なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(563)

船越通信、№563 2023年4月16日(日)北村慈郎

  • 16日(日)の礼拝後、2023年度の教会総会がありましたので、昼食は総会が終わってからにすることにして、すぐ教会総会を始めました。すでに総会報告はみなさんにメールで送信されていますが、この日はいつも礼拝に出席している教会員の中で、出席できない方が数名いて、総会成立が危ぶまれていましたが、幸い6名の出席があり総会が成立しました。船越教会には教団の教会規則はありませんが、宗教法人日本基督教団船越教会規則があり、総会の運営もこの規則に即して行っています。その規則23条に、教会総会の成立は現住陪餐会員の5分の1以上の出席を必要とするとあります。船越教会は、前週にNさんが帰天しましたので、19名の現住陪餐会員になりますので、その5分の1は4名です。この日は6名の出席で総会が成立することができました。議事は、(1)2022年度教会諸報告、(2)2023年度基本方針並びに事業計画、(3)2022年度決算および2023度予算に関する件、(4)北村慈郎牧師の戒規免職処分に関する件、(5)役員選挙の件、(6)記録承認 です。例年と違って、今年は私の戒規免職問題を議事で扱いました。この問題が起きて12年が過ぎましたので、改めて船越教会として私の戒規免職問題が何かを理解し、撤回支援の確認を行うためです。議事はすべて承認され、役員選挙も4人の新しい役員を選出しました。新しい役員の方々、この1年をよろしくお願いいたします。総会を終えて、おにぎりをいただき、散会しました。その後私も後片付けをしてから、鶴巻に帰りました。この日は娘も横浜にいましたので、午後5時頃鶴巻に着き、独りでのんびりと過ごしました。この日の礼拝説教は、生前の関田先生の説教のユーチューブ視聴でしたので、前日の土曜日もゆっくりと休めましたので、寝不足もなく、いつもより疲れていないはずなのですが、鶴巻に帰ったらいつもと変わらす、何もせずに過ごしました。
  • この週は20(木)だけ予定があり、後は特にありませんでしたので、教区のオリエンテーション委員会の2023年度の4回の集会予定を4月上旬開催の委員会で決めていましたので、それぞれの発題講演者に電話ないしメールでお願いし、9月の現場研修以外はお引き受けいただきました。9月の現場研修は来週中に確認することになっていますので、新型コロナウイルス感染拡大が再流行しない限り、2023年度はほぼ平常の年のようにオリエンテーションを4回開催できると思われます。ただ今年も夕食を参加者で共にすることは避けたいと思っています。例年は日曜日の16:00-20:00(夕食を挟んで)ですが、新型コロナウイルス感染拡大以降16:00-18:30で夕食無しで開催していますので、今年もまだその時間帯を踏襲したいと思っています。
  • 20日(木)は朝8時前に鶴巻を出て、小田急鶴巻温泉駅から相模大野経由藤沢まで行き、藤沢からJRに乗り換えて、一駅ですが辻堂まで行きました。9時過ぎには辻堂に着き、10時に今度新しく船越教会の代務者にお願いしたM牧師と、船越教会の代表役員変更登記のために、辻堂の湘南法務局で待ち合わせていましたので、少し早かったのですが法務局の受付椅子に座って、M牧師の到着を待つことにしました。するとM牧師から電話とメールが立て続けに入りました。応答すると、鶴見で1時間動かず、東神奈川でまた同じ状態になり、更に事故で動かないという連絡でした。これは大分遅くなると思い、法務局の近くにあった生協のお店でサンドイッチを買い、そのお店の中にある休憩室で朝食代わりにいただきました。そして10時過ぎに法務局に戻りましたが、結局M牧師が到着したのは11時10分前でした。2階の宗教法人関係の登記事務を扱う窓口に行き、M牧師の持っている書類と私の方で用意した書類を付き合わせただけでは、変更登記は無理ということになり、私がM牧師の代理人となって、改めて宗教法人日本基督教団船越教会代務者変更登記を行うことになりました。M牧師にはわざわざ辻堂まで出向いていただき、ありがとうございました。M牧師とは法務省で別れ、その後私は、JR辻堂駅に戻り、藤沢経由小田急代々木上原まで行き、地下鉄に乗り換えて国会前の座り込みに行きました。午後1時10分には座り込みの場所に着き、何時ものように壁にアッピールのグッズを貼り、この日は私を含めて5人で座り込みました。私たちが座り込んでいる場所から、地下鉄永田町駅方面へ10メートルほどの所に、何時も一人で入管法改定反対の座り込みをしている人と、その横にもう一人新しい方が参議院議員会館前の道路石壁に横断幕を粘着テープでベタベタ貼って、座り込んでいました。すると、最初ガードマンが、粘着テープで石壁に直接貼るのは止めるように言いましたが、彼は頑として受け付けませんでした。すると参議院議員会館の職員らしい、制服を着た二人の人が来て、同じようにやめさせようとしましたが、彼はその二人をも頑としてはねつけて、座り込みを続けていました。
  • 石壁に粘着テープで横断幕を貼ったからと言って、石壁に粘着テープの粘着部分が残るぐらいで、どうということはないのですが、私たちの場合も最初は粘着テープでしたが、同じように参議院議員会館の職員から抗議されました。そこで粘着テープはやめて、石壁に70センチくらいの間隔でできている溝にグッズの端を、溝の幅に合わせた発泡スチロール差し込んで留めるようにしているのです。これだと文句は言われません。私も以前文句を言われた時に、「表現の自由だろう」と言い返しましたが、どうも粘着テープで貼ると、石壁が汚れるのが問題のようでしたので、今のように発泡スチロールに変えているのです。
  • 二人はまだ座り込みを続けていましたが、私たちは午後4時少し前から石壁に貼ったグッズをはがし、それぞれのバックやキャリアカーに入れて、解散しました。私はその後地下鉄で明治神宮前駅乗り換え副都心線で横浜に出て、JRで関内まで行き、なか伝で行われた寿地区活動委員会に出て、鶴巻に帰って来たのが午後10時近くになっていました。81歳にしては強行スケジュールでしたが、何とかなりました。