なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(44)

 昨日はクリスマス礼拝、今晩はキャンドルサーヴィスです。今日は「牧師室から(44)」を掲載しま

す。ちょうど10年前の2002年に、私は寿地区活動委員会の委員長に選ばれ、教区の常置委員会に出るよう

になりました。そしてその年の教団総会議員に選ばれ、その時の教団総会で沖縄教区提案の「名称変更議

案」をはじめ「合同のとらえなおし」関連議案がすべて審議未了廃案になった時です。この10年間の後半

は、私の教師退任勧告、戒規免職という問題が起こり、現在に至っています。その他にも結構重い問題と

この10年間に出会ってきました。そういう意味では、この10年間が私にとって正に激動の10年間と言えま

す。 


                 牧師室から(44)

 4月に入って伝道師が私たちの教会に着任しました。私と共に教職の一人として私たちの教会の担い手

に加わっていただいています。まだ1か月少し過ぎたばかりですが、若い伝道者の新しい風が私たちの教

会に吹き込んで来て、4月21日に開かれた歓迎会では、参加者一同に明るい哄笑が満ちました。年輩の方

は笑い過ぎて疲れたのではと心配するほどでした。うれしいことです。しかし、うかれてばかりではいけ

ませんので、一昨年に教会で問題にしました「教会会計と伝道師問題」、そして昨年の「教会の担い手と

役員について」で問われ、確認されていることを想い起しておきたいと思います。

 私たちは今回伝道師を迎えるに当って確認しましたことは、教会の中での伝道師の役割と私たちの教会

が伝道師に対して何ができるかということです。伝道師に期待する役割としては、「従来伝道師に期待し

てきた、牧師の補佐、若年層、子どもたちへの働き(寿への働きは自主性に委ねる)を踏襲する」という

ことになりました。また「教会としては、若い教職養成の場としての責任を果たすことを第一義に考え

る」としました。私は「教会の担い手」について考えている問題は、この後者にも関わると思っていま

す。教職の役割とは異なりますが、信徒が教会の担い手として教職と共に宣教の課題を担う教会にあっ

て、若い伝道者が育つことができるからです。共に励みましょう。

                                 2002年5月


 6月23日は「沖縄慰霊の日」です。この日に私たちの教会ではS牧師をお呼びして、「合同のとらえなお

し」について学びました。この計画を立てましたのは、戦争責任について考え、平和を祈念するとすれ

ば、沖縄のことを避けて通ることはできませんので、沖縄のことを考えて平和を祈念するとすれば、20年

来教団の課題となっています「合同のとらえなおし」について、私たちも学んでおかなければならないと

考えたからです。それを6月23日の「沖縄慰霊の日」に合わせて行いましたのは、沖縄で「慰霊の日」と

なっています6月23日前後がふさわしいのではと思ったからです。

 最近沖縄伊江島にいらっしゃる榎本恵さんの『負けて勝つとは』という本を読んでいて、6月23日の

「沖縄慰霊の日」が沖縄戦で命を奪われていった人々の慰霊に本当にふさわしいのかという問いかけに出

会いました。榎本さんは太田昌秀さんの『沖縄戦とは何か』を引用して、「6月23日は、南西諸島守備軍

(第32)の牛島満司令官と長勇参謀長が自刃した日」であり、「死んで後の『慰霊』の日にいたるまで軍

の論理がまかりとおっている」ことを、決して見過ごしてはならないと言っています。そして、「この

『慰霊の日』とはいったい誰のためのものなのだろうか」と問いかけています。

 私は、歴史的な事実に無知であることを恥ずかしく思うとともに、「誰のために」という問いかけの大

切さに気づかされました。
                                  2002年6月
 

 私は1969年に神学校を出て教職になりました。その年、日本基督教団補教師試験受験合格し、准允を受

けました。しかし、正教師試験受験合格し、按手礼を受けて正教師になったのは1979年です。私の神学校

の同級生の中には、今でも正教師試験を拒否して、補教師のまま牧会している友人もいます。いわゆる教

団の70年問題(万博、東神大、教師検定)を今でも私自身は引きずっています。私自身のスタンスは、自

分の遣わされた教会で自分なりにその引きずっている70年問題を展開しながら働くところに置いて、教

区・教団との関わりは、どうしても避けられない場合に限ってきました。ところが、今年になってから異

変が起きています。

 一つは、寿地区活動委員会の委員長に4月からなり、必然的に神奈川教区の常置委員会に毎月出席しな

ければならなくなりました。また、教会で「合同のとらえなおし」の問題を扱う以上、今秋の教団総会で

取り上げられる「名称変更」の問題を避けることはできません。先の教区総会での教団総会議員選挙の予

備選挙で選ばれ、所信表明を求められたとき、今までのように断ることができませんでした。そうしまし

たら、教団総会議員に選ばれてしまいました。

 これは一体どういうことなのでしょうか。いささか戸惑っているのが、正直な気持ちです。日本社会も

教団も右傾化が危ぶまれているときに、自分には荷が重すぎるように思いますが、自分なりの責任は果た

さなければならないと思っています。
                                    2002年7月