なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

ローマの信徒への手紙による説教(68)

10月30(日)降誕節前第8主日礼拝(10:30開始)

 

(注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しま

しょう(各自黙祷)。

② 招きの言葉 「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。

喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。」

詩編100:1-2)

③ 讃美歌   355(主をほめよ わが心)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-355.htm

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文   詩編1:1編1-6節(讃美歌交読文5頁)

        (当該箇所を黙読する)

⑥ 聖  書  ローマの信徒への手紙16章1-18節(新約297頁)

        (当該箇所を黙読する)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌   430(とびらの外に)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-430.htm

⑨ 説  教   「紹介と挨拶」          北村慈郎牧師

  祈  祷

 

前回ローマの信徒への手紙(以下ローマ書)16章は付録であると申し上げましたが、それは一つの見解であり、この部分はパウロが書いた元々のローマ書にもあったという説もありますので、今日の16章1-16節のところも、パウロがローマの教会の人々に宛てて書いたものとして、ここからの語りかけを聞きたいと思います。

 

パウロの手紙は、初めと終わりに挨拶があります。しかし、ローマ書以外の手紙では個人的な名前を出して挨拶するとしても、自分が今一緒にいる誰誰から手紙の宛先の教会の人々に「よろしく」と言う場合がほとんどです。宛先の教会の人に挨拶する場合でも、個人的な名前は出さず、「キリスト・イエスあるに聖徒のひとりびとりに、よろしく」(フィリピ4:21、口語訳)とか、「ラオデキヤの兄弟たち、またヌンバとその家にある教会に、よろしく」(コロサイ4:15、口語訳)のように、教会全体に向かって言っています。これを、ある人は、パウロの牧会者としての深い配慮を示すものであると言っています。彼の手紙は礼拝で読まれたに違いありませんから、その時、自分の名前が出て来ない人の場合のことを、パウロは考えていたのだろうと。名前の出て来た人はうれしいでしょうが、そうでない人はいい気持ちがしないに違いないからだと思われるかです。ところが、ローマ書の場合は、手紙の宛先のローマの教会にいるパウロのかかわりのある人々に向かって挨拶をしているのであります。その点が他の手紙とローマ書の違いですし、挨拶する人の人数もローマ書では圧倒的に多くなっています。ローマ書の場合それができたのは、ローマの教会にはパウロは一度も行ったことがなかったからだと思われます。ですから、特定の人にだけパウロが挨拶をしたとしても、他の人の気分を害することはなかったからです(この部分竹森による)。

 

ローマは、日本で言えば、東京のような所です。各地から人が集まった大都市でしょう。従って、パウロにとって、多くの知人がいても不思議ではありません。パウロは、これらの人がローマの教会に落ち着いてくれるようにと願っていたでしょう。だから、ひとりびとりについて挨拶を送りながら、ローマ教会の人々にも、この人々をよろしく頼むと言っているのであります。

 

この「よろしく」というパウロの挨拶は、人と人との出会いにおける世間並みの挨拶ではありません。教会も人間の集まりですから、世間並みの挨拶もするでしょうし、お世辞もあるに違いありません。しかし、それだけでは、教会は世間での人間の集まりと変わりません。それなら、教会においては、どういう挨拶が必要なのでしょうか。よろしくと言われていますが、よろしくというのは、聖書のほかの言葉で言えば、平安があるように、ということであります。今日でも、イスラエルの人々が毎日のように用いている挨拶「シャローム」は、平安がありますように、ということです。そのように普通のことですが、それは、聖書の中では、重要な意味を持っていると思います。マタイによる福音書10章12節以下には、伝道につかわされた弟子たちが、何といったらいいか、ということが書いてあります。それは、どの家に行っても、平安を祈ってあげなさい、ということです。つまり、平安がありますようにと祈りなさい、ということであります。もし、その家が平安にふさわしくなければ、その平安は帰ってくるであろうし、それを受け付けないのなら、足のちりを払って去れ、とさえ言われているのです。平安を祈るということに、こういう厳しさがあるのだということを、私たちは忘れているのではないかと思います。言い換えれば、挨拶をするということに、こういう厳しい意味がある、ということです。

 

つまり、通り一ぺんの挨拶ではなくて、まさに、相手を根本から揺るがせるような挨拶です。このキリスト者の挨拶は、神の恵みを受けた者だけがなし得るものであり、そのことをお互いに確認し合うことである、と言うことだと思います。口に出さない挨拶もありましょう。それさえも、こういう意味と力とを期待すべきものなのであります(以上挨拶の部分はほぼ竹森による)。

 

多くの人々に対するパウロの「よろしく」という挨拶は、3節以下になりますが、その前にフェベという一人の女性が紹介されています。この人は「ケンクレアイ教会の奉仕者(執事)」でありました。ケンクレアイはコリントのエーゲ海に面した港町でした。エーゲ海を挟むそのほぼ対岸にエフェソは位置していました。コリントにはコリント湾に面したもう一つの港があって、そこからローマ方面に向かう船が出航していました。フェベは、古代ギリシャ語の発音では「フォイベー」で、その男性形は「フォイボス」で「光輝く」という意味です。この「光輝く」という意味の「フォイボス」という言葉は、アポロン神の枕詞として用いられていましたから、フェベという名前はギリシア神話から採られた名前であることが分かります。そして奴隷はしばしばギリシャ神話から名づけられていたので、彼女もおそらく解放奴隷だったのではないか(ケーゼマン)と言われています。彼女は比較的自由な立場にあり、経済的にも恵まれていたので、教会のためによく働いたのかもしれません(以上川島による)。

 

2節前半には、パウロが何故フェベをローマの教会の人々に紹介したか、その目的が記されています。「主にあって、どうか、聖者たちにふさわしい仕方で彼女を受け入れてほしい。また彼女が何かあなた方のところで必要とすることがあれば、提供してあげてほしい」(田川訳)と言われています。2節後半には、ケンクレアイの教会でフィベは有力な働き手で、パウロをはじめ多くの人々の「保護者(援助者)」だったようです。この「保護者(援助者)」は「前に立っている人と言う意味で、そこから守り手、代表者などということに用いられる」言葉だと言われています。フィベは、多くの人の教会における仕事を助け、守る働きをしていたことが分かります。ですから、パウロも、ローマにおいても、この人に十分な活動をさせたいと願って、「主にあって、どうか、聖者たちにふさわしい仕方で彼女を受け入れてほしい。また彼女が何かあなた方のところで必要とすることがあれば、提供してあげてほしい」(田川訳)と書いたのでしょう。

 

フィベの次には、パウロにとって同労者であった人が何人か出てきます。まずプリスカとアキラの夫婦です。この夫婦とパウロとの関係は深いのです。パウロがはじめてコロントに着いた時、この夫婦は、クラウデオ帝のユダヤ人退去命令のために、ローマから逃げて、コリントに来ていたのです(使徒18:1-4)。しかも、プリスカパウロと同業の天幕造りであることから、パウロに協力したのです。その後、パウロがエペソにいた時には、この夫婦もエペソにいたことがコリントの信徒への手紙一に書いてあります(16:19)。そして、今は、ローマの教会のメンバーになっているらしいのです。もともとローマにいた人なのでローマに帰っていたのかもしれません。パウロとこの夫婦との長い交わりの中で、この夫婦にパウロがどんなに助けられたことでしょうか。4節で、「彼らは私の生命のために自分たちの首をさし出してくれた人たちである」(田川訳)とまで言われているのです。それがどういうことであるかはよく分かりませんが、もしかしたら、使徒言行録19章31節以下に記されているエペソでの大騒乱の時のことであったかも知れません。こういう交わりは、フィベの場合と同じく、福音のために、互いの生命を賭けるような生活から生まれたもので、決して、安易なものではないことが分かるでしょう。それだけに、その人びとに対する挨拶の重さも知られようというものです。

 

その次に、エパイネト(田川、エパイネスト)が出てきます。この人については、ただアジア州での初穂と書いてあるだけです。アジアは小アジアのことです。そこでパウロが困難な伝道の中ではじめてキリスト者になったのがエパイネトでした。パウロにとっては忘れることのできない人であったと思われます。しかもエパイネトは、今もローマ教会で信仰生活を続けているのです。パウロにとっては大きな喜びであったに違いありません。

 

そのあとには、ローマの教会のために非常に労苦した女性マリアと、パウロと共に獄中生活をしたアンドロニコとユニアスのことが書いてあります(6、7節)。マリアはユダヤ人の女性ですが、福音を信じるがゆえに、教会に対する圧迫や迫害にもめげに、勇敢に戦ったのかも知れません。アンドロニコとユニアスは、エルサレムの指導者たちの間でも信頼されている人でありました。しかも、パウロよりも先に信仰に入ったということですから、ほとんどキリスト教の最初の頃からの信者で、「彼らは使徒たちの間で評判がよく」(7節、田川訳)と言われていますから、使徒たちと同列に考えられていた人々であったと思われます。ここには何も書いてありませんが、使徒たちに次ぐ古い信仰生活をしていた彼らはローマの教会でも重要な人であったのかも知れません。

 

もう一人、13節にルフォスという人物の名が出ています。このルフォスと言う名の人物は、マルコによる福音書のイエスが十字架に架けられるところですが、15章21節にも出てきます。「そこへ、アレキサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」(新共同訳)。もしこのシモンの息子であるルフォスがこのローマ書に出ているルフォスと同一人物であるとすると、このローマ書のルフォスの母はイエスの十字架を担いだクレネ人の妻ということになります。このルフォスの母についてパウロは、「彼女は私の母親でもある」(田川訳)と言っていますが、これは母のような愛を彼に見せてくれた女性という意味でしょう。川島さんは、「これほどパウロに親しい女性があのクレネ人シモンの妻であるとする想定は、かえってその史的信憑性をうすいものとしている」と言っています。

 

そのほか、多くの人々の名前が出ていますが、ことに9節から12節に出てくる人々は奴隷の名前が多いのです。ということは、ローマ教会に、多くの奴隷または解放された奴隷がいた、ということになります。これは、ローマ教会だけでなく、原始キリスト教のひとつの特長でもありました。多くの奴隷たちが信者になっていたからです。フィレモンへの手紙に出てくるオネシモもそのひとりです。このことは、教会が奴隷を受け入れ、他の人々と全く同じように交わっていたことを示していることにもなります。それは、外から見れば、奴隷や解放奴隷がメンバーにいる教会は蔑まれたかもしれませんが、内容からいえば、教会には、彼ら・彼女らを引き付ける強い力があったとういことになるでしょう。福音が、こうして、社会からは人間あつかいされないような人々によって、言い広められ、宣べ伝えられて行ったことは、非常に重要なことではないでしょか。

 

16節でパウロキリスト教的交わりの表明としての互いの聖なる口づけを勧めています。「聖なる口づけ」は、原始キリスト教の礼拝ですでに定着していたのでしょう。これは古代世界でさまざまな機会におこなわれた習慣をキリスト教化したものであり、キリスト者の主にある連帯を証しするものです。それはもはや単なる個人と個人の親しさと愛の表明ではありません。終わりの日の宇宙万物の救いをキリストにあって望み、その前味を味わうことをすでに許されているキリスト者の、まさに終末論的な、キリストの共同体としての全教会的な行為である(ケーゼマン)と言われています。それゆえ、パウロは続いて「キリストのすべての教会があなた方に挨拶している」(田川訳)と、この挨拶の部分を総括したのでしょう(この部分川島による)。

 

このパウロのローマ書の16章の「挨拶」のところを読んで、原始キリスト教の息吹が伝わってくるように思います。当時はキリスト者であることは、最後的には迫害を受けることを覚悟しなければならない厳しさが伴っていたと思われます。パウロ自身、自分が受けて来た苦難を列挙してコリントの信徒への手紙二の11章23節以下で語っています。その中で「死ぬような目に遭ったことも度々でした」(23節、新共同訳)と語っているのです。

 

私は洗礼を受けてから60数年になりますが、死ぬような目に遭ったのは一度もありません。苦しんだこともないとは言えませんが、戒規免職処分も、それは教会の中でのことであって、社会生活の中で他者から攻撃されて苦しんだことはありません。それでも、戒規免職処分を覚えて、去る教団総会会期中の支援会の夜9時過ぎの集会に全国から64名の方々が出席してくださり、支援の力を感じられて、力づけられましたし、嬉しかったです。

 

私たちの教会が、この社会の中で小さくされた者たちと共に生きる教会であるとすれればどうでしょうか。沖縄で今も日本政府の植民地化政策の中で、過重な負担を背負わされている沖縄の教会の人々と平和を求めてその闘いを共に励まし合いながら、私たちヤマトにある教会が生きることができるとすれば、また、沖縄だけでなく、さまざまな抑圧差別されて苦しむ人々と共に生きることができるとすれば、このローマ書におけるお互いに「平安があるように」という挨拶を交わし合い、聖なる口づけをし合う関係を、現在の日本基督教団に属する全国の諸教会・伝道所における交わりにおいても、私たちは喜ぶことができるのではないでしょうか。現実の教団はそういう教会とは真逆の教会ですが・・・。

 

そのような意味合いを込めてこのローマ書の挨拶の個所を読むことができれば幸いです。

 

祈ります。

 

  • 神さま、今日も会堂での礼拝を行うことができ、心から感謝いたします。
  • 神さま、あなたは私たちを招き、教会を世の光・地の塩として建てられました。それは、あなたに逆らい、自己中心に生きる人間が造り出すこの世界の中に、この世で最も小さくされた者をも排除せず、私たち人間が共に生きる、あなたに造られた者として回復するためです。どうぞ私たちが、そのあなたの御心を私たちの心として歩むことができますように導いてください。
  • ウクライナにおけるロシアの軍事侵攻が停止し、一刻も早くウクライナに平和がもたらされますように。
  • 気候変動による自然による災害が世界に広がっています。この危機を乗り越える知恵と行動を私たちに与えて下さい。
  • 今さまざまな苦しみの中にある人びとを助けてください。
  • 今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスさまのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン

 

⑩ 讃 美 歌     390(主は教会の基となり)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-390.htm

⑪ 献  金 (後日教会の礼拝が再開したら捧げる)

⑫ 頌  栄  28(各自歌う)                                                        

讃美歌21 28(み栄えあれや)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑬ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑭ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。