なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(285)

        船越通信癸横牽供 。横娃隠暁10月30日    

・23日の日曜日は、礼拝後皆さんに予定があり、いつものようにお茶の時間を持たずに、散会しまし

た。この日は横須賀のピース・フェスティバルが行われていましたので、礼拝後それに参加する方もい

ました。私は、25日から始まる教団総会会期中に行われる支援会の全国交流集会の準備があり、午後

3時半近くまで印刷物をそろえたりしました。午後4時少し前に船越教会を出て鶴巻に向かいました。

・25日(火)は教団総会傍聴のため、午後に農伝の説教演習がありましたが、休講させていただいて、

朝9時少し前に鶴巻の家を出ました。沢山の荷物をキャリーカートで運ばなければなりませんでしたの

で、小田急本厚木からはロマンスカーで新宿に出て、JRで池袋に行きました。電車は順調に行き、10

時半前に池袋に着きました。10時から支援会の全国交流集会が行われる同じ場所で、教団総会に臨む

有志準備会がありました。教団総会には私の戒規免職撤回と聖餐論議の場の設定を求める神奈川教区と

大阪教区からの議案が出ていましたので、私もその準備会に参加しました。正午少し過ぎには準備会が

終わり、午後1時半開始の開会礼拝から総会が始まり、受付は12時半過ぎから始まっていましたので、

受付をする総会議員へのアッピールとして、5~6メートルある「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひ

らかれた合同教会をつくろう!」という横断幕を掲げてロビーに立ちました。また、「北村慈郎牧師の

処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言」に賛同してくださる総会議員の方には細長いブル

ーの布リボンを身に着けていただきました。

・上記二つの議案は、総会開始直後の議事日程承認のところで、今回は議長がこの議案は教憲教規違反

であり、すでに最終決定がなされているので総会で取り扱うことはできないと言って、議場からは議長

の判断に反対する意見が出ましたが、それを無視して葬り去りました。その議論の中で、私を戒規免職

にした当時の教師委員会の委員長であるMさんが発言し、教師委員会は教師を訓練する立場にあり、私を

免職処分にしたのはその訓練に当たり、悔い改めて教師に復帰する道があるのだから、私に悔い改めて

教師に復帰するようにという趣旨のことを、私からすればその手続きの強引さや不当さを棚上げして偉

そうに述べていました。希望すれば、洗礼を受けていない人も与かる聖餐式をしている牧師は私一人で

はありませんし、相当数いるにも拘わらず、同じことをしている他の牧師に対しては訓練せず、私一人

だけにするというのは、どう考えても公平さを欠いています。上記の議案を今回は上程して、否決され

たとしても議論してもらいたかったのですが、総会開始早々に葬り去られてしまいましたので、総会の

傍聴は失礼して、26日の支援会全国交流集会だけに出ようかとも思いました。しかし、大原富枝の小

説の中に、戦国武将の時代にその戦乱をただ見守るだけの受け身の女性ですが、現実に目を背けるので

はなく、徹底的に見てやろうということが書かれていたことを思い出して、最後まで総会を傍聴しまし

た。今回も執行部側はそれぞれの議案に対して賛成、反対の意見は言わせますが、すべての議案を自分

たちの思惑通りに数で処理しました。それぞれの議案に対する執行部側とは異なる立場の人の意見には

説得力のあるものが多かったのですが、そのような意見によって動くことはありませんでした。これは

何だろうかと思わずにはおれませんでした。議場の約6割の議員は、執行部側の言うとおりに動いてい

るとしか思われません。意見を聞いてその議案を判断するという自由も、人の意見を聞いて自分を変え

るという創造性も全く感じられませんでした。ロボットのようです。これは創造性の委縮ですが、その

ような人々からは何も新しいことは生まれないのではないでしょうか。4割の議員の方々には、自由と

創造性があるように思われました。その意味で、教団総会の議決には何の期待も感じられませんでした

が、福音宣教の現場においては、そのような方々が、苦しみながらも現実と向かい合って、「現実と聖

書との往還」を生きていくことに期待したいと思いました。議長、副議長、書記は3人とも再選になり

ましたが、I議長の閉会の祈りが象徴的であるように、現教団執行部は、教団の教勢と財政の危機は語り

ますが、「国家と教会」の問題についてはほとんど眼中にないかのように触れようとしません。この執

行部の姿勢でいくと、教団は今後再び「戦責告白」を出すようにならないとも限りません。そのような

ことが起こらないように、問題の所在に気づいている者たちが、この時代と社会の中でイエスの福音の

証言者として立ち続けいかなければと思わずにはおれませんでした。

・26日(水)夜9時から開催された支援会の全国交流集会には、一日教団総会の議場で議事をこなし、

その後部落解放センターの解放劇を観て、解放劇終了の8時45分に総会会場のメトロポリタンホテルから

交流集会の会場に駆けつけてくれた教団総会議員の方々が相当いらっしゃいました。交流集会だけに来

てくださった方々を入れて99名の出席者でした。この教団総会会期中の支援会の全国交流集会は、今回

で3回目になります。2010年の教団総会直前に私の戒規免職が教団における最終決定となりましたので、

2012年が第1回、2014年が第2回、そして今年が第3回というわけです。元訴訟対策委員長のWさんから

「合同教会にとって『法』とは何か──北村訴訟の意義と今後の課題──」というテーマで発言しても

らい、続いて西中国教区議長のOさんから「ひらかれた合同教会の形成のために(常議員会と総会の報

告も含めて)」というテーマ発言してもらいました。続いてフロアーから意見を語ってもらいました。

裁判の控訴審の時に「意見書」を書いていただいたAさんが最初に、続いて何人かの方が次々と意見を

述べて下さいました。教団総会では私の戒規免職撤回と聖餐論議の場の設定議案は議事日程承認の段階

で葬られましたが、ある方は、議案の内容を戒規免職と聖餐の問題とを一緒にするのではなく、二つに

分けて、私の戒規免職については、聖餐問題と切り離して、教師委員会、最終審判委員会の手続きの無

効を求める議案にして次回の教団総会にだしたらどうかという意見がありました。その意見に反対する

人もいましたが、2年後の教団総会にはそのことも考えてみたいと思いました。今回の交流集会では最

初と最後に三線でT・Aさんにリードしてもらい「主われを愛す」と他3曲を皆で歌いました。