なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(584)

船越通信、№584、2230年9月24日(日)北村慈郎

  • 17日(日)は礼拝後、7月、8月と猛暑でお休みした「ウクライナに平和を!」のスタンディングを京急田浦駅前で行いました。参加者は6人でした。日差しのある場所に立っていると、まだ心配なので、出来るだけ日陰のところに立って、「ウクライナにご支援を」とカンパを呼びかけました。この日も呼びかけに応えて、5人の方がカンパしてくださいました。30分ほどで終えて、それぞれ散会しました。NさんとSさんと私は一度教会の戻りました。お二人が帰った後、私はしばらく休み、午後2時過ぎのバスで追浜に出て、京急で川崎まで行き、川崎駅前からバスで桜本に行き、午後4時から在日大韓基督教会川崎教会を会場にして行われる、教区の本年度第2回のオリエンテーションに参加しました。今回は現場研修として、「桜本のフールドワークと青丘社の働き」を青丘社理事長の三浦知人さん、「在日コリアンの歴史と現在」を川崎戸手教会牧師の孫裕久さんに講演していただきました。オリエンテーションでは、コロナ感染拡大以前は、3年サイクルで寿(日雇い労働者と野宿者)と横須賀か厚木・座間(基地問題)と川崎(在日コリアンの歴史と現在)の現場研修を行ってきました。今回久しぶりに川崎で現場研修を行うことができました。今まで川崎で行う時は、在日の方が居住していた河川敷にあった川崎戸手教会で行っていましたが、河川敷に在日の方がいなくなり、川崎戸手教会も河川敷から現在の場所に会堂を新築して移りましたので、今回は在日大韓基督教会川崎教会をお借りして桜本で行うことにしました。桜本は在日の方々が集住する町で、三浦知人さんからは、1969年に在日大韓基督教会川崎教会付属桜本保育園開設から始まって、桜本地域で青丘社の様々な働きが広がって来た、その闘いの歴史をお聞きすることができました。孫裕久さんからは、「在日コリアン」の問題は、「在日コリアン」の問題ではなく、日本人の問題であるという本質的な指摘を受けました。16:00-18:30の短い時間でしたが、最後に参加者全員から一言ずつ感想をお聞きして、この日の会を終え、散会しました。私は、翌日も予定がありましたので、この日はすぐバスで川崎に出て、横浜経由で午後9時過ぎには鶴巻に帰りました。
  • 18(月)は午前9時半過ぎに、娘が運転する車でセンター南の近くに住んでいる私の姉を迎えに行って、センター北で京都から来た私の姪と落ち合い、4人で食事をしました。この姪は、この日一緒に行った私の姉の2歳上の既に帰天しているもう一人の私の姉の子どもになります。彼女は今連れ合いと二人で京都に住んでいて、今回横浜に来るに当たり、私や姉とも会いたいということで、私の娘がセットしてくれて、センター北で昼食を共にすることになったという次第です。昼食後、センター南の姉の家により、その姉の娘と孫ともしばらく歓談して、京都の姪を新横浜駅まで送り、娘と鶴巻に帰ってきました。親族とのこのような機会は、本当に久しぶりでした。
  • 21日(木)は国会前の座り込みの日でしたが、鶴巻は朝から雨が降って、何時も国会前に出かける時間にも雨が大分強く降っていましたので、いつも一緒に座り込んでいる一人の方に、メールで雨が大分強いので今日はお休みしますと連絡して、この日は国会前に伺いませんでした。ただこの日は夜寿地区活動委員会がなか伝道所でありましたので、午後4時過ぎに鶴巻を出て、横浜で早夕飯をすませて、午後6時半前になか伝道所に行きました。鶴巻を出る時には、雨が少し降っていましたが、横浜はすでに雨は上がっていました。この日の寿地区活動委員会では、会計報告の中で7月、8月の献金収入が少なかったという報告がありました。また、夏祭りの報告と主事の仕事をサポートするアルバイトの方が決まったという報告もありました。協議では、11月の教区の宣教基本方策会議に提出する、2024年度寿地区活動委員会の活動計画と予算について審議し、教区に提出する形に整えました。今後の活動の中では、寿地区で様々な活動をしている現場の方を講師にして、シンポジウムをという計画が提案されました。これは今までの講演会に代わる集会として企画されています。寿地区が寄せ場として日雇い労働者の街から、住民の高齢化も進み、また心身に障がいを持つ方の居住者も多く、福祉の街に変わってから大分経っています。その意味で、寿の今をよく知る必要があるのではないかという問題意識からの提案です。その方向で計画を進めて行くことにしました。また、委員の炊き出し参加と「はまかぜ」(自立訓練〔生活訓練〕短期入所施設)見学の機会を作ることにしました。センターニュースは印刷外注を含めて定期的に出せる体制を作るようにすることにしました。この日は、委員会終了後、早めに鶴巻に帰りましたが、マンションに着いたのは午後10時少し前でした。
  • 23日(土・休)13:30-16:00、紅葉坂教会で教区の自衛隊問題小委員会(基地小)主催で、映画監督の藤本幸久さんと影山あさ子さんを招いて、「台湾・沖縄・琉球弧を戦場にするな!全国キャラバン」を行いました。私は基地小の委員として午前12時には会場の紅葉坂教会に着きました。既ご藤本さん、影山さんは会場で機材の設営をしていました。藤本さんとは、2011年3月11日に紅葉坂教会で私はお会いしています。当日は今回同様に藤本さんと影山さんの「辺野古の全国キャラバン」を紅葉坂教会を会場に行うことになっていました。藤本さんが軽自動車に機材を積んで紅葉坂教会に来たのは、東日本大震災と東電福島第一原発事故が発生してから数時間後でした。私も当時会場教会である紅葉坂教会牧師として、委員の数名と集会準備に携わっていましたが、とても集会ができる状況ではなく、後日に延期することにしました。藤本さんにもそのように申し上げました。それでも数名の方はその集会のためにいらっしゃいました。その方々には事情をお話して帰ってもらいました。確かこの時の全国区キャラバンは5月に延期して開催したと思います。そんなことを思い出しながら、私は基地小の委員として受付を担当しながら、お二人のトークに耳を傾け、映像を観ることができました。特に与那国、石垣、宮古自衛隊基地建設に反対する住民の方々の姿が目に焼き付きました。