なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(269)」復刻版

 以下の「黙想と祈りの夕べ通信(269)」復刻版も、9年前のものです。新潟中越地震のこと、イラ

クのファルージアへのアメリカ軍の攻撃のことなどが記されています。


       黙想と祈りの夕べ通信(268[-8]2004・11.21発行)復刻版


 旧約聖書士師記を聖書研究で学んでいますが、古代イスラエルにとって土地と子孫は土地取得と子孫繁

栄が神の約束の内容となっているくらいに重要な問題でした。考えてみれば、一つの民族が存続するため

には、その民族が生活することの出来る土地取得と次世代への継承としての子孫繁栄は不可欠な条件と言

えるでしょう。アブラハムへの約束もこの二つが内容となっていますし、エジプトを脱出したイスラエル

の民が40年の荒野の彷徨の後に、ヨルダン川を渡ってカナンの地に侵入し、徐々に定着するようになっ

たのも、イスラエルの民にとっては生存のために不可欠な条件だったと思われます。士師記を学んでいま

すと、その土地のためにカナン先住民や略奪にやってくる砂漠の民とのイスラエルの民の戦いがどんなも

のであったのかがテキストから読み取れますが、ある面で戦いの繰り返しに辟易とさせられるところがあ

ります。けれども、それだけに土地の問題がイスラエルの民にとってどれほど重要だったのかということ

がわかります。もしかしたら、現代では難民の経験がある人々が古代イスラエルの人々のことを一番よく

分かるのかもしれません。最近イラクのファルージアをアメリカ軍が攻撃しています。ファルージアの町

の住民はアメリカ軍の攻撃を恐れて、前もって町を出た人が多いと言われています。自分たちの生活の場

所を離れなければならないということは、どんなに大変なことなのかを考えさせられます。新潟中越地方

地震によって生活基盤を失ってしまった人々の困難についても、平穏に生活できているわたしたちには

想像できないくらい大変なことに違いありません。この黙想と祈りの夕べの始まる前にテレビを観ていま

したら、今度の中越地方の地震で錦鯉の生産地が大変な被害を受けていることが放映されていました。あ

る生産者の方が錦鯉を飼っていた4つか5つの池の内かろうじて助かったのが2つの池で、他の池は地震

で亀裂が入って池の水がなくなり、その池で飼っていた錦鯉は死んでしまったということです。助かった

2つの池の錦鯉も冬場水槽に移さないと寒さで死んでしまうので、千葉の長年その生産者の方と取引のあ

る業者が千葉から水を入れた水槽を車に積んで助かった池の錦鯉を全部買い取ることにして、今回は3000

匹の池の錦鯉を水槽に入れて千葉にもっていくというので、その作業が映されていました。残りの1000匹

は近いうちにまた今回と同じように千葉の業者が引き取りに行くということでした。そのテレビ放映の中

で千葉の業者の人が生産者の方に、自然の災害だから仕方がないよね、何とか頑張ってね、と声をかけて

いました。千葉の業者の人は採算を度外視して何とか助けたい、長年の取引があり、生産者の方を他人と

は思えない、とおっしゃっていました。

 私たちは、私たちが普段生きていられるのには、大地の存在がどんなに大きいかということを余り意識

していないのではないでしょうか。むしろ当然のように思っているのではないでしょうか。しかしよく考

えて見ますと、私たちを受け入れてくれる大地があるから生きていられるのであって、その大地が私たち

を拒絶したら一日たりとも安心して私たちは生きられません。そういう意味では、私たちは日常的にもっ

と大地の存在への感謝をもたなければならないのかも知れません。そしてそういうことに敏感であるとし

たら、私たちは阪神淡路大震災や今度の新潟中越地方の地震で苦しんでいる人のことを、また世界の難民

の人たちのことを自分のこととして感じたり考えたりすることがもっともっと深く出来るのではないでし

しょうか。