なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(24)

 今日は「牧師室から(24)」を掲載します。1997年のものですので、もう15年も前になります。                  

                牧師室から(24)

 以前この「牧師室から」でも芹沢俊介さんの講演について触れたことがありますが、最近氏の「子どものいじめ」について書いている本を数冊読みました。芹沢さんは、いじめの定義を五つ挙げています。,い犬瓩蓮卮辛鋙兮魁咾魴り返して行われる暴力である。△い犬泙蓮匈惺燦従檗咾任△襦0貘舒譴両豺隋△い犬瓩箸聾世┐覆ぁな数対一ないし少数の場合、いじめと呼べる。イい犬瓩蓮卅蠍瀛箚暗〉である。そして氏は、「いじめ時代」というような言い方をして、いじめが今の私たちの社会のあり方と深く関わっていることを示唆しています。

 親である私たちが、自分の子どもに対して、いじめの被害者になることを極端に恐れて、いじめの加害者になることへの恐れには鈍感であるのは、「自分の安全を基礎にしている市民社会の秩序意識」、「親たちが市民社会における多数者の位置を追われることへの恐怖」の表れであると分析しています。その恐れは当然かも知れないが、「だが同時にとあえず我が子が打撃を与えられる側に置かれていないということの安堵感で思考を停止してしまうなら、いじめはこの社会にいつまでも消滅せずに残ってしまうだろう」と。「自分たちが加害者になるかもしれないという恐怖」と「多数性という場所に対して自覚的であること」、すなわち「自分を個別存在として立たしめること」こそが、「いじめを無化する未踏への道」であると氏は言います。

 大変刺激的な提言であると思いました。
                            1979年2月


 Oさんが犬の散歩中自動車にぶつかって入院されたのは、去年の夏の終わり頃でした。既にお亡くなりになっていたOさんの夫のお姉さんという方から電話をいただき、そのことを知りました。さっそく入院している病院にお見舞いに行きました。その時は、手足が紐でベットに縛られていましたが、非常に多弁でした。それから見舞いにいく毎に、口数が少なくなり、一時は心配するほど体調も落ちた時期がありました。しかし、徐々に体調は回復して行き、その病院では治療の必要がなくなりました。

 Oさんには子どもがいません。自宅へ帰って自力で生活するまでには心身は回復していません。Oさんのお世話をしておられる甥に当たる方が、老人保健施設にケアーをお願いしました。その施設は千葉にあり、木更津から1時間位の所です。医療法人が経営している施設です。そこにはOさんが入所しています老人保健施設の他に、高齢者用マンション、特別養護老人ホーム、病院等もあり、五万坪の土地に「総合福祉施設群」が建てられています。先日Oさんを訪問して、はじめてこの施設を知って、びっくりしました。老人介護が在宅ケアーの方向に向かいつつある現状では、この福祉村の存在は、20年前にこれが創られた時の福祉の考え方の表れなのかも知れません。自然は豊かで介護環境は整っていますが、生活の匂いが希薄に感じられました。
                            1997年3月


 この教会だよりがみなさんのお手元に届く時には、教会総会も終えて、教会の新しい年度の歩みが始まっていることでしょう。私は昨年の役員予備選挙が行われる時に、礼拝の報告の中で、予備選挙で選ばれた方は出来る限り辞退しないで欲しい旨、要望の形でお願いしました。その私の要望に応えて、中にはそれまで辞退されていたのを辞退しないで教会総会の本選挙に望んで下さった方もありました。今年は予備選挙の時に何も申し上げませんでしたが、予備選挙で選ばれた24名の役員候補者の内10名が辞退されました。しかも慣例として立候補者の締切の日まで選挙委員長が辞退申し出を受け入れた方は本選挙の役員候補者から外されましたが、辞退の理由と意志を持ちながら、比較的新しく私たちの教会に加わった諸兄姉の場合、慣例としての辞退の手続きが分からないまま、本選挙の役員候補者の中に名を連ねることになりました。そのため、本選挙での意志表明や役員当選者の辞退を引き起こすことになってしまいました。

 このことは、役員選挙方法としての予備選挙の抜本的見直しの必要を示していると思われます。本年度の役員会の課題になりますが、この問題の根底には、私たちの教会の世俗化の問題があるように思われます。教会において役員を選ぶ選挙は、選ぶ者も選ばれる者もそこに神の御心の現れを信じることによって成り立つからです。その基本を踏まえながら、今後役員選挙の方法を探っていかなければなりません。
       
                               1997年4月  



 神を信じて生きることは、この世を生きる私たちが自分の生きている世界を相対化して生きられるというメッセージを含んでいるように思います。けれども、信仰者が陥る危険の一つは、逆に自己絶対化になり易いところにあるのではないでしょうか。そんなことを考えながら、「自分が生きている世界をと相対化する眼」は、どのようにしたら得られるのか、自分なりに考えさせられています。

 そんな時、児童文学に関わる清水真砂子さんの講演集、『幸福の書き方』を再読する機会に恵まれました。この本からは以前にもいろいろ教えられました。憶えている方もあるかもしれませんが、M教会100周年記念の関係教職の説教の時に私も招かれましたが、その時の私の説教題「だから生きてごらんよ」はこの本から使わせてもらいました。今回再読して改めていろいろな点に気づかされましたが、その中でも、イギリスのローズマリ・サトリクの自伝に触れている箇所には、はっとさせられました。

 「それ(自伝)によると、彼女はかなりからだが不自由だったらしいのですが、あるとき、奥さんのある男性に恋をしてしまうんです。ローズマリの親御さんは心配して再三にわたり注意します。・・・・何十年かのちに書いたこの自伝の中で、サトリクはこう言っているのです。『父は私のことを愛して心配してくれたけど、その父に分かっていなかったことが一つある。それは私にも傷つく権利があるということだった』」。
                               1997年5月