なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(463)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(463)復刻版を掲載します。2008年8月のものです。

 今日はオスプレイが厚木に飛来すると言われています。集団自衛権についての議論からは、不安がますま

す募るばかりです。

 私は、今日午後に教団教師委員会との面談があり出かけます。どうなりますか。少しでも明るい兆しが感

じられるといいのですが。


          黙想と祈りの夕べ通信(463[-45]2008・8・10発行)復刻版


 日曜学校の夏期キャンプが箱根のC旅館で8月9日(土)から11日(月)まで行われています。昨年は千葉の

富津の民宿で行う予定でしたが、みんなの都合が悪く中止して、教会で行いました。今年は、十数年前にも夏

期キャンプをしたことのある箱根の千條旅館ですることにしました。日曜学校の夏期キャンプのテーマは今年

で3年目になりますが、「平和をつくり出す人、パートIII」です。いつも夏期キャンプの聖書箇所は私が選ん

でいます。今年はイザヤ書32章15-20節にしました。特に17節、18節「正義が造り出すものは平和であり 正

義が生み出すものは とこしえに安らかな信頼である。わが民は平和の住みか、安らかな宿 憂いなき休息の

場所に住まう」です。

 準備する段階で箱根と太平洋戦争との関わりはあるのだろうか。もし小田原や箱根に住んでいる方で戦争体

験を語ってくれる人はいないだろうかと、日曜学校スタッフの会では話し合い、小田原教会のT牧師にそうい

う方がどなたかいないかお聞きすることにしました。私がT牧師に電話しますと、即座に小田原や箱根とは直

接関わらないが、硫黄島の戦闘に関わった方がいるのでということで、紹介していただきました。Yさんとい

う方です。1918年生まれの方ですから今年誕生日が来ますと満91歳になる方です。お電話しましたら、快く引

き受けてくださいました。すぐにYさんは硫黄島の戦闘に関わった方で、昨年に会津の方の憲法9条の会でなさ

ったお話の原稿と、ご自身で作成された戦争の年表と共に送ってくださいました。Yさんは小田原に住んでお

られます。夏期キャンプの2日目、10日(日)の午後4時に旅館に来ていただき、お話をしてくださることに

なりました。

 私は箱根と太平洋戦争との関わりをしらべたところ、いくつか関わりがあることが分かりました。一つは、

戦時下、特に1944年戦局の悪化に伴い、外務省は、東京にあった大使館とその家族の疎開を決定しました。

その場所とされたのが箱根と軽井沢です。太平洋戦争開戦後、対戦国となった英米の大使館は閉鎖されまし

たが、東京には、枢軸国のドイツやイタリア、あるいはアジア諸国の大使館がありました。その後、東京の

空襲が激しくなると、一般外国人もすべて軽井沢と箱根に集結させることとなり、1945年5月には、外務省の

連絡事務所が宮ノ下の富士屋ホテルに設置されました。この富士屋ホテルにはその頃イタリア、ドイツ、タ

イ、フィリピン、ブルマ、満州国などの大使館員や武官が滞在していたと言います。そして強羅ホテルには、

ソ連の大使館関係者が疎開していました。その他に、船舶の爆破事故により帰国できなくなった120人余りの

ドイツ海軍兵士も滞在していたそうです。ですから、外国人が多かった戦時下の箱根はアメリカの爆撃の攻

撃対象から外されたのでしょう。もう一つは、箱根は横浜からの学童疎開の子供たちを受け入れたそうです。

また、戦時下ではありませんが、戦後マッカーサーによる占領時代に、箱根、特に富士屋ホテルは週末には

米軍将校家族のパーティー会場としてにぎわっていたそうです。敗戦後の日本人の多くが貧しく、食べるも

のにも窮していたとき、豪華な宴会が毎週のように行われ、そこには当時の日本の状況からすれば異次元の

世界があったといいます。戦争中は敵国の音楽ということで禁じられていたジャズもバーで演奏されていて、

そこには若い日本人のジャズマンもいたそうです。

 「箱根は、その特別な存在ゆえに、戦災を受けることなく、多くの人々の命と思惑をその山懐に抱いて、

暗い時代を生き抜いた」のでした。山懐に抱かれたC旅館で、そんな箱根のことを思いながら、日曜学校の

夏期キャンプを子供たちと共に過ごしたいと願っています。  
    

       
         「愛に燃えて」           8月10日


 私たちはしばしば「どうすればイエスのみ名による証し人となれるのだろう。神がお与えになる愛を受け

入れるには、どんなことを言い、どんなことをすればよいのだろう」という問いに気をとられます。こうい

った問いかけは、私たちの愛というよりはむしろ恐れから出て来るものです。イエスは、どのような証し人

となったらよいかを私たちに示しておられます。イエスは神の愛に満ち、神のみ心に結ばれ、神の国を思う

熱意に燃えていたあまり、証しとなる以外何も出来なかったのでした。イエスはどこに行かれても、またど

んな人に会われても、力がご自身から出て行って、ご自分に触れた人をみな癒されたのでした(ルカ6:19)。

 イエスのような証し人になろうとするなら、私たちもイエスのように神の愛に満ちた生き方をするように

心がけることが大切です。


                   (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)