なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(268)復刻版

 今日は、「黙想と祈りの夕べ通信(268)」復刻版を掲載します。これも9年前のものです。私自

身、改めて読んでみますと、その時の状況が蘇ってきます。 


   
        黙想と祈りの夕べ通信(268[-7]2004・11.14発行)復刻版


 人が他者の痛みを感じることができるのは、身近に痛みをもった人がいて、その人との関わりから学ぶ

ことによってではないかということを、私が最近経験しました教会の方との出会いからお話しました。

 続いて一人の方からの発言がありました。新潟中越地震のことが日々インターネットで流れている。新

潟の牧師から、子どもたちが余震が来る度にPTSDに襲われるために、子どもたちのケアーのために心を注

いでいるということが伝わってきた。心配だ。イラクでも子どもたちの目の前で家族が殺されている。新

潟の教会は何ができるかを模索しているが、牧師たちの労苦を覚え、祈りつつ心を合わせたいと思う。

 続いて別の方から発言がありました。10月末に開かれた教団総会の最中にイラクで人質になった香田さ

んのことが知らされた。教団総会の会期中の二晩国会前の首相官邸にアッピールに行った。私はシュプレ

ヒコールが嫌いだった。みんなが一緒に声を上げることに抵抗があった。その時はアッピールがあった

後、リーダーがシュプレヒコールが嫌いな方は飛びあがっても、黙っていても、何でも自分で自由に抗議

の気持ちを表してくださいと言われた。腹の底から香田さんを助けて欲しい、自衛隊イラクから撤退し

てもらいたいと思っていたので、私は自然と今までは嫌いだったシュプレヒコールができた。そのことを

二人の友人に話したら、二人も同じ経験をしたと言われた。表現は自由に選んでと言われて、自分が選択

して態度を選べることで自然にシュプレヒコールができた。今イラクのこと、辺野古のことで、時間があ

れば国会前に座り込みに行っている。その国会前には夜も座り込みをしている人がいるらしい。ある場所

ダンボールと花が置かれ、香田さんの命を救ってくださいというプラカードが一緒に置いてある。国会

前で座り込みをしていると、いろいろなアッピールをしいる人たちに出会う。私は今までは座り込みをす

るような運動をしたことがなかったので、国会前に座り込みに行くことによって、はじめていろいろな運

動をしている人がいて、現在の日本の状況がどういう風になっているのかが分かるし、その危機感を共有

する人がいることを知って力づけられる。香田さんのことを考えると悲しい気持ちになるが、国会前の座

り込みを続けることによって、自分がどこに立っているのか確認できるように思う。国会前でアッピール

している団体の中には障がい者、年金、日雇いの問題など、いろいろな弱い立場の者が多い。弱い者同士

が支え合って一緒に生きている感じがする。一方、目の前にはデーンと国会議事堂が重々しく何の変化も

なく座っている感じ。周りの銀杏だけが季節の変化を見せている。何か対照的なものを象徴的に表してい

るように見える。国会前の座り込みも100日が過ぎたが、座らなくて良い日が早く来ることを願いなが

らも、自分にとっては貴重な体験の出来る大切な場所になっている。辺野古の海では海中での座り込みを

しているが、辺野古に基地を作る計画が断念されて、それをしなくてよくなるように祈っていきたい。

 もう一人の方からも発言がありました。この8月頃に教会の近くで火災が二度あり、よく教会のバザー

に来てくれる一人住まいの年配の方の家だった。その人がどうしているか気がかりで、聞き伝えでは戸部

に住んでいるらしいというので探していたが分からなかった。バザーの仕事会の時に、その焼け焦げた家

の前を通ったら、その方が後片付けをしていて会えた。火災の話をしたら、その話はやめてと言われた。

近くの友達の古いアパートにいるということだった。日曜日の朝教会バザーに出るケーキを買ってその方

に届けてあげたいと思い、係りの方にお願いして箱に入れてもらった。バザーのお仕事が一段落したの

で、ケーキの入った箱をもって、その方に届けた。ちょうどアパートに帰って来たところで、大変喜んで

くれた。バザーがあると知っていたら、行きたかったとおっしゃった。その方の喜びが私の元気の元だ。

帰ってバザーの後片付けをした。今日も来るとき、寄ってきたが、火事の後片付けが進みつつある。