なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(285)

         船越通信癸横牽機 。横娃隠暁10月23日    

・15日(土)13:30から六角橋教会で行われました合同問題協議会は40数名の出席があり、以前沖縄教区

の教会で牧師をしておられ、今は愛媛にいらっしゃる沖縄出身のU牧師の講演は、沖縄と沖縄の教会の歴

史を切々と語られたもので、ヤマトの人間として私は襟を正してお聞きしました。その後協議の時を持ち

ましたが、U牧師の講演を深めるというよりも、教区の沖縄交流委員会が毎年企画している「沖縄教区と

神奈川教区の交流の可能性を探る旅」に参加した方々の感想に終わってしまい残念に思いました。私はこ

の集会に参加する前に2016年度の交流の旅の報告書を読んできました。その中で沖縄教区のTさんが、ハイ

ディッガーとレビナスの違いに触れて、沖縄教区と神奈川教区をはじめ他のヤマトの教区との間での対話

には、そもそも共通の基盤がないのではないかと言われているのです。ハイディッガーの場合は同じ基盤

の上での対話だが、レビナスの場合には、土俵の違う者同士でそもそも対話が成立しないところで、どう

対話が成立するかという問題なのです。1969年の沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同は、日本基督

教団に吸収合併されるという形での合同だったわけです。そしてその後「合同のとらえなおしとその実質

化」が問われたのは、日本基督教団という土俵への吸収合併ではなく、それぞれ別々の土俵にある沖縄の

教会とヤマトの教会が一つの教会になるためでした。第33回合同後第18回教団総会で、沖縄教区提案の

「名称変更議案」をはじめ合同のとらえなおし関連議案がすべて時間切れ廃案となり、その後教団執行部

は合同のとらえなおしから手を引いているのです。そのような状況の中で、沖縄教区と神奈川教区の交流

の可能性があるとすれば、神奈川教区から、沖縄教区と同じように現教団執行部と距離を置くことになっ

ても、合同のとらえなおしを推進する何らかの具体案をもって沖縄教区の方と対話することではないでしょ

うか。そうでなければ、結果的に「交流の可能性を探る」旅ではなく、参加者が一方的に沖縄から学ぶ旅

になってしまい、結果的に沖縄教区と交流会に参加してくださった沖縄教区の方々から一方的に与えても

らうことになるのではないでしょうか。合同問題協議会では、そのような内容のことを発言しようと思い

ましたが、時間もなくやめました。

・16日(日)は農村伝道神学校の学生Iさんに礼拝説教をしてもらい、礼拝後Iさんを囲んで昼食会をもち

ました。その日は午後6時から紅葉坂教会で第71回かながわ明日の教団を考える会がありました。10月25日~

27日開催の教団総会に向けての準備と、神奈川教区の東日本大震災被災者支援について、特に神奈川教区の

或る教会が保養のために所有している一軒家を提供してくださるということで、少し古いその家を多少手を

入れて保養の家族が生活できるように、現在支援実行委員会で準備しているという報告をみなで共有しまし

た。資金が必要な時にはそれぞれの教会に働きかけて、ぜひその計画を実現したいと思います。その他では

私の支援会の活動を報告し、特に免職撤回と聖餐の場の設定教団総会議案と教団総会中の支援会の全国交流

集会についてアピールをさせてもらいました。この日の参加者は少し少な目で、特にこの日出席できなかっ

た教団総会議員の方へは、後で連絡をしました。

・18日(火)には農村伝道神学校の説教演習に行きました。20日(木)には、連れ合いがT・Tさんと翠

ヶ丘教会のI・Eさんの3人で、保養プログラムリフレッシュ@かながわのことで、仙台のエマオやいずみ行っ

ていましたので、私が国会前の辺野古新基地建設反対座り込みに参加しました。その日の夜は蒔田教会で秘

密保護法反対特別委員会主催の共謀罪に関する講演会がありました。講師は弁護士の海渡雄一さんでした。

それにも出席し、国家主導の監視社会というか、その恐ろしさを感じますので、「成立した拡大盗聴法と共

謀罪法案の相乗効果をもたらす危険性」(講演の題)について学びました。この日は木曜日でしたが、翌日

の21日に『裁判記録』が船越教会に600冊届くことになっていましたし、21日の夜は寿地区活動委員会も

ありましたので、講演会が終わってから船越教会に行きました。

・さて、19日の水曜日に関田先生からお手紙をもらいました。そこには横須賀にある某病院からこの地区の

諸教派の牧師との懇親会の案内と、その時に希望者にはインフルエンザの無料接種をしますという案内が入

っていました。船越教会は代務者の関田先生宛てに直接出されたようです。その案内をもらった関田先生は

案内の発信者のその病院のチャプレンに、北村が船越教会の実質的な牧師だから北村に出席してもらうよう

にしたいと電話をかけたようです。先生の手紙の中には、その旨を記した私信が入っていました。私は、先

生が折角そこまでしてくださったので、同病院の牧師との懇親会に出席するつもりでいました。すると、そ

の日病院のチャプレンから、鶴巻の私の所に電話がかかってきて、病院ではこれまでもそれぞれの教会の牧

師と代務者に案内を出しているので、私が来てもらっては困るという主旨のお話しでしたので、特に何も申

し上げずに、それなら伺いませんと申し上げました。そしてそのことを関田先生に報告しましたら、神奈川

教区は私を総会議員にしているのにねとおっしゃっていました。実は東湘南地区の牧師会の案内も、以前は

船越教会宛で来ていましたが、最近は委員が変ったので、代務者関田寛雄先生宛に来るようになっています。

私に対する教団の戒規免職という行為を、某病院も東湘南地区牧師会も追認するということでしょうが、こ

れは教団による人権侵害という差別の再生産であり、私にとっては二次被害ということになります。被差別

部落出身者にしても在日の方にしても、私などとは比べものにならないくらいのこのような二次被害も受けて

いるのではないかと思い、心が暗くなりました。