なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(306)

        船越通信癸械娃供。横娃隠掲3月26    北村慈郎

・19日の礼拝に新しい方が3人出席しました。礼拝後自己紹介していただきました。最初私はSと言われ

ても、どこの下Sかよく分かりませんでした。その内にS牧師のご家族であることに気づきました。Sさん

はお二人の娘さんが小さかったころ、なか伝道所のメンバーでした。私が紅葉坂教会の牧師だった頃、紅

葉坂教会の日曜学校の夏期キャンプを道志村片品村の民宿でおこなったことがありました。たしか道志

村の夏期キャンプの時だったと思いますが、なか伝道所の子どもたちも一緒に参加したことがありまし

た。その中にSさんのお子さんが、二人であったか一人であったかは忘れてしまいましたが、参加してい

たように記憶しています。まだ小学生の頃だったと思います。19日の礼拝に出席されたお二人は大人の若

者になっていました。お話しをしながら懐かしく思いました。この日の礼拝後のお茶の会に残ったのは、

船越教会のメンバーでは私を含めて4人で、Sさんたち3人を加えて7人でした。たまたま私とS・Tさんが前

の週の日曜日から月曜日にかけて富士宮のNさん宅に伺い、里山づくりのことをN夫妻からお聞きし、少し

だけその作業もさせてもらいましたので、この日はNさんもいらしていて、その話題で懇談が盛り上がり

ました。懇談後IさんとN・JさんがSさんたちを裏の崖で沢山の実をつけている甘夏の木に案内し、Sさん

たちに甘夏をおみやげに差し上げたようです。私は失礼して、牧師館に戻り、後片づけや来週の準備をし

て、皆さんが帰った後、午後2時過ぎに船越教会から鶴巻に向かいました。

・20日(月・祝)は教区平和フェスタが川崎教会でありました。午前7時30分ごろには秦野西教会牧師

のS・Nさんが自動車で鶴巻のマンションに迎えに来てくれました。30食のうどんの材料をS・Nさんの自動

車に積んで、連れ合いと3人で出かけました。カーナビに導かれて、途中それほど迷うことなく川崎教会

に9時前には到着しました。少し早かったのですが、川崎教会のT師は教会の玄関を開けてくださり、教会

の中に荷物を入れてから、3人で近くファミリーレストランでお茶を飲み、9時半ごろからうどんの準備に

取りかかりました。それぞれの委員会の委員も、ブースや販売品の準備に、多民族共生をめざす小委員会

では、川崎戸手教会の方々が中心に恒例のチジミづくりの準備に取りかかっていました。ブースその他はす

べて川崎教会の2階幼稚園教室と厨房を使わせてもらいました。10時半近くになって、平和フェスタの実

行委員から礼拝開始のアナウスがあり、2階から3階の礼拝堂にみんな集まりました。開会礼拝を行い、オ

リエンテーションがあって、その後午後1時開始の「ミホプロジェクト祈りのコンサート」まで、自由な

時間で各自各委員会の展示物を見たり、食事をしたり、他の人と懇談したりして過ごしました。その時間

私はうどん販売に関わり、うどんのどんぶり洗いに専心しました。うどんは12時半ぐらいに完売しました

ので、その後いくつかの委員会の展示物を見て回り、午後1時開始のコンサートを聞くためにまた3階の礼

拝堂に行きました。「ミホプロジェクト祈りのコンサート」は、東日本大震災被災者支援活動の中から生

まれたグループによるもので、画・詩・朗読/信木美穂さんを中心に、歌/木田いずみさん、チェロ/富

田牧子さん、オルガン/原田靖子さんがそのメンバーです。コンサートは、約1時間強、福島の子どもを

描いた信木美穂さんの画がスクリーンに映し出され、その画に関係する信木美穂さんが自作の詩を朗読

し、その間に歌やオルガン、チェロの演奏が入るという構成になっています。そのコンサートを聞きなが

ら、改めて東日本大震災被災者、特に東電福島第一原発事故による放射能被害を受けている方々のことを

忘れないで支援していかなければならないと思わされました。コンサート終了後各委員会報告があり、後

片付けをした後に、S・Nさんに車で鶴巻まで送ってもらいました。平和フェスタの参加者は120人強でし

た。

・22日(水)は、午後3時ごろ教区事務所にS主事を訪ね、4月から副主事として寿地区センターで働く

ことになった、今春同志社大学神学部大学院を卒業して教団の補教師に合格内定しているOさんの教務教

師申請の書類の確認をしてきました。その後船越教会に行き、必要な仕事を済ませ、午後7時から横須賀

中央本社斎場で行われた私の遠い親戚筋に当たる人の連れ合いの通夜式に参列しました。その通夜式には

私の姉も来ていて、帰りは横浜まで一緒に帰ってきました。横浜で地下鉄で帰る姉と別れ、私はいつもの

ように相鉄で海老名まで行き、海老名から小田急鶴巻温泉駅で降り、鶴巻のマンションに帰りました。

・23日(木)は16:30から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会があり、私も委員の一人として出

席しました。この日の委員会では、2016年度の委員会活動や会計のまとめが中心でした。平和フェスタの

売り上げがあり、会計も赤字にならずに済みました。私は来年度からの課題として、この委員会活動で得

た情報や課題を教区の諸教会・伝道所にフィードバックし、教会の宣教の在り方を考える材料にしてもら

うようにする必要があるのではないかと提案しました。

・24日(金)は午後4時ごろ寿地区センターに寄り、ちょうどMさんとOさんがいましたので、Oさんが書

く書類をご本人に説明してわたし、委員会議事録等寿地区活動委員会が用意する書類をMさんにわたし

て、夜の聖書研究に間に合うようにの寿地区センターから船越教会に行きました。午後6時過ぎに船越教

会に着き、少し寒くなっていましたので部屋の暖房を入れ、聖書研究に備えました。この日はいつもの3

人が出席し、私と4人で汽謄皀2章1~5節を共に学びました。汽謄皀討魍悗鵑任い泙垢函∈の教団執行

部の護教的な信仰に通底する教会組織を守るという姿勢や、正しい教え(教理)を真理とする傾向が顕著

に見られます。イエス運動の自由さからすると、やはり形式主義に陥っているように思えてなりません。

歴史を生きるためには必要最低限として組織は必要ですが、組織の物神化に陥らないために、組織の持つ

磨性には常に自覚的でなければならいと思います。