なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(461)

船越通信、№461    2020年7月26日   北村慈郎

・   17日(金)夜寿地区活動委員会を終えて、上大岡で夕食を取り、鶴巻に帰らず船越教会に来ました。18日(土)は雨の一日でしたが、Nさんが午前9時半ごろから教会のお掃除に来てくださり、午後2時頃帰って行かれました。Nさんは毎週教会の掃除と庭の手入れのために時間をつくっていただいています。ありがとうございます。私はこの日は夕方京急ストアに買い物に行きましたが、それ以外は牧師館で日曜日の準備をしました。土曜日一日船越教会で過ごすのは久しぶりでした。

・   説教準備は、何時ものように19日(日)午前7時半ごろ原稿を完成させ、19日(日)の礼拝式と説教原稿、週報、船越通信をメールで配信しました。10時半からは礼拝を行い、礼拝後皆さんが帰った後も、この日は夕方から自転車で平和行動をするピースサイクルの方が船越教会に来て、夕食をし、泊ることになっていましたので、私は船越教会でその準備をしました。会堂の長椅子を二つ合わせてベットにし、四つ作りました。この日は暑い日で晴れて日差しもありましたので、夕方まで2階の窓に敷布団を干し、夕方会堂に降ろしました。

・   午後4時頃私の支援会の事務長でもあるピースサイクルのKさんから電話があり、何人泊るのかを聞いたところ、今年は4人ということでしたので、布団の他に枕、シーツ、タオルケットと毛布などを4人分会堂に降ろしました。夕方5時半ごろ平和船団のボートで横須賀港見学を終えた4人(3人は自転車で、Kさんは自動車を駐車場に置いて歩きで)が船越教会に到着しました。今回はコロナのこともあり、庭でのバーベキューは止めて、京急ストアで各自夕食を買ってきて、集会室で済ませました。4人が夕食を終えた頃、私も下に呼ばれて、少しお酒を飲みながらの話し合いに参加しました。Kさん以外の3人の方のピースサイクルに参加した個人史を伺い、私も自分の経歴を少し話しました。午後8時半過ぎに私は失礼して、2階の牧師館に引き上げました。

・   20日(月)朝、私は6時頃目覚めて、コンビニに朝食を買いに行き、7時には朝食を済ませて、7時半過ぎにピースサイクルの4人が船越教会を出発していくのを見送りました。その後後片付けをして11時過ぎに船越教会から鶴巻に向かいました。

・   22日(水)は19:00から20:00まで大和市生涯学習センターの大会議室で基地撤去をめざす県央共闘会議第21回定期総会があり、私も出席しました。毎月開かれる県央共闘会議幹事会には、この共闘会議の参加団体の一つである教区の基地・自衛隊問題小委員会から私が出ることになっていますが、連れ合いの抗がん治療中はずっと休んでいましたので、今回から出席することにしたのです。総会では1年間の活動・会計報告と新しい年度の活動計画・予算の審議がありました。通常の総会では記念講演も組まれていましたが、今年はコロナのためにありませんでした。そのため総会出席者は参加団体幹事で、20名弱でしたが、議事は20時過ぎにすべて原案通り承認されました。

・   24日(金・休)には鶴巻に紅葉坂教会時代の青年4人が来てくれました。再びコロナ感染が拡大していますので、どうしようか迷いましたが、一か月前に約束していましたし、直前連絡して4人来れると言うことですので、予定通り午前11時半鶴巻温泉駅で4人と再会しました。千賀が元気なころは千賀が食事を作ってくれましたが、私にはそこまでの料理の業はありませんので、鶴巻でほとんど唯一の美味しいお蕎麦屋さんで昼食を御馳走し、食後私や千賀の散歩コースの大根公園と稲穂が青々と伸びている田んぼが広がる道を通って、鶴巻のマンションに午後1時半過ぎに案内しました。それから4人の近況報告をはじめ、紅葉坂教会時代の日曜学校や青年会のことや仲間のことなど、話が尽きず、午後5時を過ぎましたので、「じゃあ今日はここまでにしようか」と言って、4人を鶴巻温泉駅まで送り、又の再会を約束して別れました。4人は千賀さんも一緒にいるようだったと言ってくれて、私も嬉しく思いました。

・   難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者から依頼を受け、薬物を投与し殺害したとして、嘱託殺人の疑いで二人の医師が逮捕された事件が起きました。実は私の母が当時は筋萎縮症と聞いていましたが、段々体が動かなくなって最後の2年ほどは全身まひのまま、意識は最後まで比較的はっきりしていましたが、私が高校を卒業して2年目の春に亡くなりました。そういう体験がありますので、今回のことは他人事には思えないでいます。東京新聞25日朝刊一面「筆洗」を以下に紹介します。【優れた俳人で、東京新聞の記者でもあった折笠美秋が亡くなって三十年になる。五十五歳で他界するまで筋萎縮性側索硬化症(ALS)の病床から句作した人である。全身の自由が利かなくなると、わずかに動く目と唇を妻が読み取って記した。/<逢いおれば風匂い生きおれば闇匂い>。見舞った家族と時を過ごせば、生の風を感じる。生に明るさを感じると今度は目の前に死の闇があることに気付かされる。難病を患って生きる多くの人に通じるかもしれない。生とは、死とはと日々続く自問であろう。/妻に告白するような句もある。<なお翔ぶは凍てぬため愛告げん>。家族との愛情や友人との絆、病ゆえに研ぎ澄まされた感性で、生きる意味を見つめ直した言葉はいまなお胸に迫る。/ALSの女性患者に薬物を投与して殺害したとして、医師二人が嘱託殺人の疑いで逮捕された。主治医などではなく、金銭のやるとりがあったという。容疑者の一人は安楽死を積極的にすすめる言動があったとも報じられている。/難病の人や障害者の命が軽視されることにつながる考えではないか。未解明な点が多い中で、危ぶんでしまうところである。/難病患者の苦悩は確かにある。生と死について絶えず考えなければならない人たちが、なお生きていたいと思える世の中に。難しい問題ではあるけれど、事件から受け取りたいことに思える。】