なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(31)

       使徒言行録による説教(31)使徒言行録8:14ー25
              
使徒言行録では、ステファノの殉教(7:54以下)、エルサレム教会に起きた大迫害(8:1)、そしてエルサレムにいられなくなったギリシャ語を話すユダヤ人信徒が散らされたこと(8:4)、そしてフィリポのサマリア伝道というように、このところ緊迫した叙述が著者ルカによってなされてきました。しかし、今日の使徒言行録の個所である8章14節以下には、ルカは話を中断するかのように、エルサレム教会との関係を語る記事を挿入しています。サマリアの人々が入信したとう報告を受けて、エルサレム教会の使徒たちの代表としてペテロとヨハネサマリアに派遣されたというのです。

・このことは、明らかにエルサレム教会が、周辺の地域に生まれたイエスの福音を信じる信徒の群れである教会に対して、ある統制を引いていたということを意味します。或いはエルサレム教会に権威があって、その権威に周辺の地域の教会が影響されていたということです。そういうことが事実あったとは考えられますが、フィリポのサマリア伝道によって誕生した教会に、すぐにエルサレム教会からペテロとヨハネが派遣されるなどということがあったのでしょうか。そういうことは考えられないように思うのですが、ルカはそのように記しています。新しく誕生したサマリアの教会には、エルサレムから散らされてやってきていたエルサレム教会のギリシャ語を話すユダヤ人信徒もいたはずです。彼ら彼女らは元々同じエルサレム教会の仲間でした。ステファノの殉教を契機に起こった迫害によって、彼ら彼女らはエルサレム教会を去らなければならなかったのです。そのような彼ら彼女らを守れなかったエルサレム教会の使徒団の一員であるペトロとヨハネが、ギリシャ語を話すユダヤ人信徒の指導者の一人であったと考えられるフィリポによって設立されたサマリアの教会で使徒的権威を振りかざすということがあり得たのでしょうか。

使徒言行録の著者ルカは、1世紀の末に使徒言行録を書いていますので、最初期の教会の歴史を上から鳥瞰するように描いていると思われます。ですから、むしろ最初期の教会の歴史の細部は分からずに、ルカは彼の図式である「あなたがたはエルサレムユダヤサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となるであろう」(1:8)という主イエスの約束に従って、エルサレムから全世界に広がっていった教会の歴史を描いているのです。

サマリアエルサレム教会から派遣されたペテロとヨハネは、まだ聖霊が降っていなかった、フィリポからイエスの名によってバプテスマを受けた人々に、祈りと按手によって聖霊を授けたというのです。「二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々が主イエスの名によって洗礼(バプテスマ)を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである」(8:15,16)と記されています。

・このところのルカの記述について、田川健三さんは、「初期キリスト教会正統主義の本質が露骨に現われている文」(『新約聖書、訳と註、2下』p.228)として、このように述べています。

・「(ルカ)は、すべてのキリスト教の流れが、エルサレム使徒たちの教会及びそれを継承して異邦人世界へと発展させたパウロキリスト教という正統派の流れの中に組み込まれないといけない、と考えているようである。そしてそのためには、使徒たちないしパウロによって直接教えられて信者になったわけではない人たちについては、後に使徒たちないしパウロがその人たちのところに出向いて行って、その人たちの「信仰」が正統的な基準に合致するかどうかを調べ、合致する場合にはじめてそれを認証する、という手続きを踏まねばならない。そしてその基準は、ちゃんとイエス・キリストの名へと向かって洗礼を受けたかどうか、洗礼を受けるに際してちゃんと聖霊を受けたかどうか、という二点が基本である。というよりも、(ルカ)の考えでは、使徒たちによって認証されない限りは、いくら彼らがほかの宣教師から洗礼を受けたとしても、それは本当の意味でイエス・キリストの名へと向かう洗礼ではありえず(例、18:25)、使徒たちによって認証されない限りは、彼らが聖霊を受けることはありえない(例、19:2)というものである。これはひどい基準である。俺たちが認めてやらない限り、お前らのキリスト教は本物のキリスト教ではありあえないよ、というのだから」(p.228-p.229)。

・田川健三さんは、「実際にはエルサレム使徒たちはエルサレムの外に出て伝道活動することなどほとんどなく、ギリシャ語世界でもパウロと無関係に多くの土地でキリスト教は非常な速さで広がっていったのだから、いちいちパウロの認証なんぞ受けていられない。・・・そんなことは大部分の場合、実際上も不可能だったろう」と述べ、「とするとこの個所などに見られる出張認証の話は、エルサレム教会やパウロ一派が時たまそういうこともやって、何とか正統主義の支配権を広める努力をしていた、という程度のことであったろう」と言っています。そして「事実はむしろ、・・・・わざわざ出かけて行った本当の目的は献金の徴収にあったと勘ぐられても仕方あるまい。美しき教会の統一よ」と。出張認証の本当の目的にメスを入れています。この田川さんの推察が事実であるかどうかは分かりません。

・しかし、最近の日本基督教団の動きを見ていますと、田川さんの推察があながち間違いではないように思えて来るのです。聖餐の問題にしても、私の戒規免職の問題にしても、また信仰告白と教憲教規の遵守にしても、その動きを促している本当の動機は、経済的問題、特に東京神学大学の経済的破綻の危機をどう支えるかというところにあるように思えてならないのです。正常化の人たちは、彼らが言うところの正統信仰を守るために教団を上意下達の統制的な教団にしようとしているのでしょうが、そのことと財政的な面で教団をコントロールしようとしていることが重なっているのではないでしょうか。ですから、田川さんが、この使徒言行録の記事に見られる正統信仰の支配権を広める努力の本当の目的は献金の徴収にあったと勘ぐられても仕方あるまいと言っていることは、現在の教団の現実にも見てとれるように思うのです。

・勿論使徒言行録の著者ルカは、そのようには思っていませんでした。そのことは18節以下の魔術師シモンと使徒たちとの問答によっても示されています。シモンは使徒たちの按手によって聖霊が与えられることを知って、お金を持ってきて、自分にもその力を授けてくれと願います。するとペテロは、「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物をお金で手に入れられると思っているからだ」(20節)と言って、シモンの心が神の前に正しくないことを指摘し、「この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている」(22,23節)と、シモンに悔い改めを迫っています。するとシモンはペテロに「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください」と願ったというのです。

・魔術師シモンのような者が崇められていたサマリアでは、お金と繁栄が人々の心をとらえていたと思われます。そのような所に、イエスの福音がもたらされて、魔術師シモンの影響力が取り払われて、人々の中に福音がもたらす「仕え合いの生活」が浸透していったとすれば、前回にも触れましたように、サマリアには新しい命の輝きがもたらされたたことを意味するのではないないでしょうか。

・シモンに関する記事はここで終わっていますが、エウセビオス(『教会史』)によれば、シモンはその後ローマに現われ、ここでも神として崇められていたが、使徒ペテロのローマ到着後、ペテロの宣教活動によって、シモンの勢力は打破されたと述べられているそうです。

・そして使徒言行録では、「このように、ペテロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせ、エルサレムに帰って行った」(25節)と、フィリポによって手がつけられたサマリアでの福音宣教を、エルサレム使徒たちがペテロとヨハネサマリアに派遣して補強したように描かれています。

・何れにしろ、このような最初期の教会の福音宣教がなされた時には、ユダヤ人とサマリア人は、元来はイスラエルという同じ民族に属しながら、それぞれの歴史的変遷の中で、純血を守り通したユダヤ人と、混血になったサマリア人とは、近親憎悪も重なって、宗教的民族的な敵対関係にありました。福音書を見ますと、イエスも生前「サマリア人の町に入るな」(マタイ10:5)と弟子たちに言われました。けれども、無名の信徒たちによって、フィリポやペテロやヨハネのような使徒たちによって、サマリアにもイエスの福音が伝えられていくと、サマリアにも信徒の群れである教会が生まれました。イエスの福音はユダヤサマリアという分離の壁を突き破り、その断絶を乗り越えて、主にあってユダヤ人もサマリア人も一つであるという道を開いていったのです。

・しかも、人々の心のあり方そのものが、魔術師シモンのような拝金主義の影響から解き放たれて、イエスの十字架を想い起すことによって、自ら重荷を負って、最も弱い立場の人を中心に、お互いに仕え合う交わりに生きる信者の群れが、サマリアだけでなく、ものとして国家の違いや、文化や性別、貧富の違いを絶対化して、人と人とを分断している現実の世界において、そのような違いを絶対としなで、主にあって一つであるという信仰によって互いに仕え合う者として人と人とを繋ぐことができれば、教会は、義と平和と喜びの満ちる神の国がこの世に到来しているしるしとなることができるでしょう。しかし、それは、エルサレム教会の権威による統制の一致ではありません。そのような統制による一致は、後のローマ帝国によるキリスト教の国教化へと結びついていくものだからです。上からの権威によものではなく、最も小さく弱い人を中心に、互いに仕え合う形での主にある一致こそ、教会のとるべき道ではないでしょうか。