なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(545)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(545)復刻版を掲載します。2010年3月のものです。

 昨日は、朝早くから久しぶりに箱根に行きました。前々から仙石原のススキの原野をみたいと思って

いて、やっと実現しました。ススキは穂が完全に枯れていて、痩せてみえましたが、太陽の光に照らさ

れて光り輝いているススキの原野は見事でした。その後、仙石原から桃源台へ出て、ロープウエイで早

雲山までいきましたが、ロープウエイから見る富士山は、大変天気が良い日でしたので、すばらしかっ

たです。またロープウエイからの紅葉した箱根の山並みも、大変美しくありました。早雲山から小涌園

に出て、小涌園で温泉に入り昼食をとり、その後小涌園の目の前にあります、昨年開館した岡田未術館

に行きました。入場料が2,800円でしたので、随分高いと思って入りましたが、入って一階、二階の陶

磁器室を見て回って、本当にびっくりしました。景徳鎮のものが一番多くありましたが、中国、朝鮮、

日本のもの、すべてが見事な作品でしたが、これだけそろっているところが他にはあるのだろうかと思

えるほどに、素晴らしいたくさんの作品を鑑賞することができました。仙石原のススキの原野やロープ

ウエイからの富士山や箱根の山並みという自然の美しさと比べても、遜色のない人間の作ったすばらし

い逸品ばかりの作品に、本当に度肝を抜かれてしまいました。午後2時半過ぎに入って5時の閉館近くま

でいましたが、陶磁器を観るだけでエネルギーと使ってしまい、三階から五階の絵画、工芸・彫刻など

の作品は、これもどれもすばらしいものでしたが、その作品の前を走るように、ざっとしか観ることが

できませんでした。今後行くときは、一日がかりで、体調のよい日を選んで来ようと思いながら、岡田

美術館を後にしました。



        黙想と祈りの夕べ通信(545[Ⅺ-23]2010・3・7発行)復刻版


 2月27日の第123回教区総会でK・Yさんが准允を受けました。昨年彼女が農村伝道神学校を卒業するに

当たって、農村伝道神学校の校長から頼まれて、紅葉坂教会の伝道師として迎えることになりました。

今回准允を受けて日本基督教団の補教師になりましたので、農伝校長から頼まれた私の責任はほぼ果た

すことができ、ほっとしています。彼女が准允を受けた教区総会で、彼女ともう一人の方が准允を受け

ましたが、その他に按手礼を受けて教団の正教師になった方が8名いました。按手礼を受ける8人の志願

者に、議場から一つの質問が投げかけられました。「按手礼を受けて正教師になることは聖礼典を執行

することになる。未受洗に開かれた聖餐執行が問題になっているが、そのことについてのお考えを聞き

たい」という質問でした。その質問は踏み絵のように私には思われましたが、8人の按手志願者は、一人

を除いてすべて「教憲教規に従って聖礼典を執行します」と答えました。一人だけが、「教団では北村

先生の免職のことがあり、今も教師検定試験の受験拒否者がいます。自分は正教師になってもらいたい

という遣わされた教会の要請を受けて正教師試験を受験し、合格して按手礼を志願している。聖餐式

教会に従いたいと思っている」と答えました。教団の歴史を考えますと、この一人の按手礼志願者の答

が、私には一番誠実な答ではないかと思っています。さてこの教区総会では、開会礼拝後の教区総会開

会冒頭に、Oさん(K教会代務者)、Kさん(S伝道所兼務)という二人の東京神学大学教師が、私の議員

資格が、教師委員会による戒規免職発動によって失われているのではないか、という発言をしました。

I議長は「北村さんが教団総会議長に上告し、先日の常議員会でも常議員資格が認められたので、それに

倣って審判員会の結論が出るまで免職処分は保留状態であると理解し、紅葉坂教会主任担任教師として

の教区議員資格があると判断します」と発言し、私は今まで通り教区総会の議員として今回の教区総会

に出席しました。Oさん、Kさんは私が責任を持っています教区オリエンテーションにも昨年4月から出席

してきて、Iさん発題の「教区形成基本方針について」の時も、Wさんの発題の「聖餐について」の時も、

Oさんの発題の「万博・東神大問題について」の時にも、事毎に否定的な質問・発言を繰り返しています。

今回の教区総会では、昨年10月開催の第36/21回総会期第3回常議員会で、2010年度教団予算から「沖縄

宣教連帯金」の40万円減額が決定したことに対して、第8号議案として「沖縄宣教連帯金の減額に抗議し、

再考を促す決議に関する件」が諮られました。この審議の中でもKさんは、議案としての内容が整ってい

ないという理由で反対しました。しかし、Nさんが、これは沖縄キリスト教団と日本基督教団が合同議定

書を取り交わして合同したときに、沖縄キリスト教団がそれまでアメリカから受けていた援助を断わる

代わりに教団が沖縄宣教連帯金として毎年120万円通常会計から支援することにした約束だから、沖縄教

区が教団とに距離を置いているからといって、教団の方で一方的に減額すべきではないと発言したことも

あり、結果は146名中93名の賛成多数で可決しました。東神大の教師が教団の会議に出てきて、いろいろ

発言することは自由ですが、神奈川教区における昨今の状況を見ていますと、多様性を認めて一致を求

めて忍耐強い対話をしていくという教区形成基本方針を否定するような発言が多く、神学が本質的に持

っている自由、神信仰による自己相対化が感じられず、これは東神大にとってもマイナスではないかと

思っています。合同教会としての教団立神学校である東神大には、批判的な聖書学は勿論、多様な神学

的立場が許容され、論争が活発に行われ、教団の諸教会に仕える教職養成と研究成果を生み出してもら

いたいと願わずにはおれません。


       「親であることの大きな贈り物」     3月7日


 子どもたちは、両親にとってお客です。彼らは子どものために作られた場所にやって来て、十五年、

二十年、二十五年すると、今度は自分自身の場を作る為に離れ去って行きます。親たちは、「わが息子」

「わが娘」について話しますが、子どもたちは親の所有物ではありません。いろいろな意味で子どもた

ちは他者なのです。親は、子どもを知り、子どもの強さ弱さを発見し、子どもが自ら決断するのを認め

て、成熟へと導きます。

 両親が子どもに与えることの出来る最も大きな贈り物は、お互いに大切にする愛の心です。この愛を

通して、親は子どもたちが自分自身を信じ、人生をどう生きていくかを選択する自由を見出すように励

ますことによって、彼らが成長してゆけるような安心出来る場所を作り出すことができるのです。


                  (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)