なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(538)

船越通信、№538 2022年10月30日(日)北村慈郎

 

  • 23日(日)は礼拝後いつものようにしばらくお互いに会話を交わして、この日も比較的早めに散会しました。この日は横須賀の北消防署から「立ち入り検査」の連絡が電話でお昼前に来ることになっていましたので、しばらく待っていましたが、なかなか来ませんでしたので、私の方から消防署の電話を調べて連絡しました。すると、係の人が出ているというので、私の携帯を教えて、後日連絡をくれるように伝え、その後私は船越教会から鶴巻に帰ってきました。
  • 私もこのところおおざっぱですが、食事を一日二食にして、一回目は9時台から10時台までにとり、二回目は午後4時台から5時台にとるようにしています。体の調子もさることながら、このペースですと、比較的自由な時間が多くできて、一人暮らしには都合がよいのです。このペースにしたのは最近ですが、副食もほとんど既成の冷凍総菜を利用し、早夕食は週に1~2回5時から始まる20分ほどで歩いていけるご飯やさんに行って食べて、自分で作るのは、ご飯を炊き、サラダやぬか漬けを作り、後は毎日飲んでいる野菜スープを作るくらいになっています。ですから、娘が来た時にだけ手作りご飯になることが多くなっています。この日(23日)も早夕食は、毎週土曜日の天気の良い時に三崎から軽自動車で鶴巻にやってくるお魚屋さんがあって、私のマンションの近くで販売しているのですが、土曜日に娘がそこでマグロとイサキの刺身を買っておいてくれたので、漬け丼とけんちん汁を作ってくれて、おいしくいただくことができました。娘は日曜日の早夕食を食べると、その後横浜に帰り、週日仕事をして、金曜日の夜か土曜日に鶴巻に来てくれています。
  • この週も前半は、11月6日(日)18:00-21:00、Zoomによるリモートで開催する、求め、すすめる連絡会(”もとすす”)の全国集会の発題準備に時間を使いました。沖縄教区から出ている「合同のとらえなおし」に関わる資料を読み込んできていますが、私の手元にあるものは大方読み、教団の宣教委員会や「合同のとらえなおし」特設委員会が出している資料を読み込んでいます。休憩の時に私の部屋の膨大な本や紙資料の整理も少しずつしているのですが、今回連れ合いのものを整理していましたら、『沖縄教区キャラバンの報告書』が出てきました。これは私のものの中にはありませんでしたので、天上の連れ合いがこれも読んだらと言って、私に気づかせてくれたのかも知れないと、勝手に妄想した次第です。この「沖縄キャラバン」の正式名は、「合同のとらえなおしと実質化のための沖縄教区対話の旅」です。その趣意書にはこのように記されています。「沖縄キリスト教団(沖縄教区)は1969年2月25日旧『日本基督教団』と合同した日本基督教団となった。両教団は、合同して33年の歳月を経た。合同の一方の当事者である沖縄教区(沖縄キリスト教団)は、合同の相手の16教区(旧『日本基督教団』)の教会、伝道所の方々と『合同』について対話することを望んでいる。33年を経て、常議員会などで『合同関連議案』を『沖縄関連議案』『沖縄の問題』という言葉で語られる現実がある。『合同問題』が自分たちの教会の課題になるように、諸教会を訪ね対話の輪を広げたいのである。また沖縄の宣教を共に担うための対話をしたいのである。/以上が『沖縄キャラバン』を実施する目的である」。この「沖縄キャラバン」の期間は2002年7月から、2003年3月末までになっています。ご存じのように2002年10月開催の第33回教団総会で、沖縄教区提案の「名称変更議案」をはじめ、合同のとらえなおし関連議案がすべて審議未了廃案となり、山里沖縄教区議長が「さよなら」と言って、沖縄教区が「教団との間に距離を置く」ようになりました。
  • その教団総会後も報告書によれば、「沖縄キャラバン」は続けて行なわれています。この「沖縄キャラバン」は神奈川教区も受け入れて実施しました。このキャラバンの少し前に神奈川教区の女性たちが「大きなうねりを起こす会」を立ち上げ、2002年の教団総会には、沖縄教区提案の「名称変更議案」が審議議決されるということで、沖縄から教団総会議員でない女性の信徒の方々が傍聴されるというので、「大きなうねりの会」の女性たちも、「私たちは合同教会の信徒~沖縄キリスト教団と日本基督教団~ 大きなうねりを起こす会」という横断幕を掲げて教団総会を傍聴しました。翠ヶ丘教会のFさんが「大きなうねりを起こす会」の代表で、帰天した連れ合いもメンバーでした。『沖縄キャラバン報告書』の82頁、「『沖縄キャラバン』受け入れ教区教会の応答」という表題の下には、神奈川教区の女性たちが上記横断幕を広げて、その後ろに並んでいる写真が掲載されています。その中にはTさんもいますが、連れ合いも、そしてその後沖縄の教会に赴任したKさんもいます。木曜日の国会前での辺野古新基地建設反対の座り込みでお会いするIさんもいます。20年前ですから、みんな若々しく映っています。日本基督教団は教団として公式にはこの2002年以来「合同のとらえなおし」については一切の取り組みを放棄しています。それだけではなく、その後の教団総会に教区総会決議の「合同のとらえなおし」関連議案が出て来ても、総会は否決ないしは審議未了廃案にし続けています。沖縄教区の方々の中には、将来は日本基督教団との合同を解消し、沖縄の独立教会として歩む方向を選び取ろうとしている人もいます。私は沖縄の教会の方々と共に歩んで行きたと願っていますので、教団中央が「合同のとらえなおし」を放棄したとしても、私はこの課題を担い続けていきたいと願っています。
  • 27日(木)午前11時半少し前に鶴巻のマンションを出て国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。座り込み開始の午後1時頃に座り込みの場所に着き、既に来て横断幕などを壁に貼っていた二人に挨拶し、私も何時ものようにグッズを壁に貼って座り込みの椅子に腰かけました。しばらくしたらもう一人の常連の方もいらっしゃいました。この日はもう一人、以前に私もこの座り込みで何度もお会いし、紅葉坂教会の礼拝にも一度来たことのあるHさんが来て、帰天した千賀のことで私に慰めの言葉をかけてくれました。私としばらく話し合い、座り込みの途中で帰って行かれました。この日も国会会期中ですので、地方から来た陳情団と思われる幾つかの集団が通り過ぎて行きました。また、向かいの国会議事堂側の道路には国会見学の小中学生を乗せた観光バスがよく通り、バスの中から私たちや石壁に貼った横断幕などを眺めている子供もいました。午後4時少し前に片づけをして鶴巻に帰ってきました。この日は夜”もとすす”のZoomによる事務局会がありました。