なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

燭火礼拝説教(「人間を照らす光」ヨハネ福音書1:1-14

 今日は大晦日ですが、下記の短い説教は、先日の燭火礼拝の時の説教です。


、「人間を照らす光」 ヨハネによる福音書1:1-14

                        2018年12月24日燭火礼拝説教

・ 私の父は現代川柳家でした。もう大分前に亡くなりましたが、父が死んだとき、神奈川新聞に現代川

柳家としての父のことが記事になりましたので、現代川柳の世界ではそれなりに知られていたのではない

かと思います。父の句で私が知っている唯一の句が、シベリヤに抑留されていた人のことを句にした、

「北風に柿が某戦犯の夢を描いた」という句です。私の今住んでいる所は柿の生産地でもありますので、

秋から冬に季節が移行するに従って、柿の木の枝の実が少しずつ少なくなって、木枯らしが吹くころには

その枝に一つか、二つ実が残っていることがあります。戦後しばらくの時ではないかと思いますが、その

ように北風に吹かれて、一つ二つ枝に残っている柿を見て、早く日本に帰りたいとうシベリヤ抑留者の思

いを受け止めながら、父はこの句を作ったのではないかと想像します。


・ その父はノンクリスシャンでしたが、私が牧師になった時、「俺が洗礼を受けないと、お前が困るこ

とがあるのか」と言ったことがあります。私は、即座に「困ることはないので、変なことを考える必要は

ないから」と言いました。その父は聖書も読んでいたようで、聖書の中で唯一興味関心を持っていたの

が、先ほど司会者に読んでいただいたヨハネ福音書のプロローグであります、ロゴス賛歌と言われるこの

箇所です。「ロゴス」という言葉に関心があったようです。特に一章一節の「初めに言(ことば)があっ

た」というところです。この「言(ことば)」と訳されている原語がロゴスなのです。


・4節に、《言の内に命があった。命は人間を照らす光であった》と言われています。「人間を照らす

光」という今日の説教題はここからとりました。私たち人間は、命である光を失ってしまったときには、

暗闇の中を生きなければなりません。全く光の無い暗闇の中を生きるのは、私たち人間には困難です。死

しか道がありません。


・ いじめによって中学生や高校生が自死を選ぶことがあります。自死を選ぶ子供たちには、光が見えな

かったのではないでしょうか。一方いじめる側の子供たちはどうか。光がみえていたのかというと、いじ

める子供たちも光がみえなかったのではないでしょうか。


・ 光が人間にとって命だとすれば、暗闇は人間にとって死をもたらす力です。パウロは、「罪の支払う

報酬が死だ」と言っています(ロマ6:22)。暗闇は光の無い状態ですが、聖書ではそれが比喩として語ら

れていて、暗闇は人間の罪によって作り出されるものなのです。罪は他者との関係を失って自己中心的に

なる事です。


・ 私は昨日のクリスマス礼拝の説教の中で、堤未果の『日本が売られる』という本の中で、堤未果が、

「今だけカネだけ自分だけ」の浅はかな政策と、日本政府の政策を批判している言葉を紹介しました。今

の日本の政府は、金持ちや大企業や国のことは考えていても、この日本の国に、また日本以外の国々に住

んでいる一人一人のことは考えていないのではないでしょうか。特に沖縄の辺野古新基地建設に関して

は、沖縄に住んでいる一人一人の人間を、今の政府は全く眼中にないとしか言いようがありません。


・ けれども、罪と言う暗闇は誰の中にもあります。この私自身の中にもあります。ですから、一方で

は、自分自身の中にもある「自分さえよければ」という自己中を、命の光によって無力化させつつ、あら

ゆる人間の罪によって作り出される暗闇が、光に照らされて無力化することを求めていかなければなりま

せん。自分に刃を向けないで、他者だけを批判する行為は、自己崩壊する以外にありません。人間は自分

自身の内に暗闇を抱えた同じ穴の狢だという現実を、十分踏まえて、共に命の光に照らされた平和と和解

の喜びと希望を求めて生きていきたいと思います。


・ 《言のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中に輝いている。暗闇は光を理

解しなかった》(4,5節)。ここで《理解しなかった》(〈勝たなかった〉)とは、『克服しない』『把え

ない』『理解しない』とう意味です。『暗闇』は『光』と共存するのではありません。完全に『暗闇』は

『光』によって克服される、というのです。


・ ヨハネ福音書では、この『言』『光』『命』こそが、イエス・キリストだ、と言っているのです。

《言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子として

の栄光であって、恵みと真理とに満ちていた》(14節)。


・ 最後に『光です~クリスマスの祈り~』という小さな祈りの本から、「光」という祈りのことばを紹

介して終わります。


・【クルスマスますには、光がいっぱい。/明るくなった へやの光が/窓からそとへ あふれてきま

す。/だから、そとも明るくなって /とおくからでも いろいろなものが見えます。/光のおかげで 

ものが はっきり見えるし/こころが たのしく 元気になります。/光のおかげで みんな きらきら

ひかります。/神さま あなたは光です。/みんなのこころを/ひかるこころにしてくださるから/神さ

まは 光です。】


・ 祈ります。

・神さま、今年もこのようにイエスさまのお誕生を祝うクリスマスの、光の礼拝に、共に集うことがで

き、ありがとうございました。世の中はますます暗闇が深くなっている感じがします。その暗闇の中に

も、あなたの光に照らされた者として、あなたの光を反射せて、私たちが生きていくことができますよう

に、私たち一人一人の上にあなたの支えをお与えください。今日ここに来れなかった一人一人の上にも、

あなたの導きを与えてください。いろいろな痛みを抱えて、苦しんでいる人、悲しんでいる人の傍らにあ

なたが寄り添って、慰めと励ましを与えてください。イエスさまのお名前によって祈ります。 
                
                                       アーメン。