なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(249)復刻版

 私は、今日から14日(土)まで夏期休暇です。しかし、その間にもいろいろと責任を持っている集会が

あったりして、遠出はできませんので、鶴巻でのんびりと過ごす予定です。

 さて、今日は「黙想と祈りの夕べ通信(249)」復刻版を掲載します。

 下記通信に出て来る鎌倉静養館への日曜学校中高科訪問は、現在は行っていないようです。一年一回の

訪問でしたが、静養館に入所しておられた方の中には覚えてくれている方もあり、毎年訪問に参加してい

る子どもたちの成長を喜んでくれる方もいらっしゃいました。子どもたちも、お年寄りとの一年ぶりの再

会を楽しみにしていました。鎌倉静養館は軽費有料老人ホームで、入所しておられるお年寄りの方は身辺

自立のできている方でした。ですから、言葉による子供たちとのコミュニケーションもあり、子供たちも

お年寄りから声をかけられて応答している場面もありました。子供たちにとっては、貴重な異質な他者と

の出会いの時ではなかったかと思います。懐かしい思い出の一つです。


  
        黙想と祈りの夕べ通信(249[-40]2004・7.4発行)復刻版
 

 去る日曜日の午後に神奈川教区の国家秘密法反対小委員会主催の講演会が紅葉坂教会で行われました。

戦時下の教会のことについて東駒形教会牧師で教団宣教研究所の仕事をしているK氏が資料に基づ

いて講演しました。戦時下の教団の教会で礼拝の時に行われていた国民儀礼(宮城遥拝)や飛行機の献納

のこと、戦時下に教団から発行された「家庭礼拝歴~聖書日課~」などについて話してくれました。その

中で日本のキリスト教史で少なくとも国家と対峙して福音を語った人物を見出そうとするなら、内村鑑三

柏木義円までもどらなければならないという指摘がありました。実際そうなのだろうと思いながら聞き

ましたが、考えさせられるテーマです。よく戦時下の日本の教会とナチズム下のドイツの教会との比較が

なされ、日本には起こらなかった告白教会の運動が少数ではあってもドイツの教会には起こったことが挙

げられます。そして戦後のドイツの教会は告白教会の遺産を継承して、ナチズム下の教会との連続性をも

ちつつ、ナチズムに協力したドイツの教会の問題を克服する道を歩んで行ったのだと思います。戦後の教

団にはそのような歴史の継承はありませんでした。1967年に戦責告白が出て、そのような歴史認識

教団の教会の一部に共有されるようになり、現在に至っていますが、教団全体に浸透するまでにはなって

いません。改めて時代や社会の中で福音を信じて生きる者の在り様を考えさせられました。

  続いて一人の方からの発言がありました。ここに座って一週間の生活を振り返っている。先週の木曜

日は叔父をホームに訪ねた。金曜日はオリーブの会(年長者の食事会)。土曜日は神奈川教区総会に出

席。Yさんの消息をUさんがメールで送ってくれる。日曜日は鎌倉静養館の日曜学校中高科訪問に一緒に

行った。叔父が入所しているホームに行くと痴呆棟の叔父は食べることに興味をもち、子供に帰ってい

る。脳が自然に萎縮し、言葉や記憶や時間観念が失われている人が多い。オリーブの会に来る方は元気

で、話もはずみ一緒に食卓を囲むことが楽しい。Uさんのメールには、Yさんが亡くなったHさんのメガ

ネを譲り受け、そのメガネで聖書を読むとピントが合ってよく読める。夜には平和を祈って寝る、とあっ

た。また鎌倉静養館では、お年寄りとビンゴゲームをして楽しんだ。「20世紀の大事件」という題が出

て、いろいろ思い出して書き入れていたが、戦争や恐ろしい出来事が続くと、もっと楽しい出来事にしま

しょうよという方があった。グループの中に「吉典ちゃん事件」を書いたグループがあった。50年前

は、一人の子どもの誘拐で国中大騒ぎだった。戦争で命を落とした人が多い中で、人を殺すなんて考えら

れなかったのに、50年過ぎて全く違ってしまった。今は命が軽くなってしまった。出身地方を入れるビ

ンゴの時は、本当に楽しそうだった。子供の時の記憶は楽しいのだろうと思う。お年寄り、病気の人、独

居の人が平安に生きていける社会を築いていくことを願わずにはおれない。