なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(518)

船越通信、№518 2022年6月5日(日)北村慈郎

 

  • 5月29日(日)は礼拝後皆さんが早めに帰りましたので、礼拝後一人で庭の手入れをしてくれていましたSさんに挨拶をして、私も何時もより早めに船越教会から鶴巻に帰りました。次週の6月5日(日)のペンテコステ礼拝の説教は関田先生にお願いしていますので、私はこの一週間は説教準備から解放されることになります。そう思うと、日曜日鶴巻に帰ってから、一応それなりに緊張感をもって統合されていたそれまでの自分の心身が緩んで、何もしないでそこに存在するというだけの自分になっていくようでした。力が抜けていくような感じで、自分でも不思議な感じでした。毎日曜日説教をするということが、その準備のために苦しみながらも、いつの間にか自分の生活の核になっているということなのでしょうか。この日は娘と早めに外食で夕食を済ませ、娘が横浜に帰ってからは、一人で寝るまでボーと過ごしました。
  • 5月30日(月)には、船越教会のペンテコステの礼拝案内を、しばらく来ていない方13名にはがきで出しました。それと私の支援会で発行している通信第28号の原稿が大体集まりましたので、その原稿をまとめて、通信の編集レイアウトをお願いしている名古屋のS・Kさんにメールで、31日(火)朝早めに送りました。支援会では、2020年秋に開催予定であった第42回(合同後第27回)教団総会がコロナ感染症のために延び延びになっていましたが、今秋9月末に開催されることになりましたので、その教団総会に向けて通信第28号を発行し、教団の教会・伝道所すべてに送ることにしているのです。また、第3回支援会Zoom集会を7月9日(土)に開催することにしていますので、支援者にはその案内も送らなければなりません。そのために6月半ばには発送する必要があり、6月10日頃には通信第28号の印刷が出来上がっていなければなりません。それから換算すると、6月4日には編集レイアウトを終えた通信第28号の完成稿のデータを印刷会社に送らなければなりません。そういうタイムスケジュールを描いて、30日(月)に原稿をまとめ、31日(火)早朝にS・Kさんに原稿を送ることにしていたのです。何とかそれができてほっとしました。その後S・Kさんとのやり取りで、一稿、二稿の校正を経て、三稿で一か所校正をお願いして完成稿にしてもらい、予定通り4日に印刷会社に発注してもらうことができました。今回は通信第28号と共に通信第27号も教団の教会・伝道所に送ることにしていますので、通信第27号の印刷もお願いしました。
  • 1日(水)はのんびり過ごしました。帰天した連れ合いが元気な頃ベランダにプランタンを置き、草花を育てていましたが、昨年夏まで朝顔が咲いていました。その後枯れてしまっていましたので、ホームセンターで苗を買ってきて、プランタンに植えました。真夏には蔓がのびて朝顔の花を楽しむことができるのではないかと思います。帰天した連れ合い喜ぶような気がしています。
  • 2日(木)、この日も国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに出かけました。午11過ぎに鶴巻のマンションを出て、小田急代々木上原まで生き、代々木上原で地下鉄に乗り換え、国会議事堂前で降りて地上に出ると、首相官邸前の交差点になります。座り込みは午後1時からですが、この日は少し早かったので国会記者会館の中にあるお蕎麦屋さんで冷たいとろろそばを食べてから座り込みの場所に行きました。既に3人の方が横断幕やプラカードを参議院会館前の道路の石壁に設置していました。私も沖縄の瀬永亀次郎の不屈館が出しているものを石壁に設置してから、いつものように座り込みました。この日は大変風が強く、時々横断幕が飛ばされそうになり、その都度張りなおさなければなりませんでした。この座り込みは2004年から始まっていますが、その間衆議院会館と参議院会館が新築されました。両会館が新築されるまでは国会議員も私たちが座り込みをしている道を、よく行き来していました。しかし議員会館の新築と共に議員会館に地下道ができて、地下鉄の駅から一般の道路を通らないで、議員たちは行き来できるようになっています。おそらく議員会館の自室から国会にも地下道で行き来できるのではないかと思われます。ですから、以前には座り込みの道路を行き来する国会議員にもアッピールできたのですが、今は座り込みをしていて、目の前の道路を歩いている国会議員にはほとんどお目にかかりません。一般の通行人、国会や議員会館などで働く人、国会に見学に来た人、地方から陳情に来た人、それにいろいろな抗議行動に国会前や議員会館の中で行われる集会に来た人たちが私たちの座り込みの前を通ります。集会に来た人の中には、その集会が終わって、帰りがけに私たちに、”がんばってください”とか声をかけてくれたり、立ち止まってしばらく話していく方もいます。そういう方がカンパもしてくれることが多いようです。座り込みの場所には辺野古へのカンパ箱が置いてあり、それを集計して辺野古の運動にカンパを送っています。この日も午後4時まで座り込み、散会しました。
  • この日は夜「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団「合同のとらえなおし」をすすめる連絡会」(”もとすす”)のZoomによる話し合いがありました。”もとすす”の世話人・事務局では、本年が沖縄の復帰50年に当たりますので、何か集会ができないかと考えています。一人の方が候補にあがり、この日はその方を交えて事務局の方と私とで話し合いをするというのでZoom会議になりました。事務局で話していることは<今年は沖縄復帰50年ということなので、その先取りと言われた沖縄キリスト教団と日本基督教団の1969年合同がそもそも何であったのか。今まで「(合同の)とらえなおしと実質化」はそれなりにとらえられても、合同そのものがとらえられていないのではないか。「恐らく本当に戦争責任を考え、国家と教会を本気でとらえようとしたら、合同することにはならなかったのではないか。それでも合同して、いろんなものを丸く納めてしまったのではないか」ということ>です。この候補の方の話を伺うことができました。この方は1962年に同志社を出て牧師になっている方で、1960年代以降の教団の歴史を批判的に生きてこられた方です。私としては貴重なお話を伺うことができました。改めて事務局会で話し合うことになっています