なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

支援会がめざすもの

最高裁上告棄却を受けて

 私たちは、日本基督教団に北村慈郎牧師への免職処分の撤回と開かれた対話を求めます!
          
                 北村慈郎牧師を支援する会一同(996名)
        

 キリストの福音にふさわしい日本基督教団の形成をめざして
                    
                              支援会世話人代表 関田寛雄


 この度私どもは最高裁への上告の棄却という結果を迎えました。組織体としての日本基督教団(以下教団)

の人事の不当な取扱いについて、人権の問題として上告して来ましたが、正義の結論とは裏腹に、北村牧師

の処分は特定宗教の教理と結合している故に裁判所としては判断できないという、一審以来の結論が一貫さ

れたことになります。その事によって、教理とは別に人権侵害の事実についても、宗教団体の事については

取扱わないという、人権的洞察をもたない日本の法廷の形式主義に対して失望を禁じ得ません。

 さてこのたびの判決はある意味で私どもに勇気と明確な決断をもたらしてくれました。それは事柄を徹底

して教会の問題として自主的に解決せよ、との間接的な促しでありました。私どもはそれを主イエス・キリ

ストからの促しとして受けとめたいと思います。現在の教団は対話が閉ざされている事に問題があります。

従って私どもの運動は正にこれからが本来の目的に即したものとなると思いますし、そうしなければなりま

せん。その目的は端的に言って、会議制を尊重し、開かれた対話のできる日本基督教団の形成です。聖霊

賜う一致をめざして、「かしら石」なるキリストを土台としての対話運動の展開です。


 私どもはこの運動の目的として五つの事をめざしたいと思います。


(1) 北村牧師の免職処分の即時撤回と教団教師としての復権を求めます。

(2) 聖餐についての論議の場が設定されることを求めます。

(3) 「戦責告白」の教団史における意義について確認することを求めます。

(4) 沖縄教区に対する謝罪と関係回復への具体的作業を求めます。

(5) 一方的な「公同教会」の主張を再考し、「合同教会」の形成を求めます。

                   Soli Deo Gloria(神にのみ栄光あれ)


              北村慈郎から   2014年7月10日
 
 最高裁上告棄却を受けて

 約2年半にわたる私の裁判は6月6日付最高裁による上告棄却をもって終了しました。先ずはこのことを、

私の裁判を支援してくださった方々、またこの裁判に関心をもって見守ってくださったキリスト教界の方々に

ご報告させていただきます。特に支援をしてくださった方々には心からお礼申し上げます。ありがとうござい

ました。

 ただこの裁判終了をもって、洗礼を受けていない人にも開かれた聖餐式を行ったという理由で、日本基督

教団における教師としての私の戒規免職処分という問題に決着がついたわけではありません。上告棄却によ

って確定しました二審高等裁判所の判決内容は、一言でいえば、私の訴えは「法律上の争訟に当たらない」、

つまり裁判所は扱わないという判断が下されたということです。私は弁護士を通して、余りにも不公正な手

続きと不当なやり方で私を戒規免職処分にした日本基督教団を人権侵害で訴えましたが、裁判所がそれを取

り上げてくれなかったのは大変残念なことです。しかし、この結果を受けて、今後は教団内運動一本に絞っ

て、私の日本基督教団における戒規免職処分の不当性を訴え、その処分取り消しを求めていくと共に、聖餐

についての自由な論議の場を形成していきたいと願っています。


 経過のあらまし

紅葉坂教会の総会決議〉

 直接のきっかけは、紅葉坂教会が1999年3月の教会総会で、洗礼を受けていない人も希望すれば聖餐

式の陪餐に与ることができる(以下オープン聖餐)と決めたことです。それまでも聖餐式の陪餐はあいまい

な形で実質的に「どなたでも」受けていました。1995年4月に私が着任したときに、あいまいな形では

問題が起こるので、このことにはっきりと道筋をつけてほしいと役員会から言われ、3年近い精力的な学び

と話し合いの結果、教会総会で教会規則8条の「聖餐には洗礼を受けた信徒があずかる」という文言を削除

しました。これが教団で承認されず、突き返されてきたのですが、その後教団は何も言ってきませんでした

ので、そのまま時がたっていきました。

 その後、私が教区や教団に積極的に関わり始め、2004年に常議員の一人(常議員会は総会に次ぐ議決

・執行機関)に選ばれました。それに先立つ2002年から教団はそれまで積み上げてきた方向をなし崩し

にし、沖縄教区(旧「沖縄キリスト教団」)との「合同のとらえなおし」議案が廃案になったり、性差別問

題特別委員会や靖国天皇制問題情報センター等が潰されたりする経過の中で、私が抗議の前面に立つこと

があり、当時の山北教団総会議長と対立する形になりました。

 〈常議員会協議会での発題〉

 2005年頃から、山北議長の発言の中に、信仰告白、教憲教規を守れということが前面に出てきました。

本来教規には明確な定めがないにも拘わらず、信仰職制委員会からオープン聖餐を各個教会が勝手にやっては

ならないという一方的な答申があったりしました。

 2006年10月の教団総会には、前回に引き続き沖縄教区が出てきませんでした。先の教団総会での「合

同のとらえなおし」関連議案の取り扱いの不誠実さに抗議して、沖縄教区が教団と距離を置くと決めたからで

す。この状態にさせたのは教団側ですから、私はおかしいと考え、常議員でしたがこの総会の礼拝で行われた

聖餐式の陪餐に与りませんでした。これが問題とされ、翌年7月に開かれた常議員会で私が聖餐について発題

を担当することになったのです。記録に残さない自由な協議という約束で、オープン聖餐を行っている教会の

考えを語ったのですが、これが「教団の公的な場で事実を認めた」こととされ、その10月に教団議長から教

師退任勧告を受けるに至りました。この勧告を私が受け入れなかったので、その後、常議員会の決議により、

教団議長が教師の戒規を扱う教師委員会に提訴したのです。


 〈教団総会における教団議長による戒規申立ては無効〉

 ところが、2008年の教団総会(44号議案)では、常議員会・教団議長による戒規申し立てを無効とす

る議案が可決されました。常議員会は、教師委員会の戒規適用に対する上告を審議する機関ですから、ここが

戒規の提訴に関わることは、上告審の中立・公平を損なうというのがその理由です。

 〈当事者不在の戒規免職決定〉

 これで戒規の問題は消えたと思いました。この教団総会後に当時の山北議長は私に電話をかけてきて、紅葉

坂教会役員会との話し合いを申し込んできました。私はその場を設定し、山北議長と紅葉坂教会役員会は話し

合い、そこで、紅葉坂教会は開かれた聖餐の旗振りはしないが、教団側も戒規で脅すことはしないという確認

をしました。ところが、何としても私を戒規にかけろという勢力が山北議長を飛び越えて強くなっていきまし

た。教団の戒規の規則(戒規施行細則)のこれまでの前例では、教師の戒規を申し立てるのは、教会役員会か

教区常置委員会だとされていました。『教憲教規の解釈に関する先例集』96番にもそのことが明記されてい

ましたが、東海教区常置委員会議長北紀吉氏や教師委員会と信仰職制委員会との間での諮問と答申のやりとり

により、この先例集96の規定がなし崩しにされていきました。教師委員会の内規でも教師の戒規の提訴は教

会役員会か教区の常置委員会で、決定は3分の2の賛成によるとなっていましたが、できれば全員賛成が望ま

しいと記されていたのです。ところが教師委員会は2009年の7月に自ら内規を改定し、戒規の申し立ては

誰でもできる、教師委員会が独自の判断で取り上げることもできることにしました。すると教師委員会が戒規

の内規を改定した2週間後に、一人の信徒常議員と同じ信徒常議員6名の賛同による私に対する戒規申し立て

が教師委員会に提出されました。教師委員会はその申し立てを受理し、2010年1月末に私の免職処分を決

定しました。私はこれを不服として上告しましたが、7月の常議員会を経て、9月21日に上告を棄却すると

いう最終決定が来ました。なおその後、東京教区の一信徒が所属教会牧師の戒規申立てを行いましたが、教師

委員会は先例集96に則って却下したという矛盾が起きています。

 〈教団総会における多数派工作(「議案ガイド」配布)〉

 2010年10月開催の第37回教団総会には、教師委員会の戒規免職決定を取り消す議案が出ていました。

しかし、この総会では、ある層の議員200名に「議案ガイド」なる文書が配られ、すべての議案の採決も三役

・常議員の選挙も、そこで指示されていた通りの結果になりました。私の免職の撤回議案も、その「議案ガイド

」に総会議案としてはとりあげないとされていて、その通りになりました。前回(2008年)までの総会では、

常議員選挙は半数連記だったのが、この総会では全数連記となり、一部の人たちが教団を乗っ取った形になり

ました。この総会では、私の上告に対する審判委員の委員長であった石橋秀雄氏が議長に、信仰職制委員会の

答申を主導した当時の信仰職制委員会委員長だった岡本知之氏が副議長に、そして当時の教師委員会で私への

戒規に関する調査員の委員長であった雲然俊美氏が書記に選出されました。この選出は偶然に起きたことだっ

たのでしょうか。私にはそうは思えません。この事実からしても、私の戒規免職は組織的に行われた、教団史

に残る不当な行為といえるのではないでしょうか。その後、副議長は伊藤瑞男氏に代わっていますが、この体

制で教団は現在に至っています。

 以上、主の枝に繋がる者として共に宣教の業に励みたいと思い、民主的な教団の形成を願って教団の体質改

善を求めます。


 (以上は2014年7月にキリスト新聞とクリスチャン新聞に出した意見広告の内容です。)