かつては日雇労働者の街であった寄せ場にしわ寄せされて現れています。今は東京電力福島第一

原発事故が起きた福島に、そして明治以来今日に至るまでずっとアイヌの人たちや沖縄の人たちに、戦

時中はアジアの人々に、戦後は在日コリアンに集中的に現れています。弱小民族であった古代イスラ

エルの民も、当時の覇権主義的な国々の影響を受けて翻弄されていました。

預言者エレミヤの時代のイスラエル人たちも、北イスラエルは紀元前722年にアッシリヤによって国家

が滅ぼされ、南王国ユダも紀元前587年にバビロニアによって国家が滅ぼされましたので、どちらも一

部は捕囚の民となり、一部は国家滅亡後の土地に残留の民として不本意な生活をしなければなりません

でした。特に捕囚の民にとってその生活は、想像してみても大変厳しいものがあったに違いありません。

・川崎戸手教会は多摩川の河川敷にあります。10月22日の台風の時にも多摩川の水位が上がって、川崎戸

手教会は床上40~50センチの水害を受けました。23日にその後片づけに私と連れ合いもいきました。今は

上流側の河川敷にはスーパー堤防が出来て高層マンションが建っていますが、川崎戸手教会の場所はまだ

以前のままです。この場所に戦後在日コリアン人たちが集落をつくって住んでいました。この場所に住宅

を建てるのは違法なのですが、他には住むところがなかったので、この場所に在日コリアンの方々が住み

着くようになったのです。関田先生が最初に開拓伝道をした川崎桜本教会を辞めて、多摩川の堤防の市街

地側に家を持ち、保育園をしながらこの地に開拓伝道をはじめました。今の河川敷にある川崎戸手教会は

在日コリアンの方の家を関田先生が購入されて、河川敷に沢山の在日コリアンの方々が住んでいましたの

で、多摩川の堤防の市街地側の家から河川敷のその家を伝道の拠点にしたのです。それが現在の川崎戸手

教会です。今は殆どの在日コリアンの方々はその場所を立ち退きしていますが、数件未だ残っているとこ

ろがあるので川崎戸手教会も河川敷に留まっているのです。でもそろそろそこを立ち退くようになるよう

です。

・私は多摩川の河川敷のような在日コリアンの方々の集落ではありませんが、在日コリアンの方々も周り

に沢山住んでいましたが、東京足立区の荒川の埼玉寄りの地域にありました、主に廃品回収で生活してい

たいわゆる括弧付きの「バタヤさん」の集落に若い時に関わった経験がありますので、劣悪な住環境の中

で生きていく人の生きる厳しさには、少しは理解しているつもりです。ですから多摩川の河川敷に生活し

ていた在日コリアンの方々の生活も多少は想像できるように思います。

多摩川の河川敷に集落をつくらざるを得なかった在日コリアンの方々のように、アッシリヤやバビロン

で捕囚の生活を強いられたイスラエル人たちも、捕囚地の片隅で片寄せ合って生き延びていたのではない

かと思われます。方や捕囚にはなりませんでしたが、国が滅亡してその地に取り残されたイスラエル

人々も、捕囚の民とは違ってはいたでしょうが、様々な困難に直面し、それを乗り越えながら生き延びて

いたに違いありません。

預言者はそのような同胞であるイスラエルの人々に向かって、彼ら・彼女らの神ヤハウエへの不信と背

反というその罪の裁きを語る審判預言と共に、彼ら・彼女らに希望を告げる救済預言も語りました。エレ

ミヤ書30章から33章の<これらの四つの章は、エレミヤ書の数々の救済の言葉を包括している箇所です。

しかも、<主からエレミヤに臨んだ言葉。「イスラエルの神、主はこう言われる。わたしがあなたに語っ

た言葉をひとつ残らず巻物に書き記しなさい。見よ、わたしの民、イスラエルとユダの繁栄を回復する日

が来る、と主は言われる。わたしは、彼らの先祖に与えた国土に連れ戻し、これを所有させる」。>とい

う導入部の30:1-3にも記されているように、独立した小さな書物のように、ひとつのまとまりとなって

いる。<これらの章を理解する上で、この言葉集が、それぞれ異なった時代に語られた、様々な救済の言

葉をまとめたものであることは重要な点である。つまり、「諸国民に対する言葉」と同様に、エレミヤの

もろもろの救済の言葉を共同体は伝承し、保存したのであり、さらに捕囚後にも多くの言葉をこれに編集

付加したのである>(ヴェスターマン)と言われています。

・今日の31章1節から6節がすべてエレミヤ本人の預言であるかどうかはわかりませんが、<エレミヤの

メッセージの基本的特徴に完全に適合するという点は疑い得ない」(E・Wニコルソン)と言われますから、こ

のところもエレミヤの預言として聞くことができると思います。

・特に2節3節に注目したいと思います。ワイザーの訳でもう一度この箇所を読んで見ます。

・「ヤハウエはこう語られた、/民のうちで剣を免れた者は/荒れ野で恵みを受けた。/イスラエルは安

住の地に向かう<途上に>ある。/遠くから、ヤハウエは<彼に>現れた。わたしは、とこしえの愛を

もってお前を愛した。/それゆえ、わたしはいつまでもお前に恵みを注ぐ。」

・この2節、3節に続く4節、5節に「再び」という言葉が三度繰り返して出てきます。

「再び、わたしはあなたを固く建てる。/再び、あなたは太鼓をかかえ/楽を奏する人々と共に踊り出

る。」(4節)、「再び、あなたは/サマリアの山々にぶどうの木を植える。」(5節)。そのことから、こ

の2節、3節の預言も捕囚の民に語られた預言であることが分かります。

・「荒れ野で恵みを受けた」とは出エジプトの出来事を指します。エジプトで奴隷であったイスラエル

民がモーセによって奴隷の地エジプトを脱出して、神ヤハウエとシナイ契約を結び、神を中心として隣人

の命と生活を奪うことなく、互に分かち合い、支え合い、助け合って生きる共同体である契約の民として

歩む約束をして再出発した出来事です。それが「荒野で受けた恵み」です。

・「遠くから、ヤハウエは<彼に>現れた。わたしは、とこしえの愛をもってお前を愛した。/それゆ

え、わたしはいつまでもお前に恵みを注ぐ」とは、<かつてシナイの荒野においてあらわれ給うた神が今

や遠き異教の地においてもあらわれ、イスラエルへの契約を更新し給うというのであ>ります(関根)。

・「わたしは、とこしえの愛をもってお前を愛した。/それゆえ、わたしはいつまでもお前に恵みを注

ぐ」。この捕囚の民にエレミヤが語ったと言われる預言の言葉は、今も私たちにも語られているのではて

ないでしょうか。そしてイスラエルの民が「荒野で受けた恵み」も「わたしはいつまでもお前に恵みを注

ぐ」と言われていますように、現代の捕囚の民イスラエルである解放されなければ生きていけない、様々

な抑圧の中でもがき苦しんでいる人びとに、エジプトを脱出した出エジプトイスラエルの民に注がれた

荒野で受けた恵みが、今も注がれているのではないでしょうか。

・私たちはどちらかと言うと、政治的なポジショナリティー(立ち位置)からすると、イスラエルの民を

捕囚しているバビロン人に等しいかも知れません。捕囚の民であるイスラエルの民に語られた永遠の神の

愛(真実)を、私たちの政治的な立ち位置を無視して、私たちに語られたものとして受け取ってしまう

と、本来この永遠なる神の愛が注がれるべき人から、この神の愛を奪い取ってしまうことになるのではな

いでしょうか。解放されなければならない抑圧されて苦しんでいる人々に注がれている神の永遠の愛が、

そのような愛として、抑圧され苦しんでいる人からすれば、むしろ抑圧している場にいるかもしれない私

たちにも注がれているということなのでしょう。

・私は日本基督教団から戒規免職処分を受けて、排除された人間として、小さな集団である日本基督教団

の政治的な立ち位置としては抑圧を受けている者に属します。私の免職撤回を求め、ひらかれた合同教会

つくる会は、強権的な体質の日本基督教団を民主的な集団に変えていく運動でもあります。この会の集

会では、関田先生の発案によって毎回讃美歌「主われを愛す」の一節を歌います。この讃美歌を今日は説

教の後で歌いますが、ご存知のように「主われを愛す」の一節の歌詞は「主われを愛す、主は強ければ、

/われ弱くとも、恐れはあらじ。/わが主イエス、わが主イエス、/わが主イエス、されを愛す」です。

・この讃美歌はイエスの福音のエッセンスで、カール・バルトが彼の浩瀚な神学的著作に記したことを一

言でいえば、この「主われを愛す」であると言ったというのです。この神の愛、神の恵みが今も注がれて

いて、勇敢にもその抑圧差別を突き破って、神の契約の民の一員として生きようとしている人びとに連

なって、私たちも同じ契約の民の一員として生きていきたいと思います。

・主イエスを通して「わたしは、とこしえの愛をもってお前を愛した。/それゆえ、わたしはいつまでも

お前に恵みを注ぐ」とのみ言葉に信頼して。