なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(378)+α

     船越通信、癸械沓検  。横娃隠固8月26日  北村慈郎


・個人的なことを書きました前半は省略します。


・以下に、前回の船越通信に転載しました平和集会宣言と内容的に関わりのあります、つい数日前に私の

手元に届きました「沖縄から米軍撤去を求め、教団合同のとらえなおしをすすめる連絡会」通信第24号の

私が昨年の12月に書いた巻頭言も、ここに転載しておきます。

【 一縷の望みを失わずに         世話人代表 北村慈郎

伊波洋一氏によれば、「アメリカでは、たとえばコウモリなどの野生動物や、砂漠のな

かにある歴史上の遺跡まで、それらに悪影響があると判断されたときには、もう(軍事)

訓練はできない。計画そのものが中止になる」と言う。もしその原則を日本に適用するならば、つい最近

普天間基地に隣接している保育園屋根や小学校校庭への米軍ヘリによる落下物事故が起こるはずがない

し、辺野古の海にジュゴンの藻場があり、大浦湾には貴重なサンゴがあるのだから、そこに基地を造るな

どということも不可能なはずである。ところが日本政府は米軍の言いなりに飛行再開を認めてしまうし、

辺野古では新基地工事を、反対を力でねじ伏せて進めている。なぜであろうか。

矢部宏冶によれば(※)、それは、朝鮮戦争のさなかに生まれた「米軍による日本の軍事利用体制」、つ

まり「まだ占領下にあった時代のアメリカへの戦争協力体制が、66年後(2017年段階では67年後)の今も

法的に継続しているという、『戦後日本』の歪んだ国のかたち」から来ていることになる。その日本の歪

んだ国のかたちが、米軍基地問題原発問題を必然的に引き起こすというのである。そして安保村や原子

力村を容認することによって、われわれ自身がこの国の歪んだかたちを下から支えてきてしまっているの

だと。従って、この国の歪んだかたちの矛盾が集約された場所として沖縄があり、福島があり、そこに住

む人々の苦しみがあることになる。

わたしたちは、その沖縄の人々の苦しみと沖縄の教会の苦しみを無視するのではなく、自らへの問として

ヤマトのキリスト者として何ができるかを模索するために、2004年の教団総会の時にこの会を立ち上げ

た。今回岩国で全国集会を開催し、岩国で長年基地反対運動に取り組んでいる岩国教会牧師の大川清さん

から話を聞き、岩国基地を見学した。8年前にも岩国で全国集会を行ったが、その時はまだ岩国米軍基地

の拡張工事の途中であったが、今回は広大な基地拡張工事が完成していた。基地拡張のための土砂を削り

取った愛宕山には米軍住宅と関連施設が出来ていて、野球場には「キズナスタジアム」と命名されてい

た。広大な岩国米軍基地から訓練のために米軍機が飛び立つのを眺めながら、戦争のための基地は無くさ

なければならない、辺野古に新基地を造らせてはならないと、改めて強く思わされた。

2年前沖縄で全国集会を開いた時、平良修さんから言われたことを思い出す。辺野古に来てくれることは

有り難い。しかし、辺野古だけで問題は片付かない。日米安保条約という軍事条約が底辺に流れている。

辺野古の状況を起こさないために日米安保条約を破棄する運動を起して欲しいと。この平良修さんの問い

かけに応えるには、わたしたちが辺野古の闘いに連なると共に、わたしたちの政治的自己決定権に基づい

てこの国の歪んだかたちを正す以外にない。知恵を出し合って、各地でその取り組みをしていきたい。

 ※ 矢部宏冶『日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか』(2016年、集英社)、『知ってはいけない

 隠された日本支配の構造』(2017年、講談社現代新書)参照】


・この船越通信に転載しませんでしたが、「沖縄から米軍撤去を求め、教団合同のとらえなおしをすすめ

る連絡会」(以下もとすす)通信第24号には、昨年11月に岩国で開催しましたもとすす全国集会での私の

挨拶も掲載されています。少し長くなりますが、是非多くの方々に沖縄からの問いかけに耳を傾け、それ

ぞれの場で応答していただきたいと思いますので、ここに転載いたします。


2017年度「求め、すすめる連絡会」全国集会挨拶      世話人代表 北村慈郎

                   (2017年11月19日~20日 岩国教会にて)
みなさんこんばんわ!

この集会が日曜日の夜からということで、それぞれ礼拝を済ませてから、この岩国に駆けつけてくださっ

たものと思います。このもとすすの全国集会に参加してくださりありがとうございます。

さて今回の全国集会は岩国で開かせていただきました。岩国では確か2009年にも全国集会を行っていま

す。その頃はまだ愛宕山は土砂が切り取られた状態でした。岩国基地の拡張工事もまだ完成していません

でした。愛宕山から瀬瀬戸内海へ土砂を運ぶベルトコンベアーが、まだ設置されていました。集会では井

原勝介元岩国市長の講演もありました。それから8年が経って、今年またこの岩国で全国集会を開催する

ことになりました。

ご存知のように2016年2月に沖縄で開催しました全国集会の時に、もとすすの存立にかかわる根底的な問

いがありました。もし沖縄から話を聞いたり、学ぶだけだとすれば、それは沖縄から収奪しているにすぎ

ないのではないか。もしもとすすがそうでないというのなら、その実を示して欲しいという問いです。そ

の問いを受けて本年3月に開催した全国総会では、「権力的沈黙」に居直るのではなく、何とかその問い

に応答しようともがきながら、なかなか言葉が出ない状況の中で、「それでも私たちはやる」のだという

思いは共有することができたと、私自身は思っております。

3月末にもとすすの全国総会があり、神奈川教区では6月末に教区総会がありましたが、その教区総会に

「『第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白』50年を覚え新たな行動をおこす決議の

件」という議案を有志で出すことにしました。この議案は結果的に常置委員会提案になりましたが、議員

提案議案の準備もする必要があって、メールでいろいろな方に賛同者をお願いしました。そうしました

ら、この議案の中に、《日本の第二の軍事基地県である神奈川にある教会として、厚木・座間・横須賀を

始めとする一切の軍事基地と諸施設に反対し沖縄の諸教会と連帯して、反基地の闘いを、強めます》の中

にあります「一切の軍事基地と諸施設に反対し」があるので、自分は考えが違うので、この議案の賛同者

にはなれないという人がいました。この人は官邸前のゴスペルを歌う会にも、毎月第一月曜日に防衛相前

で行われています抗議行動にも参加している人で、当然基地反対の立場の人だと思います。けれどもこの

人は、沖縄の基地を「本土」に引き取る運動に参加している人ではないかと思います。2015年に大阪の市

民団体が「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」を立ち上げましたが、2016

年には東京でも「沖縄の基地を引き取る会・東京」が立ち上がっています。現在大阪、東京に加えて福

岡、長崎、新潟と5か所で展開されているようです。

民主党の政権の時には、県外移設ということで徳之島をはじめいろいろなところが候補になりましたが、

反対運動もあり、どこも引き受け手がなく破綻してしまいました。確かその頃にも岩国でも沖縄米軍基地

引き取りの問題が起こったのではないでしょうか。

 以下は知念ウシさんの言い分です(『沖縄、脱植民地への胎動』2014年、未来社114-116頁)。

(2012年(?)2月に)《米側から在沖海兵隊の岩国への一部移転が打診されたさい、日本政府は

すぐに断った。玄葉光一郎外相(当時)は岩国市長に「お願いするつもりはないので安心してほしい」と

述べた。8月には森本敏防衛相(当時)がオスプレイ一時駐機中の山口県知事に「大変な心配、迷惑をか

け申し訳ない」「沖縄への安定的な展開のためだ」と述べた。10月には長島防衛副大臣(当時)が岩国市

長に「約二か月にわたり、岩国に留め置くことになり、負担と不安を与えてしまった。心配をおかけし

て、おわび申し上げたい」と述べた。さらに、森本防衛相が退任直前に海兵隊施設は「軍事的に沖縄でな

くてもよいが、政治的には沖縄が最適」と述べた。そしてそもそも普天間の海兵開閉航空団司令部は1976

年に岩国から沖縄に移転してきた。これから見えてくるのは、日本政府は「もう沖縄人の命は守らない」

というレベルの話ではなく、米国や(仮想)敵国に「私たちの命を差し出している」ということなのでは

ないか。だから、勝手に命を差し出された私たちは、自分や次世代の命を守るために、ありとあらゆるこ

とをやらなければならないのだ。

・・・・

安倍首相はオスプレイが、普天間基地が、そんなに必要なら、まず自分の選挙区に引き取るべきだろう。

そして山口県民は安倍首相のみならず、岸信介佐藤栄作らの首相を出し、日本の戦後安保体制をつくり

支えてきたとはいえないだろうか。そのことを県民自身はどうとらえているだろう。近代日本国家は琉球

国を武力併合し国家づくりの犠牲にして成立した。山口県は長州として近代日本のリーダー的存在であ

る。沖縄戦、現代の差別と、沖縄を犠牲にするシステムは続いている。こんな日本、日本人のあり方を山

口県民はどう考えているのか。琉球人としてぜひ聞いてみたい。

ただ、このことを、沖縄県(民)vs山口県(民)とされ、他の45都道府県の日本人が自分の問題ではな

いと、高見の見物をするなら、それは違う。もし、在沖基地が例えば佐賀空港や茨木空港、他の自衛隊

地に移されるとなっても、カマドゥーは反対しないだろう。他の日本人にもこれまでの通り、「自分のと

ころに引き取って、持って帰って、自分でなくしてくれ」と言い続けるだろう。山口県民も自分のところ

に引き取るのがいやだとか、これ以上の負担はしたくない、とかいうのなら、沖縄に押し戻すのではな

く、沖縄以外の45都道府県に負担を求め、安保がなくなるまで自分たちで減らすなり、なくすなり、なん

とかしようと、呼びかけてほしい》。

この知念ウシさんの言葉を紹介したのは、もとすすの全国集会が岩国で行われるからということもありま

すが、ウチナンチューとヤマトンチュウー、「本土」と沖縄の関係において、日本国とヤマトンチューは

米国と共に沖縄とウチナンチューを今も植民地化しているのではないかという問いに、私たちがどう応え

るのかということを考えたかったからです。この問いに、先ほど神奈川教区総会議案をめぐる問題をお話

ししましたが、その議案の賛同者を断った人のように、在沖米軍基地の「本土」引き取り論によって応え

るのかどうか、ということです。

わたし自身はこの問いそのものの妥当性は否定できないと思っています。それに対する自分の立ち位置と

しては、琉球新報社の新垣毅さんが編集した『沖縄の自己決定権~その歴史的根拠と近未来の展望~』の

中で東京造形大学教授の前田明さんが述べているのに近いと思っています。前田明さんは、「沖縄の基地

の現状は。」という問いにこう答えています。

《極めて差別的な処遇だ。そのことを圧倒的多数の本土の人たちは分かっているが、安保条約があり、日

本政府の政策なので仕方がないという風潮に慣らされている。/平和・護憲の運動内では沖縄を差別すべ

きでないという共通認識はある。それに対して『平和運動をやるのなら基地を本土に持って帰れ』との主

張が沖縄にはある。それを受け止めようにも本土側の運動に何ができるかというと難しく、立ち止まって

しまう。すると『やはりヤマトの運動は植民地主義の中にある』といわれる。一理あると思う。沖縄での

先住民の議論や新しい独立論の議論における、植民地主義への問題提起として捉えたい》(同書142

頁)。

一方沖縄の米軍基地の「本土」引き取り論に立つ高橋哲也さんに対する、目取真俊さんのこのような批判

もあります。

《…髙橋さんに言いましたけど、そんなことしている暇があったら、あなた自腹を切って辺野古に来て、

集会をやっているときにトイレ送迎の運転手をしたり、裏方の仕事を手伝った方がいいよ。その方がずっ

と役に立ちますから。沖縄から「米軍基地を引き取れ」という声があって、それを主体的に受け止めて、

「本土」から応答して、自分の後ろめたさは解消されるかもしれないけれど、実際上は効果がないわけで

す。むしろ、日本政府は「引き取り論」が広がることを喜びますよ。辺野古には来ないで「引き取り」運

動をする人が増えれば日本政府には都合がいい。しかし、辺野古のゲート前で毎日苦労している人からす

れば、辺野古に来て座り込む一員になってもらった方が、はるかに助かるわけですよ》(『沖縄と国家』

2017年、角川新書、65-66頁)。

もとすすの立ち上げは2004年10月の第34回(合同後第19回)教団総会です。この時「沖縄から米軍基地撤

去を求め、・・・」という会の名称をつけましたが、その時は「沖縄の米軍基地を「本土」に引き取る」

という考えはなかったと思います。1995年の少女を3人の米兵が強姦したという悲惨な事件が起き、米軍

基地返還の声が高まった時に、当時の太田昌秀知事は「安保が必要だというのなら、本土も応分の負担を

すべきだ」と言いました。この大田知事の発言も引き取り論ですが、「日本へ米軍基地を持ち帰って欲し

い」という主張は、野村浩也『無意識の植民地主義~日本人の米軍基地と沖縄人』(2005年、御茶の水書

房)によってはじめて理論的に裏付けられたのではないかと思いますので、もとすすの立ち上げがこの本

が出る前ということもあったかと思います。現在この「引き取り論」による運動が広がりつつある中で、

もとすすに連なる私たちとしてはどう考え、どう行動していくのかを、今回極東最大の米軍基地になるの

ではと言われています「“岩国の現状”から」大川さんの発題をお聞きし、岩君基地見学をしてその現状

を見て、共に「考え」たいと思います。

これをもちまして挨拶とさせていただきます。