なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(394)

    船越通信、癸械坑粥   。横娃隠固12月30日   北村慈郎


・23日(日)はクリスマス礼拝でした。前日の土曜日連れ合いのストマー交換があり、船越教会に着い

たのは午後6時ごろになっていました。それから週報印刷などをして、この日はいつもの土曜日よりも早

めに床に入り、23日(日)のクリスマス礼拝と24日(月・休)夜の燭火礼拝に備えました。23日

(日)のクリスマス礼拝では転入会式がありました。転入会式では、コリントの信徒への手紙第一、12

章12節から27節までを朗読し、祈り、讃美歌521(とらえたまえ、われらを)を会衆一同で歌いまし

た。2011年4月から私が実質的に船越教会の牧師になってから、洗礼式は行っていませんが、転入会式を

何度か行っています。今回は単立教会から船越教会の客員になった方も、転入会者の一人に加えました。

他教会からの日本基督教団船越教会への転入の場合、通常は日本基督教団信仰告白を告白することを求

めますが、私はそれを聖書朗読に替えています。本来ならば、船越教会が何によって一つたらんとしてい

るのかを、信仰告白文として持っていることが望ましいと思うのですが・・・。私が紅葉坂教会の牧師時

代に、日曜学校のスタッフを中心にカナダ合同教会の信仰告白を参考にして話し合った末にまとめた「わ

たしたちの告白」という一つの信仰告白があります。それを以下に紹介します。


 わたしたちは神さまを信じます。

 神さまは、見えるものと見えないもの、すべてを創造されました。

 そして今も創造のわざを続けています。

 
 神さまはイエスさまを通して、ご自分をあらわされ

 わたしたちを愛し、和解させ、新しくされました。

 イエスさまは、弱く小さくされた人々とともに生き

 十字架につけられ、死んで、よみがえられました。

 そしてイエスさまは、絶望の中に生きるものに希望を与え

 新しいいのちへと招かれます。


 神さまは聖霊によってわたしたちひとりひとりに働き

 すべてものの内に働いています。

 また、わたしたちの間にいて、さまざまな違いを越えてひとつにします。


 神さまはわたしたちを招いて下さいます。

 イエスさまとともに生きる群れ(教会)となるために

 神さまがともにいてくださることを喜び、祝うために

 かけがえのないいのちを大切に生きるために

 他者を愛し、平和を実現するために。


 いのちある時も、死の時も、死のかなたにある生においても

 神さまはわたしたちとともにいてくださいます。

 私たちはひとりではありません。


 神さまに感謝します。

                    アーメン。


・船越教会には「横須賀平和センター宣言」がありますので、この宣言が船越教会の信仰告白とも言えま

すが、この宣言は私たちの応答が中心ですので、信仰告白には、神さまがイエスさまを通してわたしたち

に届けてくださった福音の内容の言葉化が必要ですので、上記のような「わたしたちの告白」と「横須賀

平和センター宣言」が二つあるとよいのではと、私は常々考えています。


・クリスマス礼拝後には、転入会者を囲んでお祝いの昼食会がありました。この昼食会の最中に隣地との

境界線のことで、住友不動産と人と測量士の人が船越教会に来て話し合いをしましたので、転入会された

方には、あわただしいお祝いの昼食会になってしまい、申し訳ありませんでした。住友不動産の方には、

その進め方にについて少し注文を付けて、測量士の方と現状に即する形の隣地との境界線の確認をして、

分筆登記してもらうことにしました。その委任状を書いて住友不動産の人に託しました。その際、隣地の

所有者と船越教会との間の契約文書を2部G弁護士に作ってもらいましたので、それを住友不動産の人

に持って帰ってもらい、隣地の所有者の署名捺印をした上、船越教会に送ってもらうことにしました。そ

の書類が来ましたら、船越教会の署名捺印を押して、一部隣地の所有者に送ることになっています。これ

で隣地との境界線の問題は、一応解決すると思われます。


・この日昼食会が終わって、皆さんか帰った後、私は船越教会に残り、翌日の燭火礼拝の最後の準備をし

ました。24日(月・休)の午前10時までには、燭火礼拝の説教原稿を作り、燭火礼拝に出席することに

なっています耳の不自由なOさんのパソコン筆記をしていくれるTさんに送らなければならな

かったからです。この日夜教会に泊まることになっていたNさんは、昼食会後横浜の夜のイルミネー

ションを楽しんでくるといって出かけ、夜10時半ごろ船越教会に帰って来ました。彼のために和室に布団

を用意し、Tさんか寄付してくれました布団乾燥機をかけておきました。24日は、お昼の食事を、紅

葉坂教会時代にそれぞれの誕生日を祝って会食を共にしていた仲間から、私の喜寿の祝いも兼ねて、私を

含めて12月誕生日の人が4,5名いるので、久しぶりに会食会をしたいということで、前もって話がありま

したので、10時半ごろ出かけました、Nさんは、燭火礼拝まで三浦海岸の方に行ってみたいと言うの

で、「三崎港でまぐろでも食べてきたら」と勧めました。京急田浦まで彼と一緒し、彼は三崎方面へ、私

は横浜へ向かいました。会食を終えて、午後3時半ごろ船越教会に帰って来ましたら、もう何人か来てい

て、燭火礼拝後に行われる祝会の準備をしていました。私も連れ合いの作った鳥ミンチの松風焼に添える

ロマネスク・カリフラワーをゆでておき、娘が飾り付けをしてくれて、野菜のピクルスと共に、今年も連

れ合いの作った料理が、祝会のテーブルに加わることができました。燭火礼拝には、前日隣地との境界線

のことで連絡をしました代務者の関田寛雄先生が出席してくださいました。燭火礼拝が終わって、今年誕

生したYさんの祝福式をした後、礼拝堂に四か所テーブルを囲んだ席を作り、そのテーブルに沢山

の料理を並べてから、祝会になりました。私は関田先生の隣に座り、関田先生がついでくださった赤ワイ

ンに顔を真っ赤にして、先生と談話しながら祝会を楽しみ、クリスマスを祝いました。午後8時半過ぎに

祝会を終えて、皆で後片付けをして、午後9時半には皆船越教会を後にして、帰路につきました。私も11

時過ぎには鶴巻に着きました。


・25日(火)は名古屋時代の青年が、連れ合いの病気のことを聞き、私たちを訪ねてきてくれました。

娘の中学の同級生の一人で、週の半分は仕事で東京に来ているというので、その帰りに寄ってくれまし

た。いろいろと懐かしい話に花が咲いて、楽しいひと時を持つことができました。27日(木)には病院

に行き、連れ合いがCT検査を受け、医師の診察で肺と肝臓の癌の病巣が少し小さくなっていると言われま

した。その後6回目の抗がん剤投与を受けました。そして29日(土)午後に病院に行き、白血球を増や

す注射を受けてきました。


・ 新しい年の皆様の歩みの上に主の導きを祈ります。