なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(362)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(362)復刻版を掲載します。2006年9月のものです。

 
        黙想と祈りの夕べ通信(362[-49]2006・9.3発行)復刻版


 8月22日から23日にかけて、関東神学ゼミナールの夏期合宿に参加しました。この合宿は21日からはじ

まっていましたが、21日は別の用事がありましたので、途中参加になりました。フェリスのHさんのイエ

スの神の国の譬えについての後半部分とサイードの翻訳者Nさんのお話し、それにSさんの旧約のお話を聞

くことができました。それぞれ興味深くありました。Nさんのサイードについてのお話しの中では、NHK

放映されたビデオを観ました。アメリカのイラク攻撃を批判しているサイードの講演の場面は、すでに白

血病を病んでいてそれからしばらくして亡くなる直前ということもあり、迫力あるものでした。私はサ

イードを殆ど読んでいませんが、今回の夏期合宿の準備として読んだ本の中で、サイードパレスチナ

アラファトの姿勢を批判し、イスラエルの中で現在のイスラエルの政策には批判的な人たちと繋がってい

くことの大切さを指摘しているところがありました。私はこのサイードの指摘の重要性を読んでいて感じ

ました。国家や民族の利害によって戦が起きるわけですが、多分それぞれの国家や民族に属する人の中に

は、必ずしも自分の所属する国家や民族のやり方に同調できないという人たちがいて、そういう人たちの

中には心から平和を望んでいる人たちもいるのではないかと思うのです。そういう人たちが境界を越えて

一つになり、それぞれの所属する国家や民族の中で自国・自民族優先主義の考え方やそこから出て来る覇

権主義的行動を内側から打ち破って行く働きしていくことによって、いつか境界の無い世界の実現を夢見

る。ユートピアかも知れませんが、私には素敵なユートピアに思えてなりません。

 上記の私の発言に続いて、一人の方が、入院して退院した友人に電話したところ、「はじめてお使いに

行けた」という声を聞いて安心したと話された。

 続いて別の方の発言がありました。先日京都にある活けるキリスト一麦教会の礼拝に出席した。この教

会は教団の教会と比べて熱心である。私はかつて関西にいた頃、落ち込んでしまったときに、この教会で

の説教によって慰められたことがあった。3年ぶりに旧交を温めることができた。青春18切符だと2,30

0円で往復できる。横浜から夜行に乗って京都に行き、午後2時ごろまでいて、普通列車で帰ってくる

と、横浜に午後11時半ごろ着く。今回も昼には神戸栄光教会の友人と食事をして、2時間ぐらい語り合う

ことができた。その友人とは罪についての話ができ、有効な時間を過せた。

 そしてもう一人の方の発言がありました。明日8月は終わる。今年は7月から8月にかけて、いろいろな

経験をさせてもらった。日曜学校では3人の方から戦争体験や平和のお話を聞くことが出来た。日曜学校

の夏期キャンプでは本郷台にあるアースぶらざに行き、戦災の展示や戦場の写真展を観ることもできた。

日曜学校の子どもたちと共に平和を祈り、戦争を二度と再び繰り返さないようにとの思いを共有すること

が出来た。子どもたちの殆どは家では戦争体験の話を聞いてはいないと思う。この時期日曜学校の場で戦

争の悲惨さと平和の大切さを感じてくれればと願っている。沖縄戦を0歳で体験されたHさんのお話には

引きつけられた。たまたまチケットが手に入り、明石屋さんま主演の小鹿物語を観劇した。戦争中の関西

のお笑いの方々の物語で、戦争をノーと言っている、在日の方も訴えているお芝居を観ることができた。

平和の祈りをあつくしている反面、現実は米軍再編の問題からはじまって、段々きな臭くなる方向へと水

面下では進められているのだろうか。とくに自分の出来ることをしていきたい。今年の8月は特に平和を

祈る思いを強くし、豊かな出会いを経験し、導かれて、自分の歩むべき道を示されたと思っている。また

一年、8月から8月まで歩みたいと強く思わされた。