なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

聖餐のあり方について

 以下は、2018年8月26日(日)になか伝道所に招かれて、聖餐について話した内容です。なか伝道所の

方が私の話を文章化してくださり、なか伝道所の機関紙「ことぶき『なか』だより癸隠牽検2018年11月

発行)に掲載してくださったものです。教団において2010年に私が戒規免職処分をされてからは、特に聖

餐についての論議が、教団内において自粛されている感があります。しかし、この時代状況からして、私

たちの教会が再び過ちを犯さないためには、聖餐についての以下の問いかけに対する応答は、私たちの教

会にとって喫緊の課題ではないかと思うのです。私の免職処分の撤回と共に、下記の聖餐のあり方につい

ての問いかけに諸教会・伝道所、信徒・教職の方々が何らかの応答をしてくださり、教団内において論議

が活発に行われるようになることを希望します。

 新しい年の皆様の歩みの上に主の導きをお祈りいたします。

                     2019年1月1日   北 村 慈 郎
 


        ≪聖餐のあり方について≫ 2018年8月26日(日)なか伝道所で 


⓵ 船越教会での聖餐

 船越教会では、現在年5回(三つの祝祭日、イースター、パンテコステ、クリスマスと、8月第一日曜日

の平和聖日、11月第一日曜日の永眠者記念礼拝)聖餐を行っています。

 そこで使用されている式文は、司会者と礼拝出席者が交読文のように応答を行う形式となっています。

そして最後に、聖餐のパンとブドウ酒に与ります。式文は聖書のさまざまな箇所を典拠としてイエスの福

音に対する教会側の応答という側面が強いと思います。


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 聖餐について現在に繋がる問題意識が起きたのは、恐らく1960年代後半からだと思います。当時、批判

的な聖書学の成果として、聖餐の起源は主の食卓、つまりイエスの食卓共同体という面が非常に強いので

はないか、という研究が出てきました。伝統的な聖餐の見直しです。

 同じ時期に、象徴としての聖餐の重要性の再発見が起こります。カルヴィニズム的な信仰観が支配的

だった日本の教会の礼拝は、説教中心の礼拝となっていて、そうした状況を「讃美歌付講演会」と揶揄す

る人もいました。リタージカル・ムーブメントの世界的な盛り上がりを受けて、説教中心だった当時の礼

拝スタイルが見直され、説教と聖餐両方が行われることが望ましい、と考える人が生まれてきたのです。

こうして、1970年代に入ると、聖餐式を毎週行う教会も出てきました。

 一方、キリスト教世界であったヨーロッパでは、他宗教の人々が増えてきて、キリスト教も他宗教と共

に一つの宗教に過ぎないという状況が生まれ、キリスト教を相対化する動きが起きています。そうした多

文化共生社会における教会では、聖餐もキリスト教徒だけに許される特別なものではなく、誰にでも開か

れたものであるべきだとする考えが現れてもおかしくありません。特に、キリスト教が他宗教のなかに

入っていったアフリカ、アジア、南米などではそのような考えが生まれているのではないでしょうか。北

米の合同メソジスト教会やカナダ合同教会などでも、聖書の知見と共にこの動きを受けて聖餐を開いてい

ます。


 象徴行為としての聖餐

 戦時下の教会で行った聖餐と現代の教会が行っている聖餐の連続性と不連続性について言えば、儀式と

しての聖餐は象徴行為ですので、それ自身をどう受け取るかということは、その聖餐の行われている教会

で語られている説教の内容や宣教の方向性と密接不可分だと思われます。ですから、同じ行為である聖餐

も、それぞれの教会によって実質的な違いがあるのではないでしょうか。また同じ教会のメンバーでも、

一人一人によって聖餐の受け止め方が違うということも起こり得ます。

 言葉ではなかなか伝えづらいことが、パンを食べブドウ酒を飲むという非常に具体的な体の行為によっ

て実感としてわかる。象徴行為の優位性というものがあると思うのです。もしカトリックのように内在の

キリストを信じるとすれば、パンとブドウ酒は祝福されると実際のキリストの体と血になるわけですか

ら、それを食べることでキリストが自分の内に生きているということになるわけです。それは非常に実体

としてわかりやすいじゃないですか。しかも具体的に感じられるわけです。

 ただそれは、場合によってはいかようにも受け取り手によって解釈されてしまうという側面も同時に

持っている。聖餐を受ければ幸せになれる、という具合に呪術的に受け取っている人がいなくもない、と

いうことです。

 そういう点で、戦時下の教会では憲兵に見守られて説教をして、宮城遥拝して、朝鮮半島の教会には神

社参拝を強要していたわけです。戦争に行く者には戦勝を祈願して送り出していった。そこで語られてい

た言葉は聖餐と密接不可分であって、恐らく聖餐も戦争協力のために大いに使われていたことは、当時の

教会としてありうるわけです。こういう歴史を持つ日本基督教団の教会が現在行っている聖餐は、当時の

聖餐とどう違うのか。かつての戦争協力していた聖餐が過ちだとするならば、その過ちをどう克服して、

現在どのような聖餐をしていくのか。こうしたことが問われてしかるべきではないかと思います。しか

し、それに対してはほとんど問題化されていないというのが現実です。

 聖餐について考えるとき、単にどのような形式の聖餐をすればよいのかと考えるだけでは不十分です。

私たちが行う聖餐が、現代という社会的な文脈のなかでどのような役割を発揮してしまうのかという点も

含んで考えないと、なかなか厳しいのではないでしょうか。この問題は私たちの現在の課題として考えて

いかなければならないと思っています。