黙想と祈りの夕べ通信(411)復刻版を掲載します。2007年8月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(411[-46]2007・8・12発行)復刻版
月曜日に久しぶりに辺野古基地建設反対国会前座り込みに行きました。参議院会館前の壁に垂れ幕や写真を貼って、その前
にこの日は3人で座り込みました。翌日が臨時国会が開かれるということでしたが、人通りは余りありませんでした。3時半頃
に一度前の道路をタクシーからビデオカメラで私たちを撮影しながら通り過ぎて行ったアメリカ人が、私たちのところに一人
の日本人の通訳を伴ってやってきました。そしてビデオカメラを回しながら、私たちにいろいろ質問しました。まず今日は8月
6日でヒロシマの被爆の日で、先ほどアメリカ大使館前に日本の右翼が街宣車でやってきて、アメリカの原爆投下を批判してい
たが、私たちはヒロシマの被爆をどう思うかというのです。「アメリカは謝罪すべきだ。アメリカでは原爆投下によって、そ
の後戦争が続いていれば出たはずの多くの犠牲者を出さずに済んだということで、原爆投下の正当性を主張する論調が強いが
、そういう人たちが被爆の悲惨さをどれだけ知っているか疑問である。事実をきちっと認識して欲しい。アメリカの諸都市で
原爆展を開いてもらいたい。等々」。また、こちらから質問もしました。アメリカが世界の各地に基地を持っているが、その
ことをどう思うか? そのアメリカ人は、自分の個人の意見だがと断って、アメリカは外国から基地を引き上げるべきだと言
われました。そして最後に、ビデオがもうすぐなくなるので、私たち3人に一言づつアメリカに対する問いを言ってくださいと
言われ、私は「アメリカでは先住民の問題をどう考えているのか」と申し上げました。結構突っ込んだ話し合いが出来て、座
り込みに行って、予想外の経験をさせていただきました。
以上の私の発言に続いて一人の方から発言がありました。先週の土曜日日曜学校の夏期キャンプがあり、平和について考え
た。今日は国会前の座り込みに行く予定だったが、腰をひねり一日休んで家にいた。この時期なのでテレビで「はだしのゲン
」やアニメ「あらしのあとで」が放映されていたので観てしまった。私は毎週月曜日には障がい児をもつ親の支援をしているN
POに行くが、ちょうど今週の月曜日は8月6日でヒロシマの原爆投下の日で、平和公園での反核集会の様子がテレビで映ってい
た。そのテレビを観ていて、大人が行う戦争によって一番苦しむのは障がいをもった者ではないか。戦争に役立たないという
ことで、座敷牢に入れられたり、人権が極端に無視された。現在の平和な日本の社会では、障がい者は公的な支援を受けるこ
とが出来る。しかし、一度戦争が起これば、一番先に障がい者への公的支援が削られるのではないかと思う。平和をつくり出
す人というテーマで行われた日曜学校のキャンプのことも考えながら、特に今の時期平和のことを思い、祈っている。
もう一人の方からの発言がありました。7月末の1週間、その内の2日大磯のエリザベス・サンダースホームの資料館に行き、
得がたい体験をした。人との出会いがこんなにも大きな体験をもたらしてくれるものかと驚いている。資料館の館長さんが見
学に行ったときに撮ってくれた私の写真をわざわざ送ってくださった。ホームの創立者である澤田美喜さんの写真の目が不思
議と生き生きと感じられた。私が行ったことを館長さんが大変喜んでくれて、帰ろうとすると、新しい品を出してみせてくだ
さった。2日目のときは、お礼方々伺ったが、その時も館長さんが時間をかけて話をしてくれた。普段の生活とは違う得がた
い体験をさせてもらった。これから9月3日までは休館になるということで、9月4日過ぎにまた伺いたいと言って帰ってきた。
「イエスの隠れた人生」 8月12日
イエスの生涯の大部分は隠されていました。イエスは両親と共に、両親に仕えてナザレに暮らしていました(ルカ2:51
参照)。そこでイエスは「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛され」(ルカ2:52)ました。イエスについて思い巡ら
す時、多くの場合イエスが語られたことや奇蹟、受難、死、復活が頭に浮かびますが、何よりもまずイエスは偉大な人々や偉
大な町、偉大な出来事からはるか遠く離れた小さな町で、簡素に、隠れて生きておられたことを忘れてはなりません。イエス
の隠された人生は、私たち一人ひとりの霊的な旅路にとって、とても大切です。み国のために、言葉と行いによってイエスに
従おうとするなら、何よりもまず、簡素であまりぱっとしない、ごく普通の隠れた生活の中で生きられたイエスに従う努力を
しなければなりません。
(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)