なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(39)

 今日は「牧師室から(39)」を掲載します。これも2001年に教会の機関誌に書いたものです。

 下記に出てくる三木成夫『胎児の世界』は吉本隆明の本を読んでいて知った本です。この本を読み終え

たとき、一人の人の誕生した命には、地球史、人類史における生命の誕生以来の歴史がはじめから組み込

まれていることを知って、人間の命への驚異を新たにしたことを覚えています。

 また、下記の役員選挙、教会総会をめぐって書かれたものを、今読み直して感じていることは、たとえ

ば現在私が出席している船越教会(現住陪餐会員16名ほど)のような少人数の教会と、この牧師室からを

書いた時の紅葉坂教会のように現住陪餐会員約250名のような人数の多い教会との違いです。人数が多く

なれば多くなるほど、組織化が進み、組織の自己拡張、自己目的の力が働いてきてしまうという問題が、

どうしても避けられないように思われるのです。信徒も牧師も、自分と神、自分と他者である隣人との関

係で信仰を問題にしていくだけではなく、それに加えて、組織としての教会の維持という問題をどうして

も避けて通れなくなってしまいます。その点、少人数の教会は組織としての教会という問題がないわけで

はありませんが、大教会ほどには重くありません。私としては、「大小」(?)の教会を経験して、組織

としての教会はできるだけ軽い形が望ましいのではと思っています。

 

                 牧師室から(39)


 最近読んだ本の中に、三木成夫著の『胎児の世界』があります。この本は1983年に書かれたものです

が、私はちっとしたことから最近この本の所在を知り、読んでみました。三木成夫は解剖学の医師ですか

ら、私にはよく分からないところだらけでしたが、一つだけ教えられた私にとっての新しい発見は、母胎

の中での胎児の成長には、生命記憶の再現があるということです。たとえば、胎児32日の顔は魚類のフ

カ・サメの顔で、36日の顔は古代爬虫類「ハッテリア」の顔で、38日の顔が「毛だものというよりも、も

はやヒトとよんで差支えない一つの顔である…70日をピークにやっと人間の赤ん坊のおもかげに移ってい

く。それは、中生代から新生代に突入するアルプス造山運動の秋霜烈日の夢の再現か」と。

 この著者から私が受け取ったものは、ひとりの人間の誕生において、私たちの命は、古生代中生代

新生代という生命の進化発展(?)の全歴史をその胎児の成長の段階で再現しているということです。命

への畏敬ということが言われますが、私はこの本を読んで、そのことに不思議な納得の力を与えられたよ

うに思えました。自分の命も他者の命も、胎児の成長の段階で生命記憶の再現をしているのだと思うと、

「よく生まれてきたネ」と無条件にいとおしみたくなるように思える。

 みなさんも、自分の胎児だったら時の世界を想像してみてはいかがでしょうか。
 
                                    2001年1月



 この「牧師室から」が皆さんのお手元に届く時には、教会総会気開催される日曜日になっていると思

います。今年は役員予備選挙で選ばれた22名の方々の内12名が方々が辞退され、本投票では10名の

方々の中から7名の役員が選ばれることになりました。この事態については、何人かの方から教会の危機

ではないかという意見が私のもとに寄せられました。選挙をやり直したら、という意見もありました。

私の前任の教会では、役員(長老と呼んだ)は総会で直接選ばれました。選ばれた後に、辞退の申し出を

する人もたまに(本当にたまに)ありましたが、役員会(長老会)で説得して、辞退を撤回していただく

ようにしていました。選ばれた以上、それぞれが互いに補い合って、その任を果たすという考えからで

す。ですから、私の在任18年間での辞退者は1、2名しか出ませんでした。それがよいかどうかは分か

りません。現在の当教会の役員選挙制度では、辞退者を認めないというわけにはいきません。予備選挙

するということは、本選挙では辞退者を出さないという点にあり、従って予備選挙で選ばれた人の辞退は

認めるという了解の上にあるからです。ただそれぞれが辞退の事由を挙げて辞退したら、辞退しない方々

の中にも辞退者と同じようにいろいろな事由があるに違いありません。

願わくば、辞退が認められた上で、辞退者が出ない教会であればと思うのですが…。

                                     2001年3月


 3月に開かれた教会総会気任蓮∋笋燭舛龍飢颪寮攫造焚歛蠅箸靴匿仰の継承や青少年への伝道が、教

会の次の世代の担い手の問題として会員の中から提起されました。また別に、私たちの教会は地域や障が

いをもった方々に開かれているのだろうかという問題提起もありました。聖餐の豊かさや深化とはどうい

うことかという質問や、礼拝の後奏や前奏における会衆の姿勢についての問いや意見もありました。さら

に、役員予備選挙で選ばれた役員候補者の辞退に関連して、役員について教会全体で考える機会を、新役

員の課題の一つにするという動議も出て、可決されました。

 教会総会気鰐魄?挙、牧会方針と事業計画、予算を審議し、新しい年度の歩みを決める総会です。そ

の総会で会員の中から様々な質問や意見が出たのは、うれしいことです。問題はそこからどのように前進

するかです。たとえば次世代の教会の担い手を得るための信仰の継承や青少年伝道と、地域や障がいをも

つ方々に開かれた教会という課題は、前者がどちらかと言えば教会の拡張の問題であり、後者は今ある教

会の在り方の問題と言えるでしょう。この方向性において異なる二つの課題を、別々に同時に求めるとす

れば、教会は分裂するでしょう。そうではなく、教会の在り方を福音にふさわしく追究する方向におい

て、私たちの教会が世代や立場を越えて、多くの方々に共感できる教会になれればと希うのです。教会総

会気ら、私はそんな感想を持ちました。

                                      2001年4月