なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(251)復刻版

 今日も「黙想と祈りの夕べ通信(251)」復刻版を掲載します。この通信は9年前のものですが、今

辺野古の新基地建設の企ては続いています。当然反対の運動も続いています。この9年前の辺野古にボ

ーリング調査が行われた年の夏から、国会前での辺野古新基地建設反対の座り込みが始まりました。当座

数年の間は、さまざまなグループの人がこの国会前の座り込みに参加していましたが、段々と来なくな

り、今はキリスト者の女性数名によって担われています。

 1972年の沖縄返還後に、本土の米軍基地は徐々に縮小されましたが、その分沖縄には返還以前よりも米

軍基地が増強されたということです。今年の8月11日の神奈川教区平和集会での講師:関東学院大学教授

林博史さんの講演を聞いて、そのことをはじめて私は知りました。不勉強を恥ましたが、林さんにより

ますと、沖縄と本土の米軍兵力と米軍基地面積の比率は、沖縄:米軍兵力・1955-15%、1960-45%、19

72-67%、2009-72%で、面積:1950年代前半―10-20%、1960年代―半分、復帰後75%、現在74%だそ

うです。林さんのレジュメには、「現在:普天間飛行場の代替基地はあくまでも沖縄に作る。本土の候補

地は地元が反対すれば取りやめ、沖縄がそれを拒否すれば、危険な普天間を継続使用、オスプレイ配備」

という沖縄差別が歴然としているというのです。それを許している本土の一人である自分を問わざるを得

ません。
  

         黙想と祈りの夕べ通信(251[-42]2004・7.18発行)復刻版


 先週の土曜日に藤沢で納骨式をしてきました。この方は5月末に召され、ご遺族の方から、以前に別の

家族が亡くなった時に紅葉坂教会の牧師に葬儀の司式をしてもらったことがあり、本人が生前キリスト教

式で葬儀をしてもらいたいと言っていたので、葬儀をしてもらえないかと頼まれて、6月初めに葬儀式を

した人です。納骨式を終えて、ご遺族20数名の方々と食事をした折、召された方の係累系図のような

ことが紹介されて、いろいろと話題が広がりました。納骨した方の連れ合いはセブンスデー・アドベンチ

ストの教会の信徒であったこと。その方の父がセブンスデー・アドベンチストの牧師だったそうです。戦

前の時代で、セブンスデー・アドベンチストは日本基督教団に統合された教会とは違って弾圧も受けたで

しょうから、この家族がどんな生涯を歩まれたのか興味があります。納骨された方の連れ合いは、戦後日

共産党から市議会議員に立候補したことがあるそうで、若い時には純粋にセブンスデー・アドベンチス

トの信仰に励んだようですが、ある時期から教会に矛盾を感じて、教会からは離れたようです。けれど

も、個人としては信仰の灯火をともし続けていたように思われます。納骨をしたお墓の墓石には十字架と

聖書の言葉が刻んでありました。残念ながら私たちの教会もそうですが、教会が教会から離れてしまう信

徒を出してしまうということがあるように思われます。今回葬儀で関わりました家族の場合も教会からは

離れてしまっていますが、どこかに信仰へのこだわりをもって生涯を送られたのではないかと思えてなり

ません。そういう方々があちこちに散在しておられるのではないでしょうか。

  続いて一人の方からの発言がありました。今沖縄辺野古の座り込み支援に行っているS牧師から夕方

に電話があった。「今日の夕刊みましたか」と。沖縄の伊波宜野湾市長がアメリカに行って普天間、辺野

古のことを訴えたら、アメリカの高官が議会に反対するよう働きかけるというニュースである。嬉しかっ

たので、さっそく大きなうねりを起こす会のメンバーにメールで知らせた。先日の選挙で沖縄から当選し

た基地反対のIさんがさっそく辺野古の座り込みに来た。辺野古では85日座り込みが続いている。半分

奇跡が実際に起こっていると思う。まだ防衛施設局の人が来るので予断を許さないと思うが、東京でも辺

野古のボーリング調査反対の運動が起こっており、各地にその運動が広がっている。すごいことだと思

う。今まで自分はこのような運動に関わったことがないが、今回は2年前に沖縄に行ったときに辺野古

海を見ていたので、そこに基地を造るためのボーリング調査が入ると聞いて、飛んで行きたい気持ちで、

この運動に関わった。ネット社会という文明のすごさを実感している。今は新潟の水害で苦しんでいる

人々のニュースがあり、沖縄の基地についてのアメリカ高官の発言などニュースには載らないだろうが、

注意していれば、世界で起こっているマイナーのニュースでも知ることができることはうれしい。