船越通信癸械娃掘。横娃隠掲4月2 北村慈郎
・26日の礼拝は世界祈祷日の式文(フィリピンからのメッセージ)によって行いました。何時ものよう
に講壇と会衆席は対面ではなく、輪になるような形でみんなが座り、説教も講壇からではなくその場所で
行いました。中央の台には捧げものとしてお米や野菜が置かれました。司会はHさんで、式文のリーダー
の部分を朗読し、その他は出席者が順番に朗読しました。式文は、その朗読の中で、フィリピンの方々が
置かれた厳しい状況が語られ、正義と解放をもたらす神への祈りが捧げられ、正義と解放をもたらす神の
働きのために私たちが遣わされるというようになっています。礼拝後この式文礼拝がよかったという人も
いました。
・この日礼拝後の懇談を終えて、私と連れ合いは「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団合同のとらえなお
しをすすめる連絡会」(以下もとすす)の全国総会・協議会が18:30より27日(月)15:30迄大阪の東梅田
教会でありましたので、大阪に行きました。この全国総会・協議会では、2016年2月に沖縄で開催した全
国集会の総括を踏まえて今後の活動について話し合いました。私はこの会の世話人共同代表として「基調
報告」をしました。以下その「基調報告」を一部カットしてその大要を転載させてもらいます。
・機~換饅顕顱2016年2月沖縄で開催):現在も沖縄教区が教団に距離を置いている状況が続いている
中で、2016年2月にもとすすの全国集会を沖縄で開催した。発題講師は北里秀郎さんと山里勝一さんにお
願いし、了解を得ていた。しかし、全国集会開催直前に山里勝一さんから、ある沖縄教区の信徒の方から
「第二世代の牧師には教団の枠組みの中でもう語って欲しくない」と言われ、発題ができないという連絡
が事務局にあった。全国総会は開催され、北里秀郎さんの発題の後に、参加者には山里勝一さんの発題が
急遽なくなったことを事務局から報告した。その時フロアーから、「山里さんの話が聞けると思ってきた
のに」という批判的な発言があった。その発言に対しては、それは聞く側の論理ではないかという反批判
もあった。/「話を聞く」ことによって問題を認識する端緒になることは否めないが、語る側からすれ
ば、いくら話しても聞く側から何も応答がない場合、話すことの徒労から不信感や憤りを生じさせること
もまた事実であろう。しかもそうさせることに殆ど無自覚のままにである。だから、上記のように山里さ
んに語った方(以下Fさん)の、「もとすすは違うというなら、その結果を見せてくれ」という言葉に、
私たちは誠実に向かい合わなければならないと思う。その他者との誠実な向かい合いという点では、北里
さんが発題で語ってくれた言葉が響く。/《記憶を敢えて思い出して語る一人の人間の体験が自分の中で
見直され伝えられることが、その場にいなかった他者の記憶にもなっていく。それを私は想起と呼ぶ。こ
の個としての記憶への謙虚さが重要であり、私たちヤマトの人間が沖縄と出会うときその思いが大切では
ないかと考える》。《私たちが様々な課題を掲げ、市民運動、社会政治運動にせよ、スローガンを掲げ
る。如何に正しい言葉に見えても、多くの場合そこで生きてきた、これからも生き続ける人たちにとって
は、好きなときに来ては去って行くよそ者の言葉でしかない。もしそうでない、そうでありたくないとす
れば、そこで生き続けている人々に対する敬意、一歩退く、謙虚な姿勢が必要ではないか。そこに沖縄、
琉球という地に生きる人々とヤマトの我々を繋ぐもの、想起を繋ぐ大切なものがあるのではないか。記憶
を担うのは人間。具体的なあの人この人の顔と切り離せない》。/以上のような沖縄に生きる人々とヤマ
トの我々との基本的な関係性の在り方を踏まえた上で、全国集会で提起されたいくつかの問題を整理し、
今後の運動に繋げていきたいと思う。/➀ Fさんが言われたことは、沖縄に物を言わせて、それをヤマ
トの我々が聞くというだけで、何も変わらないことへの批判と考えられる。この批判にどう我々は応える
のか。/△發箸垢垢運動の一つに掲げている「合同のとらえなおしをすすめる」(戦責告白の実質化)
ということの内実は何か。/2縄の構造的差別に対するヤマトの責任について、どう応答するのか。/
せ笋凌仰と教会の信仰(村山)という問題との関連で、もとすすの運動論としては教会を巻き込む運動を
めざす。/供,發箸垢垢めざすもの:以上、2016年2月沖縄で開催された全国集会で問われた課題は、
四つにまとめることができるだろう。上記↓い蓮△發箸垢垢僚蕕瓩ら世話人代表をしてきた岩井健作
さんが、現在入所している群馬榛名のホームに私がお訪ねしたときに、世話人会へのメッセージがあれば
と私が伺ったときに述べられた以下のもとすすについての三つの希望に連関している。/㋐ 戦責告白の
実質化の一部であることは今後も継承してほしい。⇒◆㋑ 沖縄の構造的差別に対するヤマトの責任を
問い続ける。⇒/㋩ 運動論としては教会を巻き込む運動をめざしていく。⇒ぁ燭わりに(全国集会
の総括と今後へ向けて):さて、他者である沖縄の方々との誠実な向かい合いにおいて、我々の当事者性
を我々はどこまで深く自覚してきただろうか。上記の沖縄での全国集会で問われた四つの課題は、もとす
すの運動が始まった当初から問われている課題である。本来ならその課題にヤマトの我々がどのように応
答してきたのかという、暫定的な「結果」であっても、ヤマトの我々は、あの全国集会で報告するくらい
でなければならなかったのではないであろうか。しかし、全国集会の記録を読んでみれば明らかなよう
に、兵庫教区の報告以外に、我々にはそれが殆どできなかった。また、上記のまとめに引用している全国
集会での発言の殆どは沖縄の方々からのものである(この部分は割愛してあります)。このことは、Fさ
んの問題提起(上記 砲砲△襪茲Δ法△發箸垢垢亡悗錣襯筌泪箸硫罅垢發泙拭一方的に沖縄から聞くと
いう、ある種の収奪を繰り返してきたということではないであろうか。/その反省に立って、我々はこの
全国総会・協議会で上記提起されている課題にどう応えていくのかを、当事者性を自覚しつつ話し合い、
個々の置かれている場に帰って何をしなければならないかを共に探求していきたいと思う。
・29日(水)夜にはこの3月で隠退される神奈川教会のS牧師夫妻を囲んで、神奈川同信会(同志社神学
部出身牧師の集まりで、私は紅葉坂教会時代からその案内をいただいています)の送別会があり、私も参
加しました。