なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(433)

船越通信と船越教会の礼拝での説教をこのブログに載せていますが、定期的にアップできずにいます。そのために間が空きすぎたり、記事を連続して掲載したりしていますが、ご容赦ください。

 

船越通信、№433    2019年10月27日   北村慈郎

    • 20日(日)も礼拝後何時ものように残れる人でお茶を飲みながらしばらく懇談して散会しました。私はその後次週の準備をして早めに船越教会から鶴巻に向かいました。
    • この日の礼拝後の報告では川崎戸手教会の多摩川増水による被災状況は詳しくお話しできませんでしたが、川崎戸手教会の孫牧師が発信しているメールの中に川崎戸手教会の被災状況を示す写真集がありましたので、パソコンをされる方は、
    • https://photos.app.goo.gl/A32H6KRELtCxrdge9 をご覧ください。数年前にも川崎戸手教会は被災に会いましたが、その時は私と連れ合いはすぐに駆け付けて、後片付けを手伝いました。泥水で汚れた会堂の床をきれいにするのと、泥水に浸かった備品や書類で捨てるものと洗ってまた使うものを分けるのが結構大変でした。しかし、今回はその時の比ではなさそうです。前回は床に台を置いてその上に設置されていたオルガンは水に浸かりませんでしたが、今回はオルガンも水に浸かり、使えなくなってしまったようです。川崎戸手教会は現在新会堂建築献金中で、新会堂は2020年6月着工、10月完成を予定しています。新会堂が出来る来年10月までは河川敷の建物で礼拝が行われると思われます。船越教会としては新会堂建築献金はしましたが、今回の被災支援についても11月役員会で検討したいと思います。
    • 21(月)から23日(水)までの2泊3日、連れ合いと一緒に神戸と名古屋に行って来ました。連れ合いが癌になって1年は抗がん剤治療を続け、遠出をしないで過ごしましたが、1年が過ぎ、医者からも「あなたの病気の完治は難しいので、元気なうちに旅行でも好きなことをしてください」と言われましたので、連れ合いが「会いたい人に元気なうちに会っておきたい」というので、今回の旅行になった次第です。21日(月)は朝7時過ぎの電車で小田急鶴巻温泉駅から小田原に出て、8時過ぎの新幹線ひかりで新大阪乗り換え新神戸まで行きました。新神戸には10時40分過ぎに着き、改札を出たところで連れ合いの神戸の友人で、私も良く知っていますUさんと再会しました。新神戸の改札フロアーにある食堂と喫茶店で、昼食をとりお茶を飲んで、午後2時半ごろまで3人で積もる話に花を咲かせました。まだ話したらない感じでしたが、午後4時過ぎには名古屋で連れ合いが別の友人と会う約束をしていたので、午後2時半過ぎの新幹線ひかりで名古屋に戻り、午後3時半過ぎに名古屋に着きましたので、娘が手配してくれました名古屋駅に隣接するホテルにチェックインしました。しばらくホテルの部屋で休んでから、連れ合いは子供を通した名古屋の母親仲間の一人の友人に連絡し、その後その友人がホテルのロビーまで来てくれて、夕食までの時間ロビーで2人で話し合っていました。その後娘も合流し、連れ合いは朝早くから一日あわただしく行動して疲れているのではと思い、夕食は簡単に済ませ、ゆっくり休むことにしました。22日(火)はお昼を挟んで、名古屋時代の教会関係の友人4人と会うことになっていました。ところが20日の日曜日の午後名古屋時代の教会の墓前礼拝があり、別に3名が私たちと会いたいということで、22日には結局7名の方々とお会いしました。ホテルロビーラウンジに私たち2人を入れて9名の場所を確保し、そこで午前11時過ぎから午後1時半ごろまで、連れ合いの病気の話から始まって、私たちのなれそめから、また私たち二人の個人史、信仰歴や私が何故牧師になったのかという話まで、名古屋教会時代にはほとんど話したこともない私的なことを、聞かれるままにお話ししました。名古屋の教会を辞して紅葉坂教会の牧師になったのが1995年4月ですので、名古屋時代はもうほぼ25年前になります。けれども今でもその25年の時間を超えて7人の方々と私たちが名古屋にいた時のように親しく歓談することが出来ることは、何と幸いなことでしょうか。連れ合いの状態が昔とあまり変わらないので、中には連れ合いが癌であるというのは誤診ではないのかと言う人もいました。
    • この日はその後私は一人の方を豊明の介護ホームにお訪ねしました。その方は、今年の夏に船越教会で開催されたフェミニスト神学の会に出席する予定でしたが、事情があって欠席しましたので、その時私が秋に名古屋に行くので、フェミニスト神学の報告をしにお訪ねすると約束していたからです。その方の入所している介護ホームは、地下鉄の終点徳重からタクシーで10分ほどのところにあります。午後2時半過ぎに介護ホームに着き、約1時間ほどお話をして、最後に祈って帰ってきました。ホテルには午後5時半ごろに着きました。その頃連れ合いは名古屋時代に所属していました朗読のグループで親しかった方と会っていました。その方と夕食を済ませてホテルの部屋に午後7時ごろ帰って来ましたので、私と娘とで食事に出かけました。
  • 23日(水)は、最初はこの日に会う人の予定はなかったのですが、名古屋時代の教規関係者の家族で、特にその家族3代(母、娘、孫娘)との関係が深かった連れ合いが、どうしても会いたいというので、前日に連絡して会うことにしました。娘になる方が11時半過ぎに助手席にお母さんを乗せて、自家用車でホテルのエントランスまで私たち3人を迎えに来てくれました。途中お母さんが入所している介護ホームを自動車の中から見て、八事近くの自宅マンションに連れて行ってくれて、昼食をご馳走になりながら、ここでも親しく有意義な時を持つことができました。午後2時ごろ外出していた孫娘の方も帰って来て、私たちの所に顔を出してくれました。それからしばらくして私たちは失礼して、3時半少し前の名古屋発新幹線ひかりで、小田原経由鶴巻に帰って来ました。
  • 翌日24日(木)は抗がん治療の日でしたが、連れ合いには旅の疲れもあったでしょうが、何時ものように治療を受けていました。この日私は18:30より横浜港南台教会で「合同」50年集会実行委員会があり出席しました。