黙想と祈りの夕べ通信(367)復刻版を掲載します。2006年10月のものです。
癸械僑兇漏箘Δ靴泙后この時は私は黙想と祈りの夕べを休暇で休みました。さて、今日は、JR御殿場
の下曽我駅から歩いて曽我梅林に行ってきました。曽我梅林は梅の生産者の梅林で、こんなに広範囲にあ
る梅林を観たのははじめてでした。横浜の大倉山の梅林、熱海の梅林、湯河原の梅林とは全く違う、梅の
木の畑という感じです。しかし、幹は太く何十年咲き続けている梅の木に思えました。今日観てきたの
は、曽我梅林の一部だけです。とにかく広い梅林でした。
黙想と祈りの夕べ通信(367[-2]2006・10・8発行)復刻版
黙想と祈りの夕べを始めて、この9月末で丸7年が過ぎました(上記「通信347」は第1号からの番
号、[-2]は8年目の2号となっています)。10月から8年目に入ります。参加する人は少ないのです
が、週の半ばにこのような時を持つことは、私自身にとって、最初始めた時に思っていた以上に大切な時
となっています。ローズンゲン(聖書日課)から旧約詩篇と新約の二箇所の聖書を朗読し、その後10分ほ
ど黙想の時間を持ちます。この時間は私には貴重な時となっています。黙想の時間に自分の雑然とした思
いが次から次に浮かび上がって、収拾がつかない状態になることもありますが、知られざる神に向かっ
て、あるいはイエスに向かって自分の方から問いかけていることもありますし、逆に、あなたならどのよ
うにお考えになるのか、と知られざる神、或はイエスから答えを求めていることもあります。要するに
神・イエスとの対話です。普段にも自分でそのような対話の時を持ってはいますが、黙想と祈りの夕べで
の黙想の時間は、他の自分だけでの時よりも集中できるように思います。何故かよく分かりませんが、礼
拝堂という場所、定められた時間、数名の仲間とその時間を共有していることからかも知れません。
さて9月末に夏期休暇の後半をいただき、長野の上田から1時間ほど松本方面に入った鹿教湯温泉の小
さな旅館に独りで3泊してきました。ちょうど出かける前日に国会前で辺野古新基地建設反対の座り込み
に参加していましたが、そこに沖縄の辺野古のキャンプ・シュワブゲート前でNさんが逮捕されたという
ニュースが入りました。I牧師に連絡して、「求め・すすめる連絡会」として抗議と即時釈放のファック
スを名護署に打つことを確認し、京都の事務局が対応することになりました。ちょうど翌日から5日間休
暇に入りますので、沖縄に行くべきか悩みましたが、予定通り鹿教湯温泉に行くことにしました。ちょう
ど自分ひとりで考えたいこともありましたので。2日後Nさんが釈放されましたので、安心して休養の時
間を過ごすことができました。私の泊まった旅館は12部屋しかないのですが、小演奏会ができるホール
があります。そのホ-ルは小さな美術館にもなっていて、年賀状が壁の半分ぐらいを占めていましたが、
池田満寿夫の版画が飾ってありました。グランドピアノとギター、それにオーディオがあり、その前に1
0人ぐらい座れる椅子が並んでいました。3日目の夜は、1時間ほどこの旅館の主人が一人で、半ズボン
で前掛けをかけたまま、フルートの演奏とギターを弾き歌を歌ってくれました。最後の歌は自分の作曲で
友人に詞を書いてもらったと言っていました。私を含めて5人の客を前にしてです。思わぬ楽しい時間を
過ごせました。3泊4日でしたが、その内の1日は鹿教湯温泉から一山越しますと、信州の鎌倉と言われる
別所温泉があり、その途中に無言館があります。以前にHさんが信徒説教でも触れていました館長の、199
7/5/2無言館開設の日にと明記された窪島誠一郎の言葉(詩)を紹介します。
あなたを知らない
遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
あなたの絵は、朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕焼け色
あなたの胸をそめている 父や母の愛の色だ
どうか恨まないでほしい
どうか咽がないでほしい
愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げた
かった言葉に
今ようやく、50年も経ってたどりついたことを
どうか許してほしい
50年を生きた私たちのだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを
遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命
の時間だけだ