なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(52、復刻版)

 12月になりました。私はもうすぐ古希70歳になります。自分の意識の中には、あまり年齢は関係ないようなのですが、自分の写真を見たり、温泉の着替え部屋で鏡に映る自分の顔や姿を見ると、確かに年をとったという思いになります。今日はこれから鶴巻から船越教会へ移動します。夜には紅葉坂教会で12月3日の「北村慈郎牧師を支援する会」発足集会の準備をすることになっています。いよいよです。
 今日は、「黙想と祈りの夕べ通信」(52、復刻版)を掲載します。

     黙想と祈りの夕べ  (通信 52 2000・ 9・24発行)

・昨年10月から始めました「黙想と祈りの夕べ」も、この9月末をもって一年になります。一年間続けて見て、祈りつつ、考えつつ、共に生きるという信仰者の生活にとって、「黙想と祈りの夕べ」のような時間が益々貴重に思えるようになりました。これは、日曜礼拝には元気でないと来れないという人のことを覚えると共に、この集いを始めるときに私の胸のなかに秘められていたもう一つの思いでした。この集いも2年目に入りますが、「黙想と祈り」を通して、思いや問題や課題を共有しながら、今日私たちが神と隣人との交わりをどう生きるのかを、共に探求して行きたいと願っています。

・さて、前回の集いでの「分かち合い」では3人の姉妹の発言がありました。一人の姉妹は、自分がボランティアで関わっている働きから以下のような話をされました。障害のある子どもを持つお母さんから、先週の月曜日朝9時頃、子ぢもが昨日舌を怪我して心配だから今から渋谷の国立小児病院へ行きたいので、一緒に行ってもらえないかと電話があり、急遽一緒に行くことになった。9時半に菊名で待ち合わせをして、雨の中自動車で病院へ行き、医師の診察を受けて、昨日からほとんど何も食べていなかった子ども共に、帰りがけにファミリ-レストランで昼食を共にした。食べると戻していた子どもを心配する母親に、大丈夫、大丈夫と安心させて、子どもに食べさせたら一人前は食べた。車に酔い易い上に雨で、子どものことで緊張もしたために、家に帰ったらドット疲れが出た。後で教会員の方にその話をしたら、あなたに大丈夫、大丈夫と言われて、お母さんはさぞ心強かったでしょうねと言われ、その言葉を聞いて、自分の疲れがス-ット消えた。自分で私のしたことをお母さんは喜んでくれるだろうと思っても、それは自己満足で疲れは取れない。第三者が言ってくれると、疲れが取れる。交わりの大切さを感じた。先週中高科礼拝で良きサマリヤ人の話があった。その中で、強盗に襲われた旅人にサマリヤ人が毎週出会ったらどうか。旅人が強盗に襲われる社会のシステムを変えなければという話があったが、今回の自分の経験で、神さまからよかったネと言われたら、何回起こっても、繰り返し繰り返しサマリヤ人は人のためにエネルギ-がでるのではないかと思わされた。人とのつながりの中で癒される体験をしたので、お知らせしたかったと。

・一人の姉妹は、今日は久ぶりに親戚を訪ね、ゆっくり夕方までくつろいで帰って来た。夕食をすませて、この集いに来たが、今歌った讃美歌を歌いながら、どうぞ神のみ心にそえるように守っていただきたい。感謝でしたと、一言語られました。

・もう一人の姉妹は、その日当教会で開かれた地区集会(講演:日本基督教団と大韓基督教会との「宣教協約と新しい指針」とパネルディスカッション)に出席した感想を交えて、以下のように話されました。発題者やフロア-の発言を聞きながら、歴史の事実は細部まで照らし出して行かなければならない。それに基づいて、私たちの中にある被害者意識を加害者意識に転換させ、人との関係を決してどちらかが一方的に吸収するとか、従うとかいうのではない、対等な関係を結んで行く、歴史を知ることはそういうことではないかと思ったと。朝の説教で語られた自分の生活があるからイエスのようになれないということは、教会の中で問われたことがあるだろうか。聖書に立ち返って聞き・読みたい。そしてどう実践できるかを考えて歩みたいと。