なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(61)

  「二つの籠の無花果エレミヤ書24:1-10、2017年4月2日(日)船越教会礼拝説教

預言者は幻を見て、その幻を神の示しとして捉えていました。今日のエレミヤ書24章も、エレミヤが見

た幻が記されています。「主がわたしに示された。見よ、主の神殿の前に、いちじくを盛った二つの籠が

置いてあった」(24:1)と言われていますが、エレミヤは、エルサレム神殿の前にあるいちじくを盛った

二つの籠の幻を見たというのです。

・幻とは一種の幻視ではないでしょうか。実在しないものが見えるのです。アルコール依存症の方や不眠

が続いて神経が参ってしまった方に、意識障害を起こした時によく幻視が認められると言われます。アル

コール依存症の方の中には、自分のからだに小動物がはい回っているという幻視体験があると言われま

す。エレミヤはそういう状態で幻視体験をしたわけではありません。人は遭難中に幻視を見ることが多い

と言われています。この場合の幻視は、救助者や飲み物、帰る家など、遭難した人が自分の期待するもの

を脳が作り出すと見られています。預言者の幻視体験も、召命を受けて預言者として立てられた人物が、

彼が置かれた状況の中で、一体今神は何を為そうとしているのか、神のみ心は何なのか、そのことに集中

し祈り、格闘している時に、その預言者に幻視の形で神のみ心が示されるということもあり得るのではな

いでしょうか。

・おそらくエレミヤはそのようにして、エルサレム神殿の前にあるいちじくを盛った二つの籠の幻を見た

と思われます。この幻をエレミヤが見たのは、《バビロンの王ネブカドレツァルが、ユダの王、ヨヤキム

の子エコンヤ、ユダの高官たち、それに工匠や鍛冶をエルサレムから捕囚してバビロンに連れて行った後

のことであった》(1節)と言われています。これは第一回バビロン捕囚のことであって、この第一回バ

ビロン捕囚があったのは紀元前597年のことです。ユダの国の滅亡が近づいている、エレミヤとエレミヤ

の同胞であるイスラエル人にとっては破局的な状況でありました。混乱と不安と絶望に人々は支配された

に違いありません。そういう状況の中でエレミヤは真剣に祈り、神のみ心を尋ね求めていたときに、いち

じくが盛られた二つの籠の幻を与えられたのではないかと思われます。

・《一つの籠には、初なりのいちじくのような、非常に良いいちじくがあり、もう一つの籠には、非常に

悪くて食べられないいちじくが入っていた》というのです(2節)。その幻を見たエレミヤに、神はこのよ

うに言われました。《「エレミヤよ、何が見えるか。」》(3節)と。エレミヤは答えて言いました。

《「いちじくです。良い方のいちじくは非常に良いのですが、悪い方は非常に悪くて食べられませ

ん。」》(3節)と。

・するとその時、エレミヤに神の言葉が臨んだというのです。《「イスラエルの神、主はこう言われる。

このところからカルデヤ人の国(バビロニア)へ送ったユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくの

ように見なして、恵みを与えよう。彼らに目を留めて恵みを与え、この地に連れ戻す。彼らを建てて、倒

さず、植えて、抜くことはない。そしてわたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼ら

はわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとへ帰って来

る。・・・」》(5-7節)と。

・他方、第一回のバビロン捕囚を免れ、エルサレムに残された人びとについてはどうなのでしょうか。残

りの民の中で立てられた《ユダの王ゼデキヤとその高官たち、エルサレムの残りの者でこの国にとどまっ

ている者、(中にはエジプトを頼って)エジプトの国に住み着いた者》については、エレミヤが見た幻で

は、非常に悪くて食べられないいちじくのようにして、神は彼ら彼女らこそ滅ぼされるのだというので

す。《・・・わたしは彼らを、世界のあらゆる国々の恐怖と嫌悪の的とする。彼らはわたしが追いやるあ

らゆるところで、辱めと物笑いの種、嘲りと呪いの的となる。わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送って、

わたしが彼らと父祖たちに与えた土地から滅ぼし尽くす》(9,10節)と言われています。

・第一回の捕囚を免れてエルサレムに居残った人々は、ヨヤキンを始め上流階級の人々が軍事的に意味を

持つ鍛冶や工匠と共にバビロンに連れてゆかれ、捕え移されることは、聖なる地を離れ異教の汚れた地に

行くことであり、それは今まで指導者的位置に立っていた王や上流階級に対する神の当然の罰と考えてい

ました。そして捕囚から守られたという彼ら自身の運命を彼らは、彼らに対する神の恵みの証拠と解釈

し、エルサレムに居る限りこの神の好意と守りの中で自分たちは安泰である、と信じていたのであります

(ワイザー)。

・然し神はエレミヤに幻で二つの無花果の籠を示し、捕囚の民こそ良き無花果としてこれを恵み、残った

民は悪しき無花果としてこれを滅ぼすことを明らかにされたのであります(関根)。

・この神の言葉にエレミヤはどのような思いを持ったでしょうか。ああそうですかと、単純に受け入れら

れたでしょうか。エレミヤ書では、この神の言葉が第一回バビロン捕囚以後のエレミヤの基本的な考えに

なっているのですが、この神の言葉が示すイスラエルの民の未来を、エレミヤが受け入れるまでには、エ

レミヤ自身が迷い苦しみながら打ち砕かれなければならなかったのではないでしょうか。エレミヤは弱小

国ユダの民の一人として、元はと言えば同じイスラエル十二部族の宗教連合の一員であった北イスラエル

が、既に約100年前にアッシリヤによって滅亡させられていたのを知っていました。南王国ユダが北イス

ラエルと同じようにバビロニア帝国によって滅ぼされようとしているのです。何とか南王国ユダの滅亡を

留めたい、そうでなければ同胞がどのように苦しむことになるのか、計り知れない。そのために王やユダ

の高官を、そして祭司や預言者を批判してきたのです。それは何とか南王国ユダの滅亡を避けたいからで

した。

・しかし、第一回バビロニア捕囚があって、エレミヤはその考え方を変えざるを得ませんでした。イスラ

エルの民は、神の審きであり恵みでもある捕囚という出来事によって悔い改めを経なければ、イスラエル

の民の再生はあり得ないのだと。ただ神の審きであり同時に恵みでもあるバビロニア捕囚を通して、イス

ラエルの民が悔い改めを経れば、イスラエルの民の将来の再生があり得るのだと。エレミヤはそのように

信じ、確信するようになったのです。その時、エレミヤにあって、神の審きは神の恵みともなったので

す。ワイザーが言っているように、神の恵みは、民にヤハウエの真の本質を認識する「こころ」を贈るこ

とによって、民に悔い改めに導くものだからであります。

・神の恵みが人間の悔い改めよりも先行します。神の恵みは人の悔い改めに依存するというなら、それは

神の恵みではありません。それはエレミヤの信仰とは遠いものでしょう。むしろここで言われている所か

ら読みとれることは、捕囚の民は神の歴史の中で受くべき処罰をすでに受けたから(5節《このところか

らカルデヤ人の国に送ったユダの捕囚の民》)、神の恵みを受けるのだ、というのです(5~7節《・・・

ユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう。彼らに目を留めて恵

みを与え、この地に連れ戻す。彼らを建てて、倒さず、植えて、抜くことはない。そしてわたしは、わた

しが主であることを知る心を彼らに与える。》)。そして神の恵みをうけて始めて悔い改めが可能となる

のであります(7節《彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしの

もとへ帰って来る》)。7節終わりの悔い改めの前に神の恵みがすでに与えられていることに深く注意し

なければなりません。

・このようにして捕囚にあったことが神の歴史の中での恵みを受ける理由となることは勿論人の側での信

仰と無関係ではありません。事実捕囚の民のある者は処罰の厳しさに心弱くなって信仰を失い、異教の誘

惑にまけ、世俗的な生活に溺れていったのです。然し他の者は処罰を通じて真に低くせられ、神の恵みを

受けるに適わしいものとされたのです。このような人間の側の受け方をも含んで、神は罰を受けた者を恵

むということが人に対する神の扱い方であると思われます。罰を受けた者は神の歴史の中で先を歩いてい

るのです。神の歴史が先で、人は唯その中に置かれているものに過ぎません。

・勿論残った人々に感謝はあったでしょう。然しそれはいわば直接的な感謝であり、悔い改めの感謝では

ありませんでした。彼らは罰を免れたことを以って誇り、自分達こそ神に恵まれた者と考えました。けれ

ども、そのことこそ神の恵みから遠いものであったのです。エゼキエル書が示しているように第一回捕囚

以後のエルサレムの宗教的堕落はひどいものでありましたった(エゼ8:12,13:12:2:14:3)。そしてこの

堕落は右のような神の恵みに対する高ぶれる想いと無関係ではなかったであろう。それに対して捕囚の

人々は笑いよりも涙が近い人々でありました(詩137:1)。然しそれ故これらの人々こそ神の恵みに近

かったのであり、否神の恵みは神の審判の中にすでに隠れた形で存在していたのであります。・・・神の

恵みによって受けた苦難が生きてくるのであり、罰せられただけでは人間は駄目になってしまいます。第

一回捕囚の後エレミヤが審きを通しての恵みを直ちに発見し、神との契約の更新という信仰を懐いたこと

は驚くべきことです。エレミヤが如何に神の赦しの恵みを切に求めていたかということではないでしょう

か。然しその赦しは偽りの預言者達の説いたような安価な直接の赦しではなく、厳しい審判を通った後の

赦しであり、審きと離れない厳しい恵みであったのです。罪のます所、審きを通じて恵みはいよいよ溢れ

たのです。(以上関根による)。

・このようなエレミヤの信仰からすれば、私たちは敗戦の苦難を神の審きであり、神の恵みとして受け止

めたのでしょうか。戦後しばらくは日本の教会にはそのような認識が余りなかったように思われます。戦

前と戦後に断絶はなくつながっていたのです。戦後22年を経て、1967年のイースターに「第二次大戦下に

おける日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)を言い表した時に、私たちの教会は敗戦を神の

審きであり、神の恵みであるという認識に達し、悔い改めることができたのではないでしょうか。戦責告

白の最後にこのように記されています。

・「終戦から20年余を経過し、わたしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、

ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたしどもは、教団がふたた

びそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、

主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります」。

・「愛する祖国」という言い方には抵抗を覚えますが、「日本の国が再び憂慮すべき方向に向かっている

ことを恐れ、教団(私たち)がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命

を正しく果たすことができるよう、に」という思いは共有できます。

・そしてこの戦責告白から50年が経過した今、安倍政権の暴走を前にして、私たちはますます強くその思

いを共有し、主の助けと導きを祈り求めつつ、私たちに与えられている責任を果たしていきたいと願うも

のであります。