なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想祈りのと夕べ通信(212)復刻版

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信」(212)復刻版を掲載します。     


       黙想と祈りの夕べ通信(212[-3]2003.10.19発行)復刻版


 今日は信和会(年配の男性の会)の食事会があり、私も参加しました。16名の出席で台湾料理を味わ

い、和気藹々の雰囲気で会を持ちました。私の左右のお隣はH・SさんとY・Tさんでした。食事をしな

がら、いろいろ話ができ、よい時を持ちました。H・Sさんは、人間はいつまでたっても戦争を続けてい

くのではないか、自分は性悪説のようで、はなはだ信仰的ではないが。確かに、戦争中の時代に比べて、

今は自由があるし、いろいろな面で時代とともに日本社会は良くなっていると思う。そういう意味では進

歩していると言えるが、戦争だけはなくならないように思う、と言われました。私は、戦争は国家の成立

と深く関わっていると思う。国家成立以前の部族のような時代にも抗争はつきものであっただろうが、国

家成立以後の戦争と比べたら、部族間の抗争は質的に違っていたのではないだろうか。国家が閉じられて

いる限り、今後も戦争はなくならないが、国家が開かれていけば、戦争は避けられるのではないかと思

う。現在の日本の政府はアメリカとだけ一体化しているが、平和憲法に基づいて、戦争責任と賠償をきち

っとして、諸国家と等距離外交をしていけば、戦争は避けられるのではないだろうか。そして、徐々に国

家を開いて、国を越えが民衆同士の交流を密にして、ヨーロッパ連合のような形態をアジアの国々と創り

出していけば、徐々に戦争をしなくてよい状況に至るのではないかという話をしました(これは吉本隆明

の受け売りですが)。もうひとつ、私は、たとえ戦争がこれからもなくならないとしても、自分はどうし

たいのかという自分の思い(思想)を大切に、その思いにふさわしく自分なりに歩んでいきたいというこ

とを話しました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。さきほど讃美歌21の493番を歌った

が、この讃美歌は今月中高科の礼拝でも歌った。今日の中高科の礼拝ではA・Eさんがお話をしてくれ

た。A・Eさんは493番の讃美歌についてと、自分のことについて話してくれた。今年のクリスマスイズ

の12月24日は、教会に来たいが、仕事が入って心が揺れるでしょうと言われた。お祈りでA・Eさんは、

「神さま、おはようございます。…」と祈られた。私は、この人は神さまをそこにいる子どもたちと同じ

ように一人の人格として信じていることを知った。「おはようございます」という挨拶の言葉には、何か

人格的な触れ合いがあると思わされた。私自身は密室の祈りはあまりしていないが、彼女の「おはようご

ざいます」という祈りから教えられるものがあった。祈りのときに、自分だけの思いや願いを語って一人

相撲をしていることが多く、神との人格的な触れ合いを感じていることが少なかった。このことも日曜学

校の子どもたちと考えていきたい。

 また別の方からの発言がありました。海外出張して帰った息子が、海外の空気が分かるように話してく

れた。今先生が言われたように、日本の国は中立で戦争反対の途を歩んでいけるのに、小泉首相は何故そ

れを貫かないのかと、海外の人から笑われているような経験を何度かしていると、息子は言っていた。今

日は去年教会のバザーに来てくれた近所の方々を、今年もバザーの案内を持って一軒一軒廻った。その中

には待っていてくれた人もいた。また、自分の友だちも誘っているのよ、と言ってくれた人もいた。うれ

しかった。バザーの品物を買うとうこともさることながら、バザーで教会の方々から受ける感じがとても

柔らかで好感をもっていてくれることが分かった。バザーの時だけでなく、日常的にみなさんに応えられ

るようになりたいと思う。



         「勝利の教会」(『ルターの日々のみことば』より)

 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。 

                                   エペソ6:10

 パウロは、戦争体制を組んだ兵士の前で訓示する、正しい神をおそれる将軍のように行動します。将軍

は兵士たちがしっかりと立ち、大胆に確信をもって戦うようにすすめます。それゆえ、これはキリスト者

のいくさの説教と呼ばれるふさわしいものです。パウロはここでキリストにあって洗礼を受け、主にしっ

かりとすがろうとする人は、いつも武具を身につけた戦士でなければならないことを示しています。多く

キリスト者のただひとりも、安閑と存在しているのではありません。だれひとりとして平穏で安全な人

はありません。彼等はいつも戦場で自己の立場を守り、また、攻撃しているのです。

 よれゆえ、パウロはここで兵士たちを召集し、警告しております。「あなたがたはわたしの部隊に属

し、わたしの軍旗のもとにある。あなたがたは敵に対して常に警戒し、敵の軍勢に対していつでも防御で

きる姿勢になければならないからである」。そのような姿勢にあるかぎり、あなたがたはおそれる必要は

ありません。わたしたちは、ご自身天使と十分の力を持っておられる主に属しております。主は万軍の主

と呼ばれ、龍に勝つまことの勝利者と呼ばれます。主はわたしたちのそばで戦われ、また、わたしたちに

代わって戦ってくださいますから、悪魔をそのすべての軍勢も倒れ、投げ捨てられます。主のことばは永

遠にとどまるからです。それは誘惑され、教会は敵と戦って平和はないかもしれません。またみことばを

心から抜き取られるままにする幾人かは倒れることもありましょう。しかし、みことばは永遠にとどまり

つづけます。

                                1544年の説教から