なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(571)

船越通信、№571 2023年6月18日(日)北村慈郎

  • 11日(日)礼拝後、この日は何もありませんでしたので、早めに散会しました。皆が帰った後、私は教区のオリエンテーションの案内のための印刷物を準備するつもりでいましたところ、教会の電話が鳴り、出ました。この3月21日に開催された社会委員会主催のオンラインフェスタでの戒規免職処分についての私の講演をライブ配信で聞いて、私のことを知って電話をかけて来たようです。12時頃から午後2時半ごろまでその電話の対応をしました。その後オリエンテーションの案内に必要な書類とハガキと封筒に印刷をしてから、船越教会を出たのは、午後4時過ぎでした。横浜で早夕食をすませて、鶴巻には午後7時半ごろになりました。この日娘は用事があって、鶴巻には来ていませんでしたので、その後ひとりでのんびりと過ごしました。
  • 12日(月)は、オリエンテーションの発送作業を一人で行いました。発送作業は他の委員がしてくださるのですが、今回は打ち合わせの時間がなくて、私がするようにしたわけです。第一回オリエンテーションの発送先は、対象者と委員だけではなく、教区の教会・伝道所と東京神学大学、農村伝道神学校、日本聖書神学校に出すことになっていますので、全体で160通になりました。入れるものは、第一回オリエンテーションの案内、2023年度の4回のオリエンテーションの予定、神奈川教区オリエンテーション要綱、神奈川教区形成基本方針に返信用のハガキが、対象者と委員に、教会・伝道所・神学校にはそれにオリエンテーションの紹介文を添えて出すのです。夕方4時半には郵便局に持って行くことができ、この作業を一日で完了しました。このオリエンテーションは、神奈川教区常置委員会が設置しているもので、私たち委員は常置委員会から付託されてその作業を行っています。神奈川教区オリエンテーション要綱の1,目的にはこのように記されています。「日本基督教団はその内に多くの問題をかかえており、神奈川教区は教区として理解のもとに、それらの問題を担おうと努力している。現行の日本基督教団教師検定試験も問題をかかえて実施されており、そのことの故にさまざまな立場の受験拒否を出すことになっている。この検定試験を受験し、准允、按手を受けられる方、また他教区より転任される方にこれらの問題を共に担ってもらうことを目的にこのオリエンテーションを実施する。教区(常置委員会や教区総会)の推薦や承認等をめぐる討論の場に志願者が有意義に参加できるように同委員会はオリエンテーションを準備する。ただし、教区内の多様な意見がこのプログラムに反映するように配慮する」。今年度も4回オリエンテーションを開催することにしています。毎年第一回は「教区形成基本方針について」ですが、今年度は第2回が 現場研修「川崎桜本のフィールドワークと青丘社の働き」と「川崎における在日コリアンの歴史と現在」(仮題)、第3回が「性的少数者(LGDPQ)と教会」(仮題)、」第4回が「教団成立の問題と課題」(仮題)になっています。現場研修は、神奈川教区が抱えている宣教の課題として、川崎の在日コリアン寄せ場寿の日雇い労働者と野宿者、横須賀や厚木・座間の基地・自衛隊の三つを取り上げています。コロナウイルス感染の拡大によって3年間は現場御研修ができませんでしたが、今年度から再開することにしました。オリエンテーションにおける学びと協議を通して、宣教の課題を共に担っていくことを目ざしています。
  • 14日(水)午後8時半からZoomで関田先生のお別れ会実行委員会がありました。お別れ会は17日(土)ですので、最後の打ち合わせをしました。川崎戸手教会の孫裕久牧師が中心となって当日のプログラムや会場設営の準備をしてくださっていますが、その最終的確認をこの日の委員会で行いました。
  • 15日(木)は雨が心配でしたが、いつものように国会前の座り込みに出かけました。午後1時頃には座り込みの場所に着きました。この日は、難民の問題をマイクで訴える人と、その様子をスマホで録画している人ともう一人の3人で抗議行動をしているグループが衆議院第二議員会館前の道路にいましたが、いつも私たちが座り込んでいる参議院議員会館前の道路には誰もいませんでした。この日はいつもの4人での座り込みでしたが、道路の壁には横断幕など、途中で雨に見舞われることを予測して、何時もより少なめにして、座り込みました。案の定午後2時半過ぎには雨が降り出してきて、この日は午後3時に片づけをして、何時もより1時間ほど早く座り込みを終えました。何時も座り込みを終えると、4人の内2人は地下鉄の永田町駅から、私ともう一人は国会議事堂前駅から帰ります。ただ私の連れは、官邸の向かい交差点角で、辺野古土砂埋め立て反対の横断幕を貼って抗議行動をしている方がいる時には、必ずその方の所によって行きます。この日もそうでしたが、その場合はそこで私の連れと別れて、私はひとりで帰ってきます。この日は鶴舞のマンションに午後4時半ごろに着きました。6月23日は沖縄の慰霊の日です。今年はこの日を覚えて、沖縄に行く人も多いでしょう。
  • 17日(土)は関田先生のお別れ会が午後1時から川崎朝鮮初級学校体育館で行われました。実行委員は午前11時集合になっていて、私も実行委員の一人でしたので娘に自動車で送ってもらいました。午前10時40分には会場の近くに着いたのですが、入り口がわからず、近所の人にお聞きして、体育館前でテントを張って受付の準備をしている方々を発見し、会場にたどり着きました。ほとんど会場設営他プログラム等の準備も孫さんを中心に青丘社、在日大韓基督川崎教会、教団桜本教会、川崎戸手教会、YMCAの方々が担って下さいました。三々五々人々が集まり、午後1時から1部追悼礼拝(司会:実行委員長の教区議長の古谷正仁さん、説教はNCC総幹事の金性済さん、奏楽は沢知恵さん)が行われました。その後第2部お別れ会があり、まずはじめてにプログラムに記された先生の「歩み」が第2部の司会者の孫さんによって朗読されました。その後「次代への遺言~私が見た戦争 関田寛雄さん(92)、「少数者生かす社会の実現を」(提供:毎日新聞)の10分ほどのビデオが上映され、先生の肉声をお聞きしました。それから「故人を偲んで」私を含めて9名から先生の思いでが語られ、最後に会衆を代表して禿準一農伝理事長の祈祷で終えました。