なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(58)

        使徒言行録による説教(58)使徒言行録16:6-15
  
・教会の宣教の働きにおいて、エキュメニカルなWCC(世界教会会議)の歴史の中では、ミッシオ・テイ(神の宣教)という考え方が中心になってきました。伝統的な教会の考え方では、神が教会を選び、教会を通してこの世に宣教の働きをするというものです。けれども、ミッシオ・デイの考え方からしますと、神は教会に先駆けてこの世に働いておられ、その神の働きに教会は参与するということになります。

バプテスト教会の松田和憲さんという方が、『宣教の神学~パラダイム転換を目指して~』という大変大きな本を書いています。その中で、<「ミッシオ・デイ」の神学の最大の貢献は、真の宣教の主体は、神、三位一体の神であり、その神は派遣する神であるという点を明確に提示した点である」と言っています。「すなわち、三位一体の神はご自分の被造物へ、あるいは自らが創造された『この世』へと出ていかれる方である。このような創造主なる神は、ご自分が生み出した結果と様々な形で関係を結ばれる神でもある」のです。「(言い換えれば)、神はその本質から言って関係の神である。それゆえ、神はそもそも初めから派遣する神であり、み言葉を通して創造の業を展開され、派遣する神となられた。そして、神の御子の受肉によって、自ら派遣する神となられ、その後、ご自分の霊を遣わされ、この霊によって、すべての被造物を完成へと導かれる」のです。「したがって、第一義的な伝道の働きは、教会が自発的に主体となって始める業ではなく、神の派遣、すなわち『神の宣教』をもってはじめられる業に他ならず、神は教会に先立って、すでにこの世に働きかけ、この世における『神の伝道(the Mission of God)」に、神に選ばれ、神からの派遣に応じて参加する働きが教会の伝道(missions)』なのです。「この点を図式化すると、従来までの神→教会→世界よりも、神→世界→教会という図式が相応しいと考える。(中略)教会は、世から選ばれ、世に向かって、世のために派遣される神の民である。それゆえ、教会は世の上に立つ存在ではなく、キリストに属する民であるが、世の一部として、世にあって生きる群れである。そこで教会と世界とは連帯の関係において、共に神の祝福の下に生きる存在である」(p.370~p.372)というのです。

・このように教会やキリスト者である私たち一人一人に先立って、神ご自身がこの世においてそのみ業をなさっておられるというのであれば、その神の働きは、私たちの思いや計画を超えていると言わざるを得ません。実は、今日お読みいただきました使徒言行録の箇所には、パウロの伝道計画が、「聖霊から禁じられ」(6節)とか、「イエスの霊がそれを許さなかった」ということで、頓挫せざるを得なかったということが語られているのであります。

・6節に、「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」とあります。パウロらの計画は、アジア州で御言葉を語ることでありました。どのような理由でそれができなくなったのかについて、ルカは詳しくは語っていませんが、何らかの理由でそれが不可能になったと思われます。7節では、「ミシア地方の近くまで行き、ピティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」と言われていて、アジア州で御言葉を語ることが聖霊によって禁じられただけではなく、パウロらはその後方向転換して、ピティニア州に行こうとしたが、そこでも「イエスの霊がそれを許さなかった」というのです。

・このようなパウロの伝道計画の頓挫には、パウロの伝道計画に先立って、神の宣教の働きが粛々とこの世においてなされていることを示していると言えるのではないでしょうか。少なくともこの使徒言行録の記事からは、そのように読み取ることができるのではないかと思われます。

・ピティニア州に入ることが許されなかったパウロらは、「ミシア地方を通ってトロアスに下った」(8節)と言われています。そしてその夜パウロは、幻を見たというのです。そしてその幻の中で、一人のマケドニア人が「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と、パウロに願ったというのです(9節)。そのことがあって、パウロらはマケドニア州に向けて出発することになりました。ルカはこのパウロらの伝道計画の変更について、このように語っています。「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」(10節)と。つまり福音宣教は人間の計画によってなされるというのではなく、神に召されているという確信があって、はじめて携わることができるというのです。

・私たちは船越教会にあって、この教会の福音宣教の業に、神によって召されているという確信をどのように持っているでしょうか。もしこの船越教会が人数が少なくて、教会として存続できなくなってしまうのではないかという不安から、何とかこの教会を維持しなければならないからという人間的な思いだけだとするならば、パウロの伝道計画が聖霊によって禁じられ、イエスの霊がそれを許さなかったように、船越教会の宣教の働きは頓挫してしまうということもあり得るのではないでしょうか。けれども、この船越教会の宣教に神がわたしたちを召されているのだという確信を持つことができ、その神の召しに従って、私たちが共に支え合って歩もうとするならば、この船越教会は神の宣教のみ業に仕えていくことが許されるでしょう。

・私たちが「平和宣言」を改訂したのは、この「平和宣言」に船越教会における神の召しが具体的に示されていると私たちが確信したからではないでしょうか。パウロは、幻の中で、一人のマケドニア人が「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言うのを聞いて、マケドニア州に向かい、その地で宣教の働きを担いました。このマケドニア人の「わたしたちを助けてください」という叫びに促されて、パウロは、マケドニア州に向かい、神の宣教のみ業に参与しようとしたのでしょう。私たちもまた、命を脅かすあらゆる暴力からの解放を求めて、この地に立つ船越教会における神の宣教のみ業に参与しているのではないでしょうか。

・平和宣言を読んでみます。「私たちは、先の戦争に対する責任を自覚し、いのちを脅かす貧困、差別、原発、軍事力をはじめとするあらゆる暴力から解放されて、自由、平等、人権、多様性が尊重される平和な世界の実現を求め、共にこの地に立つことを宣言します」。

・さて、使徒言行録では16章10節から主語が「わたしたち」になっています。16章17節まで続きます。これ以降使徒言行録には、何度か部分的にこの「わたしたち」が主語の記事が出て来ます(20:5-15,21:1-18,27:1-28:26)。この「我ら箇所」は使徒言行録の著者ルカがその仲間の一人として行動していたことを示す箇所だと言われています。つまり、この「我ら箇所」では、パウロの活動の協力者として、ルカ自身が現場に居合わせた目撃者、証言者としてこれを書いているということです。そうだとするならば、この使徒言行録の「我ら箇所」の記述は、一級の歴史的証言ということになります。

・ところで、パウロらは「トロアスを船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った」(11,12節)と言われています。<「植民都市」というのは、ローマの退役軍人を入植させた町のことで、軍用道路に臨む町に退役軍人を配置し、外敵の侵入に備えたのです。この町は紀元前31年に、オクタヴィアヌスが植民都市とし、イタリア市民権をあたえたので、免税と自治が許されていました。守備隊が駐屯していたので、住民はローマ系とマケドニア系で占められていたと言われます>(高橋三郎)。この使徒言行録の記事によりますと、安息日に川のそばの祈り場に女性たち(婦人たち)が集まっていたと言われています。パウロらは安息日にその場所を探し、彼らもその祈り場に一緒に座り、そこに集まっていた女性たちに話をしたというのです。するとその女性たちの中にいたリディアというティアティラ出身の紫布を商う女の人も、パウロの話を聞いていました。当時紫布は大変高価の布で、リディアは相当なお金持だったと思われます。14節では、「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」と記されています。彼女は非ユダヤ人の女性でしたが、「神を敬う人」で、ユダヤ教の教えに心を傾けていたと思われますが、パウロの話を聞いて、イエスを主(メシア=救い主)と信じる信仰に導かれたのでしょう。彼女も彼女の家族も洗礼を受けたというのです。

・リディアは伝道旅行中のパウロらをもてなしたいと思ったのでしょう。相当強引にパウロらを自分の家に連れて来て泊めさせたようです。15節に、彼女と彼女の家族が洗礼を受けたとき、リディアは、「『私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください』と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた」と記されています。

・おそらくフィリピの教会は、この時のパウロらの福音宣教によって誕生し、ここにでてくるリディアの家がフィリピの家の教会として開放されたのではないかと思われます。パウロは、ガラテヤ教会ともコリント教会とも良好な関係ではありませんでしたが、このフィリピの教会とは終生良好な関係にあったと言われています。また、フィリピの教会はパウロの伝道活動に終始援助の手を差し伸べたと言われます。そういうフィリピの教会にあって、このリディアというお金持ちの女性の存在は大きかったのかも知れません。

・ただこの使徒言行録16章11-15節について、本田哲郎さんは、『小さくされた人々のための福音~四福音書使徒言行録~』という聖書翻訳のこの当該個所に表題をつけて、「金持ちの善意の押しつけにまけて、福音の立場をあやうくする」と言っています。もしそういうことであれば、パウロとフィリピの教会との関係は、たとえ良好であったとしても、イエスの福音にふさわしいものだったとは言えないでしょう。

・私たちに先行している神の宣教は、ナザレのイエスの歴史において表されていますように、強い人ではなく弱い人に、お金持ちの人ではなく貧しい人に、権力者ではなく虐げられている人に、健康な人ではなく病を抱えている人に、すなわちこの世で最も小さくされている人の解放のおとずれであることを、私たちは見失ってはならないと思うのです。