なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(88)

          船越通信癸牽検 。横娃隠嫁12月23日     

・クリスマスの祝福が皆様の上に豊かにありますように!

・16日の日曜日は礼拝後お茶をいただきながらしばらく懇談し、その後私の裁判支援会の「公正判

決を求める要請書」の発送作業をしました。発送する印刷物は私が前もって準備していましての

で、12月3日の口頭弁論と報告集会の簡単な記事と来年2月25日の判決及び報告集会・支援会総会へ

の呼びかけをA4一枚にまとめた原稿(事務局長のKさんがもってくることになっていました)

の印刷と宛て名ラベル以外は用意できていました。船越教会の方にも手伝ってもらい、送付物を封

筒に詰め込む作業をはじめていました。午後2時ごろKさんの原稿が到着し、その後しばらくして

ラベルが到着しました。ラベルは横浜港南台教会のOさんが用意してくれたものを、私の連れ合い

が横浜港南台教会に寄ってOさんからラベルを受け取り、船越教会に持ってきてくれました。午後

3時過ぎには翠ヶ丘教会のIさんが来てくださり、午後5時過ぎには約820通のメール便を完成させ

ヤマトの人に渡すことができました。この発送作業は、12月13日の木曜日夜になか伝道所で開催さ

れた神奈川世話人会及び事務局会の集まりで確認し、その後事務局長のKさんの原稿と要請書署名

のお願の文章を私が作り、メールで皆さんに回して最終文案を確定して、印刷発送という段取りで

進められました。それをほぼ14日と15日の二日間で行ったということになります。15日昼ごろに

は、メールで連絡できる支援会世話人の方々と教団有志の方々に要請文と要請書署名のお願の文章

を送らせてもらいました。私は比較的事務作業などは迅速にする方だと自認していますが、今回は

自分でも短期間にこれだけのことをよくやれたと思いました。

・最近教会に届きました「教団ジャーナル40号」に教団総会中に開催された「北村裁判全国集会報

告」が載っていますが、その中に「満員の会場は、教団総会とは反対に熱気にあふれ、硬直化する

教団を変革していくためにもこの裁判への期待で溢れていた」という記事がありました。実はこの

集会に参加された関西の方で、12月3日の口頭弁論の傍聴にわざわざ関西から来て下さった方があ

ります。その方のメールには、「今回の教団総会にはただただ閉口いたしましたが、別会場での北

村先生の報告会に参加させて頂き、あらためて、有志で連帯し、一緒にキリスト教会にとって大切

なものを守り、求めていくことの大切さを感じました」と寄せてくれました。私の裁判を支援して

下さる方々の熱い思いは私も感じておりますので、裁判への取り組みも最大限できることはしてい

かなければという思いでいます。そんな私の思いと事務局の方々の強力な協力もあって、今回の発

送作業を短期間で完成させることができたのではないかと思っています。どうぞ「公正判決を求め

る要請書」の署名をよろしくお願い致します。

・19日(水)には鶴巻で集会を持ちました。昨年の12月に私と連れ合いともう一人の3人ではじめ

たこの集会は、4人になり、今回は5人になりました。個人的な集まりですので、オープンにしてい

るわけではないのですが、少し人数が増えました。集会は最初、讃美歌、祈祷、聖書の話、讃美

歌、主の祈りという形で行われ、その後は自由な話し合いです。そして夕食を共にし、希望者は鶴

巻温泉の「弘法の里湯」で体を癒して帰ります。今回私は船越教会の礼拝でした、使徒言行録をテ

キストとした2回の説教を内容的にまとめて話しました。私は船越教会でマルコ福音書を終えた

後、最初期の教会の人たちのことを説教で取り上げてみたいと思い、使徒言行録をテキストに選び

ました。ところが予想していたとはいえ、使徒言行録は著者ルカの神学が色濃く反映されているの

で、ルカのフィルターからでは最初期の教会の人々の在り様がストレートには伝わってきません。

また、ルカの福音理解と想像力を通して見えてくるイエスの福音とには大分違いがあるのではと思

われます。そういうことを踏まえてどう語ったらよいのかという課題を、使徒言行録を取り上げて

から突き付けられています。そんな私の思いもあって、今回使徒言行録の話をしました。その際ル

カの中にはイエスの十字架や復活の出来事がもっている歴史的・社会的な射程が、内面化によって

捨象されているところがあるのではという話をしましたところ、参加者の一人から、歴史的・社会

的な射程も大事だが、個人の内面の問題も大事ではないかという趣旨の発言がありました。一般論

としてはその通りではないかと思います。彼は、「矮小化につながる内面化と、かならずしも矮小

化と批判できない内面化があるのではと思います」と言っていますが、それはその通りだと私も思

います。とにかく試行錯誤しながら、使徒言行録に取り組んでいくことになるでしょう。

・20日(木)は夜に聖書研究会がありました。実は16日の週報には何を間違えたのか、聖書研究

の日付が19日になっていました。連絡が行きとどかず19日に一人の方が聖書研究があるものと思

い、教会にいらっしゃいました。申し訳ありませんでした。20日の聖書研究には私を入れて4人の

出席がありました。上村さんの『旧約聖書新約聖書』は、前回で旧約の部分が終り、今回から新

約の部分に入りました。「第三章、キリスト教の成立と新約聖書」です。その最初の部分「キリス

トとイエス」「イエスの活動と思想」の部分を扱いました。「〈いのち〉を生かす神の働きをイエ

スは『神の支配』(=神の国)と呼んだ。この表現は、当時のユダヤ社会の中では『ローマの支

配』に取って代わる終末論的な『神の支配』の待望として用いられていた。イエスは同じ表現をあ

えて用いて、創造論的な『神の支配』の復権を試みたのである」(p.208)。イエスが宣教した

神の国」は終末論的ではなく、創造論的であるという上村さんの説はたいへん刺激的です。ま

た、「結局、史的イエス全体像の再構成は、歴史家の想像力に頼るほかはない。歴史家は自分の問

題意識を投影して史的イエスを描くのである。すでに多くの『イエス本』は出されているけれど

も、『正しい』イエス像など存在しない。…史的イエスは歴史家をとおして現代の問題を映し出

す。読者諸氏は、さまざまなイエス像をとおして現代という時代をどうとらえるかということを学

ぶことができるのである」(p.203)。その通りです。