「裁きの宣告」エレミヤ書43章8-13節、2018年11月25日(日)船越教会礼拝説教
・今日のエレミヤ書の箇所は、エジプトにおけるエレミヤの預言の一節です。新共同訳聖書には、今日の
箇所の前に表題があり、「エジプトンおける預言」と記されています。次に出て来る表題は45章1節の前
ですので、このエジプトにおける預言は43章8節から44章30節までになります。実はこれがエレミヤの最
後の預言です。このエレミヤの最後の預言が、バルクによってここに書き留められているのです。
・不本意ながら、ユダ残留民と共にエジプトに連れてこられたエレミヤは、エジプトでも彼に託された神
の言葉としての預言を語り続けたのです。私たちは、初代教会において、「時が良くても悪くても、福音
を宣べ伝えなさい」という勧めが語られていたことを知っています。「時が良くても悪くても」、どんな
状況にあってもということです。預言者エレミヤも、正にこのことを実践したのだと思われます。
・詩人であり、評論家であった吉本隆明が、自分が信頼して読んできた書き手が戦時下国家の弾圧の下、
筆を絶ってしまったが、自分はどんな状況においても、状況に対する発言を書き続けることによって、発
言をすることを止めないという趣旨のことを読んだことがあります。その時、私はすごいなあーと思いま
した。
・ユダ残留民に対して、エジプトに逃げるのではなく、ユダの地で、バイロン王ネブカドレツアルの影
響下に留まって、生きていけと、エレミヤは語ってきました。けれども、エレミヤのその預言はユダ残留
民によって無視されてしまったのです。
・自分の語った預言がユダ残留民によって無視されても、エジプトに連れてこられたエレミヤは、彼を通
してユダ残留民に語り続ける神の言葉を無視することは出来ませんでした。≪主の言葉がタフパンヘスで
エレミヤに臨んだ≫(43:8)からです。
・エレミヤは、この時、預言者として40年以上活動してきていました。エレミヤの語って来た預言は、ユ
ダの人々にとっては厳しい審判預言が多かったのです。当然エレミヤはユダの人々から反発されて、時に
は、投獄されたり、迫害も経験してきたのです。それでも、エレミヤは、若い時に預言者として神の召命
を受けた時のことを忘れることができませんでした。「自分は若者に過ぎないから」と言って、神の召命
を一度拒絶した時に、神から告げられた言葉です。≪「若者にすぎないと言ってはならない。/わたしが
あなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることを語れ。/彼らを恐れるな。/
わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」≫(1:7,8)。エレミヤは、預言者として40年以上、どんな
に状況が厳しくとも、この神の言葉に逆らうことができなかったのです。
・ヴァイザーは、「異国にあっても彼は神の預言者に留まって、反抗する聴衆に対して神を証しし、審判
を知らせるという厳しい責務を続行しなければならない。こうして、預言者の人生最後の段階も、神の真
実のためのーー外面的に見ればーー空しい戦い一色で塗りつぶされる。そして、この年老いた男の苦難に
満ちた人生は、弾き終えられた短調の和音のように次第に鳴りやんでいくのである」と言っています。
・ユダヤの残留民が逃亡して来たエジプトのタフパンヘスで、エレミヤに告げられた神の言葉は、預言者
の象徴行為によるエジプトのバビロン王ネブカドレツアルによる征服破壊でした。
・≪大きな石を手に取り、ユダの人々の見ている前で、ファラオの宮殿の入り口の敷石の下にモルタルで
埋め込み≫なさいという象徴行為を、エレミヤは神によって命じられます。
・この預言者エレミヤの象徴行為の本質は明らかです。大きな石は一種の台座を意図しているのであっ
て、エレミヤの預言によれば、ネブカデレザルが、彼のエジプト征服のしるしとしてその上に彼の王座を
建てると言うのです。エジプトの首都はタフパンヘスではありませんでしたので、問題の建物は、ファラ
オの宮殿としてここでは言及されていますが、エジプト王ファラオが訪れた時に用いる、木田献一さんは
「離宮であろう」と言っています。
・この象徴行為に続くエレミヤの預言では、イスラエルの神ヤハウエの壮大な歴史支配として語られてい
ます。≪イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは使者を遣わして、わたしの僕であるバビロ
ンの王ネブカドレツアルを招き寄せ、彼の王座を、今埋めたこの大石の上に置く。彼は天蓋をその上に張
る。彼は来てエジプトの地を撃ち、疫病に定められた者を疫病に、捕囚に定められた者を捕囚に、剣に定
められた者を剣に渡す。彼はエジプトの神殿に火を放ち、神殿を焼き払い、また神々を奪い去る。また羊
飼いが上着のしらみを払い落とすように、エジプトの国土を打ち払い、安らかに引き揚げて行く≫(43:1
0-12)≪羊飼いが上着のしらみを払い落すように≫という比喩には、当時の羊飼いの生活の一端が見え
て、面白く思いました。≪羊飼いが上着のしらみを払い落とすように、エジプトの国土を打ち払い、安ら
かに引き揚げて行く≫バビロン王ネブカドレツアルの勝ち誇った姿が見えるようです。
・しかし、「現実には、ネブカドレツアル王のエジプト攻略は紀元前568/567年に起こっていますが、大
した戦闘には至らす、牽制した程度で、後にバビロンとエジプトは友好関係が保たれたらしいと言われて
います。エレミヤの預言の内容は、ユダ残留民がバビロンを恐れてエジプトに逃げ込んでも、エジプトま
でバビロンの力が及ぶことになるので、ユダ残留民は災いを避けることはできない、というものでした。
しかし、その通りに必ずしも実現したわけではなかったようです。
・けれども、このエレミヤの預言によって、エジプトに逃れたユダ残留民が、神の意志にそわないもので
あることが明確に示されているのです。エルサレム陥落による国家滅亡のあと、南王国ユダの人々の中
に、どんな形で神の民イスラエルが再生するのかという重大な問いがあったに違いありません。その問い
に対して、ユダに生き残るはずの人々がその地を捨てて、エジプトに逃亡したことによって、ユダのグ
ループは消滅したことが、43章1-7節で語られたのです。そして、今日の箇所で、エジプトへ逃亡したグ
ループは決して神の民再生の希望を担うものではあり得ないということが、告げられているのです。とす
れば、残る可能性は、バビロンへ捕囚としえ移されいるあのグループのみです。その可能性がなくなった
ということが語られていました。
・ナチの時代、ボンフェッファーは1939年6月に、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーらの勧めで
アメリカに亡命します。しかし、わずか1か月後にはドイツに帰国することを決断して、ドイツに帰って
来ます。その理由は、自分がドイツにいなければ、戦後のドイツの再建を共にすることができないから、
というものでした。
・しかし、ドイツに帰って来たボンフェッファーは、その後、1939年、ドイツ国防軍の将校を中心とした
反ヒトラーグループ(ゲシュタポによって黒いオーケストラと名付けられる)に参加。ボンヘッファーの
役割は、グループの精神的支柱となることのほかに、各国のエキュメニズムとの連絡、連合国側への情報
提供、及び和平交渉でありました。1943年4月、ユダヤ人の亡命を援助したことにより逮捕。1944年7月、
黒いオーケストラによるヒットラー杏作計画は失敗に終わりました。多くの関係者が処刑、または逮捕さ
れ、ボンヘッファーの兄クラウス、義兄リューディガー・シュライヒャーも逮捕されました。1945年4月
に黒いオーケストラの一員であったヴィルヘルク・カナリス提督の日記からボンヘッファーの関与が発
覚。わずか数日後の4月8日、ボンヘッファーはフロッセンビュルク強制収容所へ移送されて死刑判決を受
け、翌日絞首刑に処されました。
・ボンフェッファーは戦後のドイツの再建に加わることができないで、連合軍がドイツを解放する数か月
前に、ゲシュタボによって処刑されてしまったわけです。
・ボンフェッファーはキリスト者として、ナチの時代に教会のあるべき姿を求めて、ナチを批判する告白
教会の運動に、バルトと共に参加しました。真実の教会を求めたからです。同時にボンフェッファーは戦
後のドイツの再建に心を寄せていました。神の前にドイツが真実な歩みをする国になるようにという、強
い願いがあったからだと思います。
・この真実の教会を求めることと、彼が所属するドイツという共同体である国が神の前に真実に歩むこと
とは、ボンフェッファーにとっては切り離せない課題であったと思われます。
・そのことは、ドイツの国の人々が、神の前に「神の民」として歩むことをボンフェッファーが願い求め
たことを意味すると思われます。ボンフェッファーにとって、ドイツの教会は、ドイツの国の人々が神の
前に「神の民」として歩むために、ドイツにあって活動する共同体として考えられたに違いありません。
その点、ナチズムに協力したドイツの教会(ドイツ・キリスト者)は、本来の教会の生命を逸脱した擬制
の教会に過ぎません。
・エレミヤが、エルサレム陥落、国家滅亡の中で、神の民イスラエルの再建を求めて、その預言活動を、
最後まで続けて行ったことを思うとともに、ボンフェッファーがナチズムの時代に、同じようにドイツの
再建に思いを馳せたことを考えさせられます。
・この時代に私たちも、教会と日本の国の人々が神の前に真実な歩みをしていくように、と願って、与え
られた務めを、エレミヤのように最後まで果たしていきたいと思います。
・ 神の助けを祈り求めつつ。