なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(578)

船越通信、№578 2023年8月6日(日)北村慈郎

 

  • 7月30日(日)も礼拝後何もありませんでしたので、残った方としばらく懇談して散会しました。私も後片付けをして、午後1時過ぎに京急田浦駅まで歩き、この日は午後2時半から紅葉坂教会で横浜地区の集会「なぜ日本では福音と人権が根付かないのか~日本の不思議、国家の秘密~」(講師:森島豊さん〔元日本基督教団長崎平和記念教会牧師〕)がありましたが、この暑さで体調のこともありましたので参加せずに鶴巻に帰ってきました。
  • 7月31日(月)は一日のんびりと過ごしました。連れ合いが帰天した後、私の勉強部屋は6畳強で一間半の押し入れのある部屋を使っていますが、連れ合いが元気なころには4畳半くらいの部屋を勉強部屋にしていましたので、本や書類が入りきれず、近くにある一畳くらいのトランクルームを借りてそこに入れていました。今はトランクルームを引き払って、今の勉強部屋にすべてを入れています。部屋の四面全体を本棚にして、本棚は二重に本を並べていますし、一部は本棚の前に棚を作って三重に並べているところもあります。それでも入りきれないので、ビニールテープで束にした本が積んであります。本だけではなく支援会の通信や裁判記録等の書類、教区の関わっている委員会の記録などの書類も山ほどあります。その本や書類が雑然と入れてある勉強部屋ですので、時には不整理な物置になっていて、必要な本を探し出すまで相当の時間を浪費せざるを得ないような状態です。そこで前々から書類の整理処分を少しずつ始めなければと思っていました。この夏には牧師休暇もありますので、そろそろはじめようということで、この日は書類の整理を行ないました。支援会関係の書類を少し整理することができました。これを手始めに疲れない程度に少しずつ、時間がある時にこの整理を進めていきたいと思っています。
  • 1日にめずらしい方から電話がありました。紅葉坂教会時代の最後の時期に私から洗礼を受けた紅葉坂教会の近くに住んでいた韓国の方です。日本に留学していた中国人と結婚していて、赤ちゃんが生まれましたが、3・11の東日本大震災による東電福島第一原発事故が起きて、直ぐに韓国に帰りました。その頃私も紅葉坂教会を辞任し、住むところは今住んでいる鶴巻に、教会は船越教会に転任した時でしたので、あわただしく過ごしていましたので、彼女が韓国に引き上げるのも把握できないでいました。それから数年経って、韓国にいる彼女から電話をもらい、赤ちゃんの成長や韓国での生活の様子を伝えてくれました。その時は彼女の連れ合いは上海にいて、二人は別居生活をしているということでした。それから10年近く経過しているかもしれません。彼女は今は上海にいて、親子一緒に住んでいるようです。私のことを思い出してくれて、うれしく思いました。彼女とご家族の上海での生活の上に主の支えお祈りしていきたいと思います。
  • 2日(水)午後6時から大和のシリウスの会議室で基地撤去をめざす県央共闘会議のピースフェスティバル実行委員会兼拡大事務局に基地小を代表して参加しました。この会は2か月ごとに行っている幹事会とは別に、コロナウイルス感染で数年行えなかった、大和駅東側プロムナードで毎年秋に行っていたピースフェスティバルを今年は行なうので、そのための準備がメインでした。基地・自衛隊小委員会(基地小)は他のグループのように模擬店を出して参加することはしていませんが、そのプログラムに広告を出して協力しています。このピースフェスティバルは横須賀でも独自に毎年行なっていますが、基地小は大和のようには横須賀の場合には協力関係はありません。午後7時には会は終わり、午後8時は鶴巻
  • 3日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日は4人で座り込みました。この日は風が強く、石壁に貼った「辺野古の基地建設に使わ  れる費用は、コロナで生活が困っている人に回せ」という大きな横断幕は、石壁の溝に留めた発泡スチロールが外れて、何度も横断幕が飛ばされそうになり、遂に諦めてその横断幕は畳んでしまわざるを得ませんでした。その代わり、風がありましたので、イチョウ並木の木陰で座っている私たちは比較的快適でした。この日私は菅政権時代に出した沖縄意見広告を、その中にある文面を菅政権から岸田政権に変えて、今までのものに加えて石壁に貼りました。「破綻した辺野古新基地断念を。命どう宝」です。午後4時少し前に片付けて、何時ものように地下鉄永田町駅に行く二人と別れて、地下鉄国会議事堂前駅に行く二人で官邸前の交差点まで来た時、官邸の向かいの交差点角に辺野古新基地建設反対の大きな横断幕2枚を記者会館側の道路の塀に掲げて一人だけで、その場所は日差しを避ける木陰は全くないところですので、この日の暑い日差しを受けて立っている人がいました。私の相棒はその人の所によって行くと言うので、私は一人で地下鉄の国会議事堂前駅から、この日は登戸に出て、南武線で川崎まで行きました。9月17日(日)に行う教区の今年度第2回オリエンテーションの会場になります在日大韓基督教会川崎教会への行く道順を確認するためです。第2回オリエンテーションは、桜本のフィールドワークと青丘社の働きを青丘社の方に話してもらい、その後補足的に川崎戸手教会牧師のSさんに「在日コリアンの歴史と現在」について話してもらうことになっています。その案内を来週には出したいと思いますので、その案内に会場への道順を入れるためです。鶴巻には午後8時過ぎに帰って来ました。

  • 5日(土)は昼前に鶴巻を出て、教区平和集会が行われる清水ヶ丘教会に行きました。開始午後1時半少し前に清水ヶ丘教会の礼拝堂に入ることができました。今回は崔善愛(チェソンエ)が講師で、ピアノを弾きながら「日本で生きる意味を問い続けて~亡命した音楽家らの声を聞きながら~」という講演をしてくださいました。日本の侵略によって自分の国にいられなくなって、侵略した国で生きなければならない在日の方々の想いへの想像力を働かせながら講演とピアノ演奏を聴きました。今年は関東大震災による朝鮮人虐殺100年ですので、そのことも重ねながら・・・・。