なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(130)

          船越通信癸隠械亜 。横娃隠廓10月20日        

・13日の日曜日は礼拝を終えるとすぐに、私は、Mさんの車で金沢八景まで送ってもらい、金沢

八景から京急に乗り、横浜でJRに乗り換え、東神奈川経由で新横浜まで行きました。午後1時過

ぎにホテルに着き、結婚式の前に行なわれる親族紹介に間に会いました。この日連れ合いの親族の

子が結婚式をするので、私たちはその子の家族の親族として出席しました。一組のペアの結婚式な

のに、まだまだ両家の存在が大きいように思いました。披露宴に出席していた人たちは、両家の親

族の数はわずかで、圧倒的に職場の人たちや友人たちが多かったのですが、結婚式の祝宴は本人た

ちと両家のお祝いなのでしょう。

・さて、この週は、15日に農伝にいき、16日には船越教会で、私の裁判支援会の発送作業がありま

したので、火曜日に船越教会に移動しました。火曜日農伝から鶴巻に帰り、一服してから、台風の

影響で風雨が強くなりかけてきましたので、午後5時に鶴巻を出て、追浜で食材を購入し、船越教

会に着いたのは午後7時半過ぎでした。まだそんなに強い風雨ではありませんでした。この日は、

支援会発送作業の準備を夜遅くまでしましたが、16日の午前1時半頃、寝るころには大分風雨が強

くなっていました。16日朝起きた時には、風は強かったですが、雨はそんなに降っていませんでし

た。空も明るくなりかけていて、思ったほどの台風ではなかったのかという感じでした。発送作業

は午後1時からですが、交通網が遮断されていないか心配でした。事務局長のKさんから、12時半

頃電話が入り、今金沢八景まで来たが、その先京急は動いていないようだが、どうしたらよいか、

ということでした。私は、金沢八景駅を降りて、16号線に出るとバス停があるので、横須賀方面の

バスに乗り追浜までくれば、追浜からJR田浦行きのバスに乗って梅田バス停で下車すれば、船越

教会に来れると連絡しました。その時は、内心相当船越教会まで来るのは時間がかるのではと思い

ました。けれども、案外早くKさんは船越教会にたどりつきました。午後1時半位でした。それか

ら、午後2時ごろIさんが、午後2時過ぎに、JR田浦周りできた連れ合いが到着しました。そして

2時半過ぎにOさんが自動車で来てくれて、総勢5人で発送作業をすることができ、午後5時過ぎに

は約950通のメール便を完成させて、宅配便ヤマトの人に取りに来てもらい、発送作業を完了する

ことができました。

・後で京急田浦に行く用事があり船越の商店街を通りましたが、どうも水が出て浸水したようで、

スーパーなども床掃除をしていました。教会にいたので、今回の台風は、予告ほどの勢力ではなか

ったのではと思っていましたが、浸水で床掃除をしているところを見てはじめて、やはり相当大き

な台風であったことを認識しました。その後伊豆大島での土石流による被害を聞いて、場所によっ

ては大変な被害をもたらした台風であることを知りました。それにしても、自然災害が続きます。

これも地球温暖化による海水温の上昇ということが原因と言われますので、住み心地の良い我々の

生活の貪欲な追求に原因があることを思わされて、亡くなった方や被害に遭われた方々には大変申

し訳なく思います。人が人を食べながら文化的な生活を維持している現代人の悲劇による犠牲者が

どこまで出るのか、空恐ろしい感じがしますが、個人ではもちろん、それを現代人が食い止められ

ないでいるわけです。中国やインドがますます工業化が進み、欧米並みの生活水準になっていくこ

とを想像すると、公害や温暖化を食い止める科学技術が先行しなければ、地球はとんでもないこと

になっていくことは、既に見えているわけです。それに原発の廃棄物や事故が重なってくれば、地

球滅亡も現実味を帯びて来ます。私は、資本と結びついている各国の政府では、この問題を解決で

きないだろうと思っております。むしろ地方主権復権による、それぞれの地方毎の地場産業とそ

の地域による共生のシステムを、江戸時代や中世の都市のように再構築していく方向が望ましいの

ではと、内心思っております。そういう意味で国家の解体への道に希望を見出している者の一人で

す。

・さて、支援会が今回発送したのは、11月4日の報告・討論集会の案内に加えて、私の上告に対す

最高裁判所への要請署名のお願いです。できるだけ多くの方々に協力を仰ぎたいと思いますの

で、みなさんもどうぞよろしくお願い致します。

・18日には寿地区活動委員会がありました。今回は懸案の寿地区センターのホームページのこと

で、その内容についての委員会確認作業が中心でした。大方の確認作業ができましたので、現在の

試験的に開いています寿地区センターのホームページの内容を、近日中に今回確認したものに変え

るようにしたいと思っています。この寿地区センターのホームページを充実させていき、寿地区セ

ンターの働きと、寿地区住民と野宿者支援が多くの人によって支えられるようにしてゆくことがで

きればと願っています。

・数日前に教団から「伝道推進室ニュース癸院廚届きました。教団に「伝道推進室」なるものが

作られたと聞いて、予想はしていましたが、その内容を読んで、唖然としました。前教団総会議長

の山北宣久さんが、「荒野の40年」と言って、戦責白以後の40年の教団の歴史を否定しわけです

が、その路線がこの伝道推進室の思想的な背景になっているように思われます。教団成立と戦争協

力の問題も、万博・東神大問題(日本企業のアジア経済侵略と機動隊導入)も、教師検定問題も、

合同の捉えなおりの問題も、あたかもすべてが全くなかったかのように、自己批判を失った居直り

による自己正当化に立って、キリスト教はよいものだという前提に、教勢拡張をめざすものです。

このニュースを読んで、何とも恥ずかしくて致し方ありませんでした。「わたしが来たのは、仕え

られるためではなく、仕えるためだ」と言われたイエスのことが、どうなっているのか、どこにも

エスの香りが感じられない教会の伝道とは何なのだろうか、私には不思議に思われて仕方ありま

せんでした。

・さて、19日(土)から20日(日)にかけて、船越教会の修養会があります。私たちの船越教会

は、1960年代のA牧師の時以来、戦争責任に基づいて教会形成を続けて来た教会です。その伝統を

今後も継承していきたと願います。