なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(250)」復刻版

 今日も「黙想と祈りの夕べ通信(250)」復刻版を掲載します。

 まだまだ残暑が厳しくあります。また、昨日は、積乱雲による竜巻が埼玉県越谷市と千葉県野田市に起

こり、家の屋根が吹き飛ばされたり、怪我をする人が出るなど被害が起っております。竜巻に関しては、

今まではアメリカの話の様に思っておりましたが、ここ最近日本でも起こっているという気象報告を聞く

ようになっています。局地的豪雨被害が多発したり、竜巻被害が起こったりと、自然の変動が激しくなっ

てようです。自然を傷つけている人間への自然からの抗議なのかも知れません。



          黙想と祈りの夕べ通信(250[-41]2004・7.11発行)復刻版


 古代から現代までの社会の歴史を振り返って見ますと、マルクス主義的な歴史観で言われています「自

然史的過程」が確かにあるように思われます。例えば宗教の歴史で言えば、アミニズム的な段階からおそ

らく宗教のタイプとしては最も現代的で殆ど倫理に近くなっているプロテスタンティズムまで、さまざま

な段階が認められるでしょう。先日お迎えしましたI牧師の説教をお聞きしていて、「あなたがたの

義・・」は殆ど人間の生き方を意味していると思いました。特にアルコール依存症の治癒のための自助グ

ループの中にある種の宗教性があるというお話は大変刺激的でした。私自身の中にももうずっと前から、

それこそ神学校を出て牧師として働くようになった当初から同じような問題意識がありました。紅葉坂

会に招かれて、乞われるままに宣教方針を示しましたが、その宣教方針に挙げられています「共生(と自

立)の場としての教会」という言い方自体が、それを受け取る人によっては極めて倫理的であり、どこに

神の恵みがあるのかと疑問をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。その辺の問題を私は「聖

書と現実との往還」という言い方で補足してきたつもりです。「聖書と現実との往還における共生と自立

の場としての教会」があるというようにです。

 どんな宗教にもある種の迷妄が潜んでいると思います。ブッシュの原理主義キリスト教が何故マメリ

カ社会の中で厳然とした勢力をもってあり得るのでしょうか。そこにも宗教のもつ迷妄があるように思え

てなりません。神の名を持ち出せば思考停止ができ、自分の立場を絶対化できるのです。しかも現代文明

とそれがむすびついて、軍事力による他国の侵略という極めて非人間的な行動を支えてしますとすれば、

アミニズム的な宗教心と人間と自然との一体的な原始的世界の中で我々人間が生きている方が、はるかに

人間的ではないでしょうか。けれども、自然に帰るエコロジストにみんながなることは不可能です。自然

との一体の生活がどんなに厳しいものであり、古代の時代から営々と人間は生き延びるために努力し、自

然に打ち勝ちながら来たかを考えるなら、現代文明を簡単に否定することはできません。エコロジストは

現代の文明の恩恵を受けているからエコロジストであり得るというところがあるように思います。人間の

文明の積み重ねによるある意味では厳しい自然の支配に人間が打ち勝ちながら獲得して現在の生活を私た

ちはそう簡単に手離すことはできないように思います。人間は欲望をコントロールすることはできても

(それもできない場合が多いのですが)、欲望を捨てることはできません。欲望を捨てるなどということ

は、人間でないものにならなければ不可能だからです。最近都会での生活と仕事を捨てて、田舎生活を選

んだ人や沖縄の島での生活を選んだ家族を紹介するテレビを観ました。素晴らしいとは思いましたが、み

んなが出来るともみんながやらなければならないということではないでしょう。いろいろな問題を抱えて

はいますが、基本的に現代文明を肯定した上で、その行き過ぎや非人間性をセーブして現代文明を人間的

に優しいものにしていくのは、私たち自身ではないでしょうか。

 聖書の証言している神は我々人間に思考停止や自己絶対化を許す方ではないと思うのですが、人間は勝

手に聖書の神を自分の神にしてしまうのです。その点でイエスの生涯は、何と言っても私たちが私たちの

信じる神信仰とはどういうものなのだろうかを考える時の道しるべです。かつて荒井献さんが『イエス

その時代』の中でだったと思いますが、イエスの神信仰について触れて次のように言っていたように思い

ます。イエスにとっての神信仰は、自己相対化の視点であると共に全的な支えであると。すべての人間が

支えられて在る生存の肯定と、自分と他者とは対等・同等な存在であるという自己相対化に生き得るとす

れば、現代文明を恩恵としてすべての人に生かす道も与えられるのではないでしょうか。