なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(75、復刻版)

 本日は「黙想と祈りの夕べ通信(75、復刻版)」を掲載します。

 下記「黙想と祈りの夕べ通信(75)」の最後の方に出てきます三木成夫『胎児の世界』には、母の子宮に生命体が着床してからの成長過程を見ると、その成長過程の中に地球の誕生からの生命の進化が反映されているということが書かれています。胎児が成長過程の中で、ある時期が来ると魚のような形態になり、そのうちに猿のような形態に変わって、人間の子どものになっていくことが、胎児の標本から分かるのです。私は、吉本隆明の本から三木成夫のこの本を知り読みましたが、読み終えたときの感動を忘れることができません。ひとりの人間という生命体には、地球の誕生からの生命の進化の歴史が刻み込まれているということを知った時に、自分の存在を含めて人間の存在そのものに、ある種の畏敬を覚えたからです。もし機会がありましたら、みなさんも三木成夫の『胎児の世界』を読んでみてください。

            黙想と祈りの夕べ (通信 75[-23] 2001・3・4発行)

 本日(2月25日)横浜地区集会と総会が神奈川教会で行われ、私も出席しました。地区集会では、鎌倉恩寵教会のS牧師から昨年行われた神奈川教区の沖縄交流委員会主催の「沖縄交流の集いに参加して-沖縄で共に考える」と題した発題がありました。先生は「1968年合同のとらえなおしと実質化」が問いかけている問題を丁寧に、交流の集いの感想としてお話ししてくれました。先生のお話の中で私が共感しましたのは、歴史の事実認識の重要さと、認識した事実をどう理解するかというところに解釈者の主体性が現れるという点でした。それと共に「沖縄の心」を私たちがどう受け止めるかということです。一昨年教会関係の集いではありませんでしたが、平和学習の集いが沖縄の伊江島であり、私も参加しました。そのときにも、しばしば「沖縄の心」ということが言われていました。「沖縄の心」に私たちがどう応答するかが問われているのだと思います。

 上記のような私の発言に続いて、一人の姉妹は、障害をもつ子のお母さんを支えるボランティアとして、自分が関わっている2歳6ヵ月のダウン症の子をもつお母さんの孤独が支えられるように祈って欲しいと言われました。そのお母さんはクリスチャンではないが、自分は彼女と関わっていて、彼女に神さまとの交わりが与えられていたらと思う。イエスさまの十字架の道行きを想い起こし、神との関わりが与えられていたら、人間は独りだけれども、独りではないと思えるから。今までは彼女に信仰のことは何も語ってこなかったし、これからも強いて言おうとは思わないが、そのことだけは伝えていきたいと思っている。障害をもった子をもつお母さんが、落ち込んだ状態を通り過ぎて、また元気になって行くのを、今までにも経験しているが、彼女もそうなって欲しい。障害をもつ子をもつ母親は、自分がこの子を生んだという思いをもち、自分を責めやすいが、周りの人が温かな眼差しを注いで、子どもとその母親を支えて欲しいと思う。祈っていただきたいと。

 また、私に時々電話をかけて来る名古屋時代から知っている青年がいます。彼はEに住んでいて、この「黙想と祈りの夕べ」にも何度が参加していますが、前回も途中から参加し、自分の現在の状況について発言しました。彼は自動車関係の仕事をしていますが、このところ毎日夜遅くまで残業が続いて、現在自分の所属する教会にも日曜毎には出席できず、住居の近くの教会の礼拝に出ている。今日はたまたま横浜に来たので、紅葉坂教会のこの集いに参加させてもらった。仕事が忙しいので、ストレスがたまらないように気をつけたいと。

 前回は久しぶりにM姉妹も参加しました。また、視力の弱いHさんという方が、はじめて参加しました。Hさんは、前に一度教会に訪ねて来たことがある方でした。集いの後、お茶を飲みながらお話しました。その時Hさんからいただいた血液についての彼の意見書のような文書に、ご自身について、Hさんはこのように記しています。「私は遺伝学会で、1989年、ヒトとして初めてミトコンドリア変異視神経萎縮のレ-バ-病として認定された者です」と。彼は、人間の血液は骨髄からではなく腸で造血されるという自説を私に披瀝しました。たまたま、私が2月号の教会だよりの「牧師室から」に書きました、三木成夫の『胎児の世界』の話をしましたら、その話に端山さんは大変のって来られ、三木成夫の胎児の成長における生命記憶の再現には、いたく感動していまし