なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

最高裁上告棄却を受けて(原告)

 以下は『キリスト新聞』『クリスチャン新聞』(7月26日)に私の支援会が最高裁上告棄却を受けて出

した「意見広告」に掲載されたものです。支援会号外にも掲載されています。ここには、私が日本基督教

団において戒規免職処分を受けるまでの経過を簡単に記しておきました。この事実経過をしらない人も多

いと思います。もしどなたかに聞かれるようなことがありましたら、どうぞこれをみていただくようにし

ていただければ幸いです。

 9月25日、26日に支援会通信第11号を、支援者とともに教団の全教会・伝道所に送付することに

なっています。支援者にはすでに送付してあります号外、『キリスト新聞』『クリスチャン新聞』の意見

広告を、通信第11号とともに全教団の教会伝道所にも同封することになっています。

 最高裁上告棄却で裁判は終わりましたが、私の免職撤回の教団内運動はこれからが本番になりますので、

このブログの「裁判」は、今後の支援会の活動に関わるものを掲載するようにさせていただきます。

 

         
              原告:北村慈郎から   2014年7月10日

最高裁上告棄却を受けて

約2年半にわたる私の裁判は6月6日付最高裁による上告棄却をもって終了しました。先ずはこのことを、

私の裁判を支援してくださった方々、またこの裁判に関心をもって見守ってくださったキリスト教界の方

々にご報告させていただきます。特に支援をしてくださった方々には心からお礼申し上げます。ありがと

うございました。

ただこの裁判終了をもって、洗礼を受けていない人にも開かれた聖餐式を行ったという理由で、日本基督

教団における教師としての私の戒規免職処分という問題に決着がついたわけではありません。上告棄却に

よって確定しました二審高等裁判所の判決内容は、一言でいえば、私の訴えは「法律上の争訟に当たらな

い」、つまり裁判所は扱わないという判断が下されたということです。私は弁護士を通して、余りにも不

公正な手続きと不当なやり方で私を戒規免職処分にした日本基督教団を人権侵害で訴えましたが、裁判所

がそれを取り上げてくれなかったのは大変残念なことです。しかし、この結果を受けて、今後は教団内運

動一本に絞って、私の日本基督教団における戒規免職処分の不当性を訴え、その処分取り消しを求めてい

くと共に、聖餐についての自由な論議の場を形成していきたいと願っています。


経過のあらまし

紅葉坂教会の総会決議〉

 直接のきっかけは、紅葉坂教会が1999年3月の教会総会で、洗礼を受けていない人も希望すれば聖

餐式の陪餐に与ることができる(以下オープン聖餐)と決めたことです。それまでも聖餐式の陪餐はあい

まいな形で実質的に「どなたでも」受けていました。1995年4月に私が着任したときに、あいまいな

形では問題が起こるので、このことにはっきりと道筋をつけてほしいと役員会から言われ、3年近い精力

的な学びと話し合いの結果、教会総会で教会規則8条の「聖餐には洗礼を受けた信徒があずかる」という

文言を削除しました。これが教団で承認されず、突き返されてきたのですが、その後教団は何も言ってき

ませんでしたので、そのまま時がたっていきました。

 その後、私が教区や教団に積極的に関わり始め、2004年に常議員の一人(常議員会は総会に次ぐ議

決・執行機関)に選ばれました。それに先立つ2002年から教団はそれまで積み上げてきた方向をなし

崩しにし、沖縄教区(旧「沖縄キリスト教団」)との「合同のとらえなおし」議案が廃案になったり、性

差別問題特別委員会や靖国天皇制問題情報センター等が潰されたりする経過の中で、私が抗議の前面に

立つことがあり、当時の山北教団総会議長と対立する形になりました。

 〈常議員会協議会での発題〉

 2005年頃から、山北議長の発言の中に、信仰告白、教憲教規を守れということが前面に出てきまし

た。本来教規には明確な定めがないにも拘わらず、信仰職制委員会からオープン聖餐を各個教会が勝手に

やってはならないという一方的な答申があったりしました。

 2006年10月の教団総会には、前回に引き続き沖縄教区が出てきませんでした。先の教団総会での

「合同のとらえなおし」関連議案の取り扱いの不誠実さに抗議して、沖縄教区が教団と距離を置くと決め

たからです。この状態にさせたのは教団側ですから、私はおかしいと考え、常議員でしたがこの総会の礼

拝で行われた聖餐式の陪餐に与りませんでした。これが問題とされ、翌年7月に開かれた常議員会で私が

聖餐について発題を担当することになったのです。記録に残さない自由な協議という約束で、オープン聖

餐を行っている教会の考えを語ったのですが、これが「教団の公的な場で事実を認めた」こととされ、そ

の10月に教団議長から教師退任勧告を受けるに至りました。この勧告を私が受け入れなかったので、そ

の後、常議員会の決議により、教団議長が教師の戒規を扱う教師委員会に提訴したのです。

 〈教団総会における教団議長による戒規申立ては無効〉

 ところが、2008年の教団総会(44号議案)では、常議員会・教団議長による戒規申し立てを無効

とする議案が可決されました。常議員会は、教師委員会の戒規適用に対する上告を審議する機関ですから、

ここが戒規の提訴に関わることは、上告審の中立・公平を損なうというのがその理由です。

 〈当事者不在の戒規免職決定〉

 これで戒規の問題は消えたと思いました。この教団総会後に当時の山北議長は私に電話をかけてきて、

紅葉坂教会役員会との話し合いを申し込んできました。私はその場を設定し、山北議長と紅葉坂教会役員

会は話し合い、そこで、紅葉坂教会は開かれた聖餐の旗振りはしないが、教団側も戒規で脅すことはしな

いという確認をしました。ところが、何としても私を戒規にかけろという勢力が山北議長を飛び越えて強

くなっていきました。教団の戒規の規則(戒規施行細則)のこれまでの前例では、教師の戒規を申し立て

るのは、教会役員会か教区常置委員会だとされていました。『教憲教規の解釈に関する先例集』96番に

もそのことが明記されていましたが、東海教区常置委員会議長北紀吉氏や教師委員会と信仰職制委員会と

の間での諮問と答申のやりとりにより、この先例集96の規定がなし崩しにされていきました。教師委員

会の内規でも教師の戒規の提訴は教会役員会か教区の常置委員会で、決定は3分の2の賛成によるとなっ

ていましたが、できれば全員賛成が望ましいと記されていたのです。ところが教師委員会は2009年の

7月に自ら内規を改定し、戒規の申し立ては誰でもできる、教師委員会が独自の判断で取り上げることも

できることにしました。すると教師委員会が戒規の内規を改定した2週間後に、一人の信徒常議員と同じ

信徒常議員6名の賛同による私に対する戒規申し立てが教師委員会に提出されました。教師委員会はその

申し立てを受理し、2010年1月末に私の免職処分を決定しました。私はこれを不服として上告しまし

たが、7月の常議員会を経て、9月21日に上告を棄却するという最終決定が来ました。なおその後、東

京教区の一信徒が所属教会牧師の戒規申立てを行いましたが、教師委員会は先例集96に則って却下した

という矛盾が起きています。

 〈教団総会における多数派工作(「議案ガイド」配布)〉

 2010年10月開催の第37回教団総会には、教師委員会の戒規免職決定を取り消す議案が出ていま

した。しかし、この総会では、ある層の議員200名に「議案ガイド」なる文書が配られ、すべての議案

の採決も三役・常議員の選挙も、そこで指示されていた通りの結果になりました。私の免職の撤回議案も、

その「議案ガイド」に総会議案としてはとりあげないとされていて、その通りになりました。前回(20

08年)までの総会では、常議員選挙は半数連記だったのが、この総会では全数連記となり、一部の人た

ちが教団を乗っ取った形になりました。この総会では、私の上告に対する審判委員の委員長であった石橋

秀雄氏が議長に、信仰職制委員会の答申を主導した当時の信仰職制委員会委員長だった岡本知之氏が副議

長に、そして当時の教師委員会で私への戒規に関する調査員の委員長であった雲然俊美氏が書記に選出さ

れました。この選出は偶然に起きたことだったのでしょうか。私にはそうは思えません。この事実からし

ても、私の戒規免職は組織的に行われた、教団史に残る不当な行為といえるのではないでしょうか。その

後、副議長は伊藤瑞男氏に代わっていますが、この体制で教団は現在に至っています。

 以上、主の枝に繋がる者として共に宣教の業に励みたいと思い、民主的な教団の形成を願って教団の体

質改善を求めます。