なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(537)

船越通信、№537 2022年10月23日(日)北村慈郎

 

  • 16日(日)は久しぶりの秋晴れの日曜日で、気持ちよい日でした。この日は礼拝後予定していた京急田浦駅前での「イクライナに平和を!」のスタンディングを、参加者5名で行いました。約40分のスタンディングでしたが、この日も数名の方がカンパしてくださいました。ロシアによるウクライナ軍事侵攻から8か月になりますが、停戦も終戦も期待できない状況で、戦争はまだまだ長続きしそうな気配です。その間一番苦しむのは個としてのウクライナの人々です。帝国主義的な国家の横暴な戦争行為をどのように食い止められるのか、という問いに、今多くの国々は軍事力による抑止に動いているかに思えますが、それでは戦争を食い止めることはできないのではないでしょうか。スタンディングをしていても、そのことが頭から離れません。国家の壁を開いたり、低くして、人と人との交流が国家を超えて広がっていくこと、そして憲法第9条による世界平和の実現を心から願わざるを得ません。この日はスタンディングの後、NさんとSさんと私の3人は船越教会に戻り、その後散会しました。
  • 17日(月)は、船越教会で15日(土)に準備しておいた、永眠者記念礼拝案内のはがき、教区の本年度第2回オリエンテーション(11月20日、蒔田教会で開催、テーマは「合同のとらえなおし」)の案内、沖縄から米軍基地撤去を求め、教団「合同のとらえなおし」をすすめる連絡会の全国集会(11月6日(日)夜Zoomオンラインで開催)のチラシの教区の諸教会・伝道所への発送等の作業を行い、すべて発送することができました。
  • この週も前半は「合同のとらえなおし」の問題との関連で、沖縄教区側から出ている文書の一つ『旧沖縄キリスト教団第二世代牧師懇談会会議録』の後半を読み、一応読了しました。69年「合同」は、沖縄の教会からすれば、第二世代の牧師が中心にすすめたものですが、その第二世代の牧師の中には、69年合同は拙速すぎたという思いを持っておられる方がおられます。今は牧師を隠退している芳澤弘和牧師は、「今後の沖縄教区」と題した文章の中で、このように述べています。「私は隠退教師ですが、隠退して初めて見えてくるものがあります。現役の時は忙しくて目の前のことに追われていて、自分のことも自分の所属している日本基督教団のことも、それと合同したかつての沖縄キリスト教団のことも、本当は何も理解してなかったことに気付かされています。まず不思議に思うことは、何故あのように早急にかっての沖縄キリスト教団が日本基督教団との合同に同意したのかということです。そこには沖縄キリスト教団としての教会性がいまだに確立していないなかで途上性を濃厚に宿していたが故に、自己より確立しているようにみられる日本基督教団の中に組み込まれることによって、安定感を得ようとした感じがするのです。非常に平凡な言葉で総括すれば、自らの主体性に自信がないので、おんぶにだっこという手段を選んだのではないであろうか。このような表現はあくまで教会論を念頭においた考え方です。政治的社会的文脈では当時の日本復帰運動の歴史の流れに乗った選択でもあります。いやしくも二つの異なった教会が合同するのであるから、もっと時間をかけて十分な準備をしてことに臨むべきではなかったのではないでしょうか。同じことは日本基督教団の側にも言えることです」(294頁)。この69年「合同」が拙速すぎたという見方は、今回69年「合同」や「合同のとらえなおし」についてのいろいろな文書を読み直していて、私自身も強く感じている点です。しかし、そのことは後から振り返って言えることで、実際に69年「合同」に踏み切った人々の中には、拙速すぎるとは思っていなかったのではないでしょうか。あるいはそのような思いをどこかに持っていても、69年「合同」を良しとする何か強力な力が働いて合同に踏み切ったのではないでしょうか。後から考えれば拙速すぎたと思えても、その時は歴史的必然性のようなものを感じて事を勧めたに違いありません。歴史的必然性に思えたことの中にも、後から振り返ればまだ考えなければならない多くの事柄があるということは、よくあることではないでしょうか。それを一つ一つとらえなおして、詰めていくことによって、69年「合同」を意味あるものにしていけるのだと思いますが、日本基督教団は残念ながら「合同のとらえなおし」を2002年の総会で放棄し、現在に至っております。そのような状況の中で、「合同のとらえなおし」の課題を私たちはどう担っていくのかが問われているように思います。
  • 21日(木)は久しぶりに天気が良い日で、天気を心配しないで、国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに出かけました。私が座り込みの場所に着いたときには、既に二人の方がいて、参議院議員会館前の道路の石壁にアッピールのグッズをはっていました。私も毎回4,5点アッピールのグッズ持って行き、石壁にはっています。テープで貼るとガードマンに注意されますので、石壁の溝にスポンジのようなものでグッズの端を押さえておくのです。その作業をしていたら、警察官が来て、「この座り込みは毎日行っているのですか」と質問して来ました。私は「月木です」と答えました。中には「ご苦労様です。何時までするのですか」と問いかけてくる警察官もいます。私たちが座り込んでいる所から道路対面には、普段二人の警察官がいて、こちら側を監視しているのは明らかで、警察官同士で情報は共有しているのだと思いますが、何かにつけて警察官は声をかけて来て、私たちの行動を監視しています。国会前にいると、警察は市民警察というよりも、国家警察に思えてきます。官邸前で右翼の人が日の丸を掲げてマイクで訴えていることがよくありますが、そのようなときは明らかに私服警官と思われる人が何人も監視しています。とにかく国会周辺、特に官邸周辺には警察官が多くいて、私たちの日常の生活の場とは異なっています。この日は常連のお一人がお休みで、数週間に一回参加される別の方がいらして、いつものように4人で座り込みました。この日は座り込みを終えて、そのまま高座渋谷教会に直行し、教区の基地・自衛隊問題小委員会に出席しました。最近鶴巻当たりでもオスプレイが飛行しており、米軍と自衛隊の活動が活発化しているのかも知れません。国は辺野古への土砂埋め立てを中止せず、続行していますし、南西諸島の自衛隊基地強化もあり、軍事力による抑止を名目に戦争の準備が着々と進められています。何としても阻止しなければと思うのですが。