なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(412)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(412)復刻版を掲載します。2007年8月のものです。


           黙想と祈りの夕べ通信(412[-47]2007・8・19発行)復刻版 


 猛暑が続いています。今年も8月15日(水)、戦後62回の敗戦記念日を迎えました。この時にと思い、しばらく前に

購入していました『十五年戦争期の天皇制とキリスト教』を読み始めました。夜暑くてクーラーを入れていますが、

時々目が覚めてしまい、深く眠れないせいかもしれませんが、活字を読んでいると、瞼が重くなって眠気が襲ってき

ます。なかなか進みません。まだ4章を読み終えただけですが(全体では16章)、15年戦争期のキリスト教会が、

いかに当時の日本の天皇制国家に擦り寄っていたかが、よく分かりました。けれども、そのようなキリスト教会の

全体的な流れに抗うかのように、「1941年6月に日本基督連盟が消滅するまでに官憲の取り調べや検挙、その他の

弾圧を受けた教派や個人のうち、留意すべき事例として」、土肥昭夫氏は下記のように挙げています。        

 < 美濃ミッションの信徒の子女で小学校児童の神社参拝拒否(1929/9/24-)、伊勢神宮参拝拒否

(1933/6/22-23)があり、宣教師S.L.ワイドナーや教職、信徒の参拝拒否表明により、児童の退校処分、幼稚園の

設立不許可の処分がなされた。

 ◆‥?羲辧米鐱椹拮長明石順三)は、不敬容疑で一斉検挙を受け(1933年5月中旬)、文書の押収、布教の一時

中止を命じられた。その信徒明石真人(順三の長男)、村本一世は、軍隊の招集後兵器返納を申し出たため軍法会議

で有罪を宣告された(明石、1939/6/14、村本、1939/6/16)。燈台社は、治安維持法違反容疑で一斉検挙をうけた

(1939/6/14)。明石順三は、起訴され、判決、控訴、上告棄却により服役した(1943/9-)。殉難者、殉教者が相次

いだ。天皇制にかかわる彼の壮絶な闘いは銘記すべきである。

  ブレズレン信徒の石浜義則は、路傍伝道説教における言説で警察に連行され、神宮不敬罪で神戸拘置所に留置

された(1933/10)。神戸地裁に起訴され、有罪判決、大阪控訴院も同様棄却され、服役した(1934/12-1935/5)。

以後特高の監視を受け、一時留置された(1938/8)。

 ぁ‘鐱楡燦?颪蓮△修竜祷書における天皇のための祈りについて特高より削除ないし改定を要求された

(『読売新聞』1935/1/9)。第19回総会(1938/4/26-29)はその改定を確定した。
 
 ァ〔偽飢馘粗纂堝B武義は、その終末論に関する言論発表のため新聞紙法、不敬罪の容疑で検挙され

(1937/10/23)、米子署、ついで鳥取署に拘引、取調べを受けたが、鳥取検事局で起訴猶予とされた(1938/7)。

同伊藤佑之は、その唯一神、非戦論に関する言論発表のため検挙され(1937/12,上旬)、皇室尊厳冒涜、安寧秩序

違反事件として東京地裁検事局に送検された(12/18)。同矢内原忠雄は、その論説や講演にみる国策批判のため

関係当局の圧力を受け、東大経済学部教授の辞表を提出した(1937/12/1)。

 Α]¬全管田川大吉郎は、親米英、平和、神社参拝、国体明徴の諸問題で大阪憲兵隊に検挙され(1040/6/20)

大阪地裁で執行猶予に処せられた(1941/1/15)。

 Аゝ濱し各鐱榾椡調管植村益蔵、瀬川八十雄らは、東京憲兵隊によりスパイ容疑で取り調べを受けた

(1940/7/31-)。彼らの容疑は晴れたが、救世軍は文部省の厳しい行政指導を受け、その教説、組織は変質して

いった。

 ─_貔酲彦は、平和運動の嫌疑で、渋谷憲兵隊に検挙された(1940/8/25)。しかし東京地裁で不起訴処分に

された(1940/9/13)。

 これは1941年6月までです。日本基督教団の成立が1941年6月24日ですから、この後のホーリネス教会や牧師への

弾圧が起るわけです」。

 あの厳しい時代にあって、自らの信じるところに立ってそれを貫こうとしたアグループや個人が少数でもいた

ことに力づけられる思いがいたします。



             「貧しい人々の中におられる神に出会う」  8月19日


 自分自身の貧しさを恐れずに言い表わす時、私たちは、それぞれに貧しさをもった他の人々と一緒にいることが

出来るようになるでしょう。私たちの貧しさの中に住まわれるキリストが、他の人々の貧しさの中に住まわれる

キリストを見出すからです。自分の貧しさを無視しがちな私たちは、同様に他の人々の貧しさをも無視しがちです。

私たちは、極貧の中にある人々に会わないですむなら会わずにいたいし、体に障がいを負った人々に目を向けたく

ありません。人々の苦しみや悲しみについて語るのを避け、傷つき、助け手もなく、援助を必要としている人々の

状況から遠ざかろうとしてしまいます。

 このように避けてしまうことで、私たちは人々との接触を失ってしまいます。その人々を通して、神が私たちに

ご自身を現わそうとしておられるのに。けれども、私たち自身の貧しさの中にいてくださる神を見出した時、

私たちは貧しい人々を恐れなくなり、神に出会うために貧しい人々のところへ出かけて行くようになるでしょう。


                       (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)