なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(497)

船越通信、№497 2022年1月2日(日)北村慈郎

・ 新年あけましておめでとうございます。この年の皆さまお一人お一人の健康と歩みの上に主の支えをお祈り申し上げます。

  • 24日(金)は、前日の夜に船越教会に来ていましたので、その夜牧師館でゆっくり寝てから、午前中にこの日夜行われます燭火礼拝の礼拝式パンフレットと教会だより「船越の丘から」第16号の印刷をしました。燭火礼拝は、昨年は新型コロナウイルス感染拡大中で行いませんでしたので、2年ぶりになります。しかも2年前までの燭火礼拝は、礼拝後に会食を中心とした祝会がありました。テーブルを二つにした4箇所に、たくさんの料理が並べられ、ワインとジュースで乾杯して、食べて飲む、宴会に等しいクリスマス祝会が恒例でした。出席者も30名前後はいました。今年は新型コロナウイルス感染のために、会食は行わず、礼拝だけにしました。案内も出しましたが、「無理をせずに」という断り書きを入れていました。ですから、いつも日曜礼拝に出席している方の内の7~8名の出席ではないかと思っていました。ところが私が船越教会の実質的な牧師になってから、毎年の燭火礼拝には必ず出席している2家族5人が今年の燭火礼拝にも出席しました。その中の一人は3年前の燭火礼拝では生まれたばかりの赤ちゃんでしたが、今年は3歳の幼児に成長していました。またもうひと家族の女の子と男の子の二人の子供たちは、11年前は幼稚園児と小学生でしたが、今年は中学3年生と高校3年生になっていました。その5人を加えて、今年の燭火礼拝の出席者は15名でした。船越教会の燭火礼拝は、聖歌隊の賛美があるわけではありませんし、司会者によるイエス誕生箇所の聖書朗読と、クリスマスの讃美歌を会衆で歌い、私が短めのメッセージを語るだけの礼拝ですが、昨年できなかったこともありますが、今年の燭火礼拝はジーンと心に響き、小さな感動を覚えることが出来ました。礼拝後教会のメンバーが用意したお菓子とお茶を、密にならないようにいただき、少し言葉を交わしてから散会しました。この日皆が帰った後、私も鶴巻に帰りました。鶴巻のマンションに着いたのは午後11時過ぎでした。
  • 26日(日)は、以前には牧師休暇の日曜日は秦野西教会に出席していましたが、秦野西教会が解散してなくなりましたので、自宅で自分で礼拝をしました。数日前に日本基督教団年金局理事長と日本基督教団総幹事から、私の教団年金のことで手紙が来ました。教団年金局と私との間でやり取りをしていて、その関連で二人から手紙が来たのです。その内容は、以前の年金局理事長の手紙の中に、私を現職の教団教師扱いをしている文面がありましたので、私が年金局理事長と教団総会議長に、教団は一方では私を免職扱いにし、他方では現職の教師扱いとするはダブルスタンダードで、聖餐を理由に免職処分したことそのものが人権侵害だが、更に私に対する人権侵害を重ねるのかと抗議の手紙を出していたからです。二人からは言い方を間違えたという謝罪の手紙でした。年金局理事長は、
  • 「まずはじめに、小職からの前言に『現在の先生の教団内におけるお立場は無任所とはいえ現職の教師であられますので』と記しましたが、この点については言葉足らずで正確性を欠き、先生にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。正確には、「現在の先生のお立場は免職の戒規に付された教師であっても隠退した教師ではありませんので」とすべきでありました。年金の給付に関しては先生が隠退されているかいないかが重要であるため、『隠退していない教師』を強調するにあたって迂闊にも『現職の教師』なる曖昧な文言を使用してしまったことを深く反省しており、上記の通り訂正させていただきます。年金局としては常に教団執行部の方針に沿った運営を心がけており、ダブルスタンダードとのご指摘は当たらないと考えております」。と述べているのです。
  • 総幹事の手紙も内容は年金局理事長と同じ内容でした。私は船越通信第493号にも書いておいたように、教団総会議長に回答を求めたのですが、総幹事が議長に代わって手紙をよこしたわけです。そのこともおかしなことです。上記の年金局理事長と総幹事の私に対する「免職の戒規に付された教師であっても隠退した教師ではありません」という認識も、私はおかしいと思いますので、改めて二人にはそのことを手紙にして出しておきました。
  • <中川さんの理解では、私は今も隠退していない「免職された教師」ということですが、そもそも教団において教師が隠退するということは、その職責から退くことです。教会担任教師にしろ教務教師にしろ、担任し教務に携わっていた教会・伝道所や学校の職務を辞めるということで、その時教師は教団に隠退届を出すわけです。私の場合は、教団から免職処分を受けた時に、教団が一方的に私の担任教師としての職務を剥奪したのです。ですから、その時に私は教団によって教師を隠退させられたことになります。/中川さんは、私はまだ免職されたとは言え、隠退していない教師だから隠退届を出せば、年金は支給しますと言われますが、教団から職務を剥奪されている私が、いつどのようにして隠退届を出せるのでしょうか。現在私は教団の免職処分に反対している神奈川教区と船越教会で実質的に教団の現役の教師として処遇されていますので、もし船越教会での働きを終えて隠退したときに、教団に隠退届を出したら、教団はそれを認めるのでしょうか。教団は私を免職にしているのですから、それはあり得ないと思います。/ですから、教団は、一方では私を免職処分にし、教団の教師を隠退させておきながら、一方では免職された教師ではあるが、教師の身分は失われていないのだからまだ隠退していないと言っていることになります。これがダブルスタンダートでないと、どうして言えるのでしょうか>。
  • 実は2014年6月に裁判が最高裁で却下されてから、2015年になってから私は当時の年金局理事長に手紙を出し、私の年金受給は何時からでどうなっているのか質問しています。その時の理事長からは、私が教団から免職された時点から申請があれは、その時に遡って年金を支給するという回答の手紙をもらっています。私は戒規免職撤回を教団に求めていますので、今は自分から年金の受給申請をしていませんが、この前理事長の認識が正しいと、私は思っています。