なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(374)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(374)復刻版を掲載します。2006年11月のものです。


     黙想と祈りの夕べ通信(374[-9]2006・11・26発行)復刻版


 先日突然一人のお年寄りの方から手紙をいただきました。数ヶ月前に東京新聞の囲み記事を見

て、10月末に紅葉坂教会をお訪ねしたが、留守だったので、相談したいことがあるので、都合の良

い日を知らせてもらいたい、訪ねていきたいからという内容でした。私はその方がいらっしゃる川

崎のホームに電話しましたが、直接入居者に電話を取り次ぐことはできないということでしたの

で、その方にお手紙を出し、私の方からお訪ねするからと伝えました。そして昨日伺ってきまし

た。その方は87歳の女性で、子供がなく連れ合いも先年亡くなり独りとのことでした。最後は平安

のうちに死にたいので教会でお世話願えればということでした。私はその方にできるだけのことは

するが、先ず後見人を信頼できる方にお願いして、決まったらその方にあなたの願いを伝えてくだ

さい。そうしたら、一度私が後見人の方ともお話をしますので、と申し上げてきました。お年をと

って独りの方の生活はなかなか厳しいものがあります。判断力がしっかりしているうちに、財産管

理をはじめ自分の身の振り方にについて決めておかれることに越したことはありません。以前一人

の教会員の方のお世話をすることになり、一年間に100日以上もその方のところに伺ったことがあ

ります。家族のおられないお年寄りのことは、これからますます問題になるのではないかと思えて

なりません。

 上記の私の発言に続いて一人の方から発言がありました。今先生が後見人のことを話されたが、

自分が洗礼を受けた牧師からこのところお会いする度に、後見人をやりなさいと言われるので、調

べてみた。私がやれる後見人は社会貢献型後見人である。お金のある人は弁護士に頼めるが、お金

のない人の後見人が社会貢献型後見人である。調べてその後見人になるための適正が試される面接

などに行っている。面接では大変厳しい質問を受けるし、後見人になったつもりで答えが求められ

る。後見人を実際に必要としている人の中には精神障がい者、精神薄弱者の方もいらっしゃる。大

変な話で、どうなるか分からない。報酬などなく、むしろ持ち出しになることも多い。今日のマタ

福音書25章31節以下の羊と山羊の分別の基準は弱くされた者を世話したかどうかにある。羊は王

の世話はせず、弱くされた人の世話をした。山羊は王の世話はしたが、弱くされた人の世話はしな

かった。弱くされている人に手を差し伸べていきたい。

 続いて別の方の発言がありました。この前沖縄の知事選があり、革新系はまとまって糸数さんを

応援したが、保守の人が3万強の差で当選した。その後沖縄戦のいろいろな情報が入ってきた。候

補者はどちらも選挙演説に各地を余り回らず、周りを固めることに終始した。ヤマトから沖縄に行

った人は、これが選挙中の町かと思われるほど静かだったという。期日前選挙として不在者投票

あった。中には半年前に住民票を移して不在者投票に臨んだ人も多いという。建築関係者の繋がり

創価学会票の不在者投票が多く、期日前選挙が11万票もあり、今回の沖縄の知事選は異例な選挙

だったという。最近夕張の町の様子がテレビで放映された。かつての炭鉱の町が廃鉱によってさび

れ、夕張メロンのような町の名産物を作って努力しているが、国に借金し、箱物は建てても、後が

続かない。市の職員も半数にし、特養は廃止、病院は民間へ、小中学校は数校あったのが、1校に

まとめる。お年よりは自分たちを殺すのかと訴えていた。そういう夕張の姿が沖縄の将来に重なる

ように思えてしまい、悲しい気がした。しかし、沖縄の人は、今度の選挙に負けても、私たちは弱

っていませんと言ってくれる。辺野古を見守ってくれている全国の人がいるからだと。人の繋がり

によって、知られているということがどんなに心強いことかを思う。私自身今度の沖縄の知事選の

結果を知って、がっかりした。沖縄の人何やってんのよ、という思いが自分の中によぎったが、そ

うではないのだ。票がお金や欲望によって動く反面、良心が生きている人も多いことに希望があ

る。

 最後に黙想と祈りの夕べにはじめて参加された方の発言がありました。たまたま教会への届け物

があり、この集いに参加した。最近読んだ文章に、現在の社会の荒廃を嘆くものがあった。その文

章を紹介した後以下のような発言をされた。自分は建築関係の仕事をしているが、最近建築された

マンションの不具合が多くなっている。私の仕事は建築後のアフタケアーもしている。当然建築後

のマンションの不具合も引き受けている。こういう事例を今もっている。都内の某マンションの床

の石に不具合が生じている。内部に使われた石は問題ないが、外部に使った石が元々黒かったの

が、酸性雨の影響で真っ白になってしまった。付近の町を歩いて確かめたところ、他でも石があち

こちで白くなっていた。そこで直すか直さないかをめぐって、建築会社と設計と自分の会社とで、

どのようにお客さんのニーズに応えられるか協議した。建築会社は前に自分が属していた所で、後

輩が責任をもっているが、競争に打ち勝ってきた優秀は人で、お金もかかることなので、うまくす

り抜けて自己弁護をする。本来建築屋は建物を建て、それを使ってもらって喜んでもらいたいとい

う目的で仕事をしているのではないかと思う。費用がかかるので、自分の非を認めず自己弁護する

のだろうが、自分としては残念である。認めるべきものは認めて、謝れないものかと思う。互いの

立場を認め合って、譲り合うことができればと思う。